男と女とセックスと煙草
濱太郎
男と女とセックスと煙草
秋を思わせるその日の風は乾いた心に染みた。
風は強く、目の前で誰かが喋っていてもしっかりと聞こえない程だった。そんな事を思っていたら、隣で歩く宏美の喋る声も全く聞こえなかった。いや、聞こえなかったのは嘘だ。聞きたくないと心から思うと、自然と聞こえなくなるもんだ。
「別れよう」
でも、その言葉だけは、どうしても流す事ができなかった。右から左に流そうとすると、何かに引っかかってやがて止まる。その言葉が頭の中で響くたびに気分が悪くなった。ちなみに無言を貫く俺に対して宏美は喋り続ける。延々と、内容なんてひとつも聞いていない俺に対して喋りかけてくる。その中でも「別れよう」という言葉は何度も登場した。余程別れたいのか、もしくは俺に対する嫌がらせなのか。どちらにしろ、俺たちは今日別れるのだろう。
「なら、最後にセックスしよう」
一言でいうと宏美は美人の部類だ。どうしてこんな俺と付き合ってくれたのか、未だにわからない。
ルックスは中の下。コンビニの夜勤を週四で働く俺にはもちろん金はない。しいて言えば中性的な顔つきではあると思う。だからと言って流行りの韓国アイドルのような甘い顔つきではない。あと、特技というわけでもないが、月に一度は必ず動けなくなるほどの腹痛や吐き気で家に引きこもる。その時は仕事なんて関係なく休む。そういうところがだらしがないと思われてもそのように身体が出来ているのだからしょうがない。
何故、付き合ってくれたのか。いつだったか理由を聞いた事があった気がするけど、これと言ってはっきりしたものではなかった事だけは覚えている。「なんとなく」とか「ノリで」とかそういったものと近い。
新宿駅から少し歩いたところにあるバーで偶然出会い、酔っぱらっていたこともありお互い身の上話に花を咲かせ、程なく付き合うことになった。
俺の言葉に驚いたのか、宏美は急に足を止めた。おいおい横断歩道のど真ん中で急に止まるやつがいるかよ。流石に怒ったのだろうかと顔を窺ってみると、なんだろう思っていたのとは違う複雑な顔をしていた。
「……本当に?」
予想外の返事に驚きを隠せなかったが、何故だか彼女の表情は嫌そうには見えない。これはチャンスだと言わんばかりに「じゃあ、行こう」と勢いに任せて近くのホテルに入る。
土曜の夜の時間帯ということもあり、部屋のほとんどが埋まっていた。もちろん安い部屋なんて空いているわけがない。どいつもこいつもお盛んなようで。それでも日本の高齢化現象を止まらないというのだから不思議でならない。
これが宏美との最初で最後のセックスになるのであれば、少しくらい奮発しても心は痛まない。むしろ本望だ。
「なんか、凄いね」
部屋は全体的に淡いピンクのライトで照らされていて、非常にムーディーな空間に気分は必然的にムラムラと高揚してくる。
それもそうだ、今まで何度となく持ち掛けてきていたのにも関わらず「今日はちょっと」とか「ごめん、もう少し待って」だの、のらりくらりとはぐらかされてきたのだ。溜まるものは溜まっていくばかりなのに、どこにも吐き出せなかったのだから。
キングサイズのベッドに腰かけてみると思っている以上に身体が沈む。弾ませてみると確かなスプリングの手ごたえを感じる。
薄暗いピンクの灯りに照らされる宏美の表情は依然複雑な顔をしている。もう少し楽しそうにしてほしいものだがそれもしょうがない。別れを切り出した後のセックスにどんな思いで臨めば良いのかわからないのだろう。まあそれは告げられた側の俺も同じだが、最後くらい良い気分で終わりたい。
「……ねえ、先にシャワー浴びていい?」
数分の無言でいた空間を宏美から切り出した。このまま拒絶されるのかと不安を感じていた俺はどうぞと促す。彼女もそれなりに乗り気なのか、それとも半ばヤケになっているのか定かじゃなかったが、バスルームから聞こえてくる音に、着実にその時は近づいているのを心臓が反応する。
三十分は経った。人がシャワーを浴びる時間なんて計ったことがなかったが、その時間はあまりにも長く感じた。携帯をいじるのも飽きてそわそわとしながら大画面に映るバラエティ番組をただ眺めていた。
シャワーの音が止み、バスルームのドアを開ける音が聞こえてくる。自然と息を潜めた。髪の長い彼女の事だ。そこからまた乾かすのに時間がかかるということに気付きながらも逸る鼓動はフルスロットルの如く回転する。
立ったり座ったりを何度か繰り返しているとドアが開いた。思ってたよりも早いタオル一枚姿の宏美の登場に、驚きを隠せない俺は声を上げそうになるのを必死に堪えて平静を装った。
「は、早かったな」
綺麗だった。
まだ濡れたままの長い黒髪は艶々としていつもと違う雰囲気についゴクリと唾をのみ込んだ。宏美の表情はやはり暗い。何かをためらっている様子に少し苛立ちを感じる自分を抑える。
ここまで来て何を躊躇する必要があるのか。気持ちはわかるが、お互い同意の上でこの部屋に来ているのだから後はその場の勢いとノリで事に臨んでほしい。俺たちが付き合った流れと同じくらいに。
宏美は黙ったままベッドに座る俺の前に近づいてきて、おもむろにタオルを外した。
ゆっくりとスローモーションの様に隠れていた肌があらわになり、膨らむ二つの胸が姿を現す。
それに合わすように視線を下に移していき、やがて下半身の中央に堂々とそそり立つ『棒』が心を奪う。
「今まで黙っていてごめんなさい」
重苦しい声色で告白するようにして宏美は真っすぐにこちらを見ている。
その視線に俺は首を傾げた。何を言っているのか全くわからなかった。
「黙っていたって……何が?」
その言葉に宏美は驚きの表情を見せた。どうしてそんなに驚くことがあるのか不思議でしょうがない。何を黙っていたというのか。
「……驚かないの? 私、男なのよ」
困惑する宏美だったが、それは俺も同じだった。
「それが何か?」
彼女の言わんとしている真意が全くつかめない。こんなに言動の読めない奴だっただろうか。さばさばとした性格の宏美は思ったことをそのまま口に出す奴で、付き合っている間はこちらも気兼ねなく会話することができた。
「いや、だって男同士がこんなのって……変じゃない」
首がそのまま折れてしまうんじゃないかと思えるくらいに傾げる。今更こいつは一体何を言うのだろうか。
「は? 俺、女だけど」
思えば半年前、新宿駅で俺はかなり酔っぱらっていた。同じく男の姿をした女性の友人とその日は早い時間から飲み始めて、いつの間にか日にちが変わっていたことにも気づかない程飲み明かしていた。
話題はほとんど覚えていないが、主に自分たちにおける性的な状況についてだったり、仕事の愚痴だったりと深い話からくだらない話に花が咲いていた。
次の日は仕事だった友人は倒れ込むようにしてタクシーに乗り込んで帰ってしまった。
ずいぶん飲んだが、今一つ飲み足りない俺はふらふらと適当に歩き新宿二丁目にあるバーに入った。
初めて入ったそのバーは、邪魔しない程度にジャズが流れるような雰囲気の良い店だった。カウンターに座ってビールを注文すると、大きな瞳をした長い黒髪が良く似合う女性が隣に座った。
既に酒が入ったとろんとした視線を向けてくる彼女は「ちょうど良かった。誰かと話したかったの」と乾杯をした。
どちらが切り出したのか覚えていないが、酒の力も借りて俺たちは自分の身の上話打ち明けて盛りあがった。
男でありたい女の俺と、女でありたい男の宏美。
偶然出会った同じような境遇の俺たちの出会いを、ふざけながらも運命めいたものお互いに感じた。
その日は朝まで飲み続け、連絡先を交換するだけに終わった。
何度かデートを重ねてから付き合い始めた俺たちだったが、宏美はあの日語りあった内容を酔いのせいですっかり忘れてしまっていたらしく、そのまま隠し続けるつもりで数か月間付き合っていたとのこと。
馬鹿馬鹿しい話だ。確かに今思えば、何かを隠している素振りがあったような気もするが今までそれに気づけない俺も馬鹿だったのかもしれない。
熱く甘いひと時が終わり、まだ泊まるには早い時間だったこともあって、互いに煙草を一本吸ってからホテルを出た。その日はそのまま会話も少なくお互い自分の家に帰ることにした。
それから数日後、やはり俺達は別れることになった。
お互いに、何故。どうして。といった話にはならず、付き合った時と同じようになんとなくそうなることになった。しいていえばあの夜、どこか仮面をつけたまま付き合っていた二人の素顔を改めて知り、身体を重ねて大きく燃え上がった炎はそのまま燃え尽きてしまったのだろう。
あれからそれなりの年月が経った。相変わらず友人と飲み明かす日々を繰り返し、だらだらと人生を謳歌している。
お世辞にも若いとは言えない中年の身となった今、周囲からの勧めもあって何度も辞めようと誓ってはまた火をつけてしまう煙草の煙を、今日も大きく吸い込んでは哀愁のこもった息と共に吐く。
昔から変わらない銘柄を吸っているのにも関わらず、今日の煙草はやけに苦く感じた。湿気ってしまったのかもしれないと捨てようか迷ったが捨てなかった。一箱が五百円近い値段になるなんてあの頃は考えられなかった。
いつもよりも早めに灰皿の底に火種を押し付ける。薄っすら上がっていく煙をぼんやりと眺めてふと思い出す。
熱くて甘い、そしてほろ苦いあの日の一服がやはり、最高に美味かったなと。
男と女とセックスと煙草 濱太郎 @hamajack123
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