第2話 月島魔美

 昼休み。俺はある場所へ足を運んでいた。生徒達の賑やかな声が聞こえなくなり、階段も日が当たらないため昼間にしてはとても暗い。階段を上りきると、錆びれた鉄の扉が見えてきた。扉には外れかけたプラスチックのプレートがぶら下がっており、『立入禁止』の文字が書かれていた。それを無視して扉を開く。


「まぶしっ」


 暗い場所からいきなり明るい場所になったので、俺は目を細める。少しずつ目が光に慣れてくると、俺は目の前に人の形をしたシルエットを確認する。やがてどんどん視界が広がっていき、目の前のシルエットをはっきりと捉えることができた。


「今朝ぶりだな」

「そうだね。とりあえず座って座って」


 少女は笑顔でベンチの空いている場所をポンポンと叩く。俺は少女の行動に少し戸惑いながらも隣に座る。彼女は膝の上に弁当を広げて昼食を食べていた。


「あれ?昼食は?」

「もう食ったよ。それでお前は誰だよ」

「そういえば自己紹介がまだだったね」


 頭に拳を持ってきて舌を出しててへぺろポーズ。そのあざとさに少しだけイラつきを覚える。


「私は月島魔美。お隣のクラスだよっ」

「隣のクラスってことは、2組なのか?」

「そう。去年同じクラスだったよね」

「そうだっけ?」

「覚えてないの!?」


 ガーンという効果音が聞こえてきそうな程ショックを受けている月島。あれ、月島ってどこかで訊いたことがあるぞ?俺は消えかけている記憶を頼りに詮索してみる。が、特に引っかかる項目はなかった。


「悪い。お前と同じクラスだっけ?」

「サイテーっ!去年のクラスメイトの顔くらい覚えておいてよっ!」

「て言われてもな……」


 俺と彼女は去年同じクラスだったこと以外の接点は全くないはずだ。そうだとしたら俺は覚えても仕方ない記憶として消去しているだろう。

 月島は頬をプックリに膨らませて起こっている様子だ。てか、本当に頬を膨らませるやつなんているんだ。そこに驚いた。


「去年の図書委員。一緒だったでしょ?」

「……ああ。なんかうるさいやつが図書委員をするのか、という記憶しかなかったが、言われてみれば確かに月島って名前だったな」

「そ、そう思われてたんだ……。なんかショックだなぁ」


 がっくりと肩を落とす月島。と言うか、彼女は一回一回のリアクションがオーバーなのでコロコロ変わる表情を見ていると面白いことに気づいた。


「で、俺に一体何のようだよ」

「あ、そうそう。そのために呼んだんだもんね」

「口約束だったのはこの口か?この口か?」

「いひゃいひょっ!のひひゃう、のひひゃうっ!」


 月島の頬をつねて軽く説教。伸びた口で一生懸命許しを請いている。彼女の手が頬を掴んでいる俺の手を叩いてきたので解放する。つねられた頬は真っ赤になり、月島はその頬をさすっていた。頬が柔らかかったことは心の中にしまっておく。

 涙目になっている月島に俺は話を続ける。


「で、用事は?」

「実はね、宮村くんに助けて欲しいんだっ!」

「助けて欲しい?」

「そうっ。宮村くんってお姉さんがいるよね?それもアイドルオタクの!」

「いるけど。なんか俺の姉を馬鹿にされてるような気がするんだが」

「馬鹿にはしてないよ!私からしたら尊敬する人物に値するよっ!」


 自分の学校で自分の姉がアイドルオタクだと知られているのは別なのだが、目の前で自分の姉が尊敬されていることを訊かされるとは夢にも思わなかった。月島の目は完全に輝いていた。まるでおもちゃ売り場で欲しいおもちゃを見た時の子供のようなキラキラした目である。

 そんな顔をされるとは思わなかったので、俺はこれ以上彼女の顔を見ることができなかった。そりゃ輝いてる人の目を見続けるのは意外と辛いのだ。

 俺は顔を背けたまま膠着こうちゃく状態である話を進めることにする。


「で、お前は俺の姉に用事があるのか?」

「それでもいいんだけど。できれば宮村くんに頼まれて欲しいんだよね」

「まあいいけど。で?」

「宮村くんってうちの学校に『アイドル部』があることは知ってる?」

「『アイドル部』?」


 記憶を辿ってみる。しかし、俺の脳内にはそのような部活は存在していなかった。いらない記憶だから消去した可能性もあるが。


「知らないな。お前はそこに所属してるのか?」

「うん。だけど、去年の夏に部活内で揉め事が起きちゃってその日から部員が少しずつ減っていったの。そして去年の秋頃、文化祭が終わった時点で部員は私一人になっちゃったの……」

「サークルクラッシュ、か」


 サークルクラッシュなんてオタサーの姫がいるところでしか起きないものだと思っていたが、案外意外なところで起きるもんなんだな。まあ崩壊した理由は何個か思い当たる。一つ目は、部員同士での争いごと。部員同士の意見の食い違いで起きる現象だ。これなら容易に崩壊する場面が思い浮かべる。二つ目は、文化祭での出し物。文化祭終了後に月島一人になったということは、文化祭の出し物を巡って部活内で派閥が分かれてしまい、その傍らが部活に残って文化祭をやったパターン。もし、残っていたのが三年生と彼女だけなら、どう考えても月島一人になる可能性が高い。三つ目は、部活の中心人物が突然いなくなった時である。特に部長がある理由で『アイドル部』を辞めたのなら、残された部員同士でその部長の分を補わなければならない。その重圧が重くなってしまい、次々に人が辞めていくパターン。

 考えるだけでいろいろなパターンが見えてきてしまう。その渦中にいた彼女にとって、とても辛いことだっただろう。


「それで私はもう一度部員を集めて一から『アイドル部』を作っていきたいのっ!そのためには協力者が必要でしょ?」

「それでアイドルオタクである姉の弟である俺に白羽の矢が立ったってわけか」

「おー!飲み込み早いねっ」


 親指を突き出してグットポーズ。可愛いとか思ってやっているんだろうか、彼女は。そうだとしたらそれは誤解だと教えたいところだ。現にやられている俺は嬉しい感情ではなく、怒りの感情を覚えているのだから。

 そんな感情を抱いていると、校内に予鈴が鳴り響く。昼休みもそろそろ終わりに近づいているらしい。

 隣で座っている月島は、食べ終えた弁当箱を片付けて立ち上がる。


「今日の放課後って時間空いてる?」

「あ、ああ。空いてるぞ」

「それじゃあさ。放課後部室に案内するから一緒に来てくれないかな?」


 彼女は俺にそう告げた。俺が一方的に約束をされた感じ。しかし、俺はその言葉に返事をすることができなかった。俺に告げた月島の顔は、ひどく悲しそうな顔をしていた。今にも泣いてしまいそうな寂しげな顔。

 ああ、そうだ。彼女は一人でいることを寂しがっているんだ。去年の秋から一人で部活を続けていた。しかし、彼女の中にもそれを限界に感じて、身近に相談する相手がいないから。だから、彼女はあまり接点のない俺に頼んできたのだ。巻き込むのは身近な友人ではなく、他人に近い顔見知りな人間。やっぱり彼女は自分勝手だ。しかし、人を巻き込むのに躊躇するだけの優しさはある人間。

 だったら。だったら、俺は何ができる。そんな彼女のために、何が出来るのだろう。答えは簡単だった。


「わかった。また放課後、な」

「―――、うんっ!」


 それだ。俺はそれが見たかったのだ。

 その時、初めて彼女の嬉しそうな、心の底からの笑顔を見ることができた。


~*~


 月島と別れた4限目の授業。この時間の授業は日本史だった。日本史担当のおじいちゃん先生が黒板を使って一生懸命授業している。しかし、クラスの大半はこの時間を睡眠タイムとして充てている。そのため、真面目に授業を受けているのは、ほんの少しである。

 俺は後者なのだが、この日の授業は全く頭に入ってこない。ノートもしっかりと取っているのだが、ノートに書いてある内容すら頭に入ってこない。

 その理由は自分でもわかっている。俺は月島魔美のことを考えていた。別に恋をしていて悩んでいるわけではない。先程の昼休みでの話のことを思い出していた。


『宮村くんってうちの学校に『アイドル部』があることは知ってる?』


 そんな部活動を、俺は知らなかった。知るきっかけさえなかったのだから。いや、もしかすると部活動紹介であったのかもしれない。しかし、そんな昔のことは遠の昔に忘れている。月島と同じクラスだったことも忘れてるんだ。入学早々のことなんて覚えてるわけがない。

 と、俺が考え事をしていると、急にポケットに入っていた携帯が震えた。一瞬びっくりしたが、俺は先生にバレないようにゆっくりとポケットから携帯を取り出す。コミュニケーションアプリから通知を受け取ったらしい。送り主は、隣の席で眠っているであろう夏津からである。


『何悩んでるの?馬鹿じゃないの?』


 頭にカチンときた。俺は素早く内容を打ち、それを送り主に返してやる。すると、すぐに返事が返ってくる。タップして開く。


『朝来てた子のこと?』


 動悸が速くなった。ドクン、ドクン、と頭の中で鳴っているような感覚に錯覚させられる。筒抜けになっていた。夏津に。人に興味示さないであろう人に、俺の悩んでいる種を解かれた。

 と、さらに別の通知が送られてくる。今度は幼馴染の瑠奈からである。


『なんか怖い顔してる。何か考え事してる?』


 内容は夏津とほとんど変わらない。それに彼女の通知だと、俺の顔は強ばっているようだ。それだけ顔に出ているらしかった。さらに、立て続けに瑠奈から通知がくる。


『教室で誠司くんに抱きついてた子のこと?』


 動悸だけでなく、全身から冷や汗がぶわっと出てきた。彼女にもバレていた。考えごとの種を。もう俺には逃げ場所がないようだ。

 と、切羽詰っていると、授業終了のチャイムが鳴る。「今日はここまで」と言って教室から出ていく。

 俺はこの教室にいることはできないと本能的に察すると、すぐに廊下へ出ていき、そのままトイレまで駆けていったのだった。ちなみに、他のクラスメイトからは授業中トイレ(大の方)を我慢していたのでは、というデマが流れたのだが、それまた別の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

We want to be a Idols! 一之瀬安杏 @ymamto-simno-nanjo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ