可愛らしく健気な、雨の日に思い出したい“物語”

読者企画〈誰かに校閲・しっかりとした感想をもらいたい人向けコンテスト〉参加作品としてレビューします。


〈まず通常レビューとして〉

 雨の日にしか会えない“彼女”と、主人公の間に生まれるほのかな恋の顛末を描く本作は、実に可愛らしいメルヘンチックな物語だ。
 二人の「名前」をあえて出さない手法が、メルヘンの香りをなお強くする。全編があたかも回想のように描かれていることも同様だ。

 全体の構成、構造は悪くはない。しかしさすがに、書き慣れていないらしい文章が弱点と言える。意味は通るし、質素とさえ言える文体には読みやすさもあるのだが、あまりにも素朴で物足りなさが強かった。

 ただ、全体がとても短いので、この短さと、物足りない文体は幸いにも相性が悪くなかった。伝わってくる雰囲気には、不思議な良さがある。この味わいがなかったら、レビューを書く気にはなれなかっただろう。大事にしていってもらいたいと思う。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 
 
 
※)本格レビューを、レビュー一覧から隠すための空白です。
 
〈以後本格的に〉
 
 この作品を「小説か?」と問われれば、「あまりそれらしくはない」と答えるだろう。
 物語、すなわちストーリーとしての体裁はある。だが、あまり「小説」らしくはない。「段落頭は一字空ける」という現代日本語長文の基本ルールが守られていなかったり、ほとんどの場合で句点(。)ごとに改行するといった初心者っぽさもそう感じる一因だ(もっとも後者は、『Web小説』的ではあるのだろう)。

 情景、風景のなさも、小説らしさを感じないポイントだ。

 雨が降っている。――どこで? どこに?
 通学途中の――どんな学校?
 僕は花屋へ行く。――どんな花屋?

 困惑するほど視覚情報が少ないのだ。だから読んでいても、その場面が浮かばない。喩えるなら、背景が真っ白の、キャラクターのアップだけで構成されたマンガを見ているかのようだ。そしてそのキャラでさえ、どんな外見をしているのかは記述がない。
 ある意味、「読者の想像力におんぶに抱っこ」なのだ。花屋、通学路。そうした単語から、読者がゼロから想像を作り上げることを強制するような状態になっている。

 文章で表される主人公の行動等も、小説らしくない印象を与えている。

 花屋へ行く。
 アネモネを買う。
 花が枯れる。

 小説と言うよりも、これは日記の文体なのだ。日記は人に見せるようなものではないから、自分が分かっていることは書かないものだ。だから、前述のような風景のなさ、に繋がっているのかもしれない。

 こうした文体で小説を作り上げることも出来なくはないのだが、それは、普通に小説を書ける技能があって、無駄を削り落としてこそ出来るものだ。本作の場合は削ぎ落とした結果というよりも「足りない」印象が強い。
 何故足りないと感じるかと言えば、

 花屋へ行く。
 アネモネを買う。
 花が枯れる。

 これらのことは、行動の『結果』だけなのだ。
 花屋へ行くには、時間を作り雨の中を歩いて進まなくてはならない。
 アネモネを買うには、花屋に並んだ商品たちの中からアネモネの束の前に立ち、その中から一本をより抜かねばならない。
 花が枯れるまでには、水を替えたり栄養剤をやったりといった日々があったはずだ。
 そういう過程を無視して文章が構成されている。それが物足りなさの大きな原因だ。

 過程とは時間の流れでもある。それを無視して結果だけを連ねていった本作の文章に、全体が回想のような印象を受けるのは、時間の概念があまり感じ取れないからだろう。回想は、どれだけ長い期間を思い返しても、現実の時間はほとんど動かない。これに似た感覚を受けるのだ。

 文章それ自体は、文意は通じるのだし大きな問題点はない(表現が素朴すぎることを除けば)。
 問題を指摘するなら、上述した「足りなさ」を補うことだろう。つまり、「何を」どう書くかという、「何を」の部分の視野を広げるということだ。
 この短さであれば、こうした文体でもなんとか格好は付く。事実、本作も「こういうものだ」とある程度のことには目を瞑って読めば、読めてしまう(ストーリー的にはちゃんと筋が通ってきっちり進行し、終幕まで描けているということだ)。
 だが、これよりも長い、しっかりしたボディのある「小説」を書くには、「何を」書くかをもっと考えなければならないだろう。

 雨が降っている。その雨は強いのだろうか? 傘もいらないほど弱いだろうか?
 外していたボタンを留め直したくなるほど冷たい雨だろうか。
 薄明るい曇り空から注ぐ、肌を洗うような雨なのだろうか。

 こうした「描こうとするもの」の周辺のこと(情報)にも、気を配っていくようにすれば、表現力の幅が一気に広がるはずなのである。この可愛らしい物語に、いつかそうして新たな血肉を与えてみてもらいたいと思う次第だ。

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