アイドル部編
第1話 西沢いつき
「じぶんのちからを~しんじて~♪」
「またその歌歌ってるの?」
階段を降ってくる姉に、俺は冷たく言い放つ。俺が小学生の頃に流行った曲だ。姉が口ずさんでいるということは、またアイドルの曲なのだろう。姉はその言葉に顔をしかめて俺を見据えて言ってきた。
「アンタ、西沢いつきを馬鹿にしてるでしょ?」
「別に馬鹿にはしてねーよ。てかその曲、最近聴き過ぎでしょ。そんな古い曲、知ってるやつなんて殆どいないと思うよ」
「アンタ本当にニュースとか見てるの?」
馬鹿にされた言い方をされた。普段からテレビを見ない俺でもニュース番組は欠かさず見ている。そんな俺に見ているかと疑われるなんて信頼もくそもないな。まあ真剣に見ているか訊かれたら嘘になるわけだが。
「最近西沢いつきの曲がリバイバルブームを起こしているのよ。その中でも中高生の中で最も流行っている曲が西沢いつきが伝説のアイドルとしての地位を確立した『High Power☆彡』はカラオケでアイドル部門一位に返り咲いてるんだから」
「へえ」
「興味ないって感じね」
「まさに興味ないので」
姉の凛檎は幼稚園の頃からアイドルに興味を持ち始め、園児ながらパソコンを使ってアイドルの情報を調べていたのだとか。さらに彼女がアイドルオタクになるきっかけとなったものが西沢いつきのデビューである。姉は小学生ながら西沢いつきがデビューしたことを知ると、『彼女は将来、いや、近いうちに売れっ子アイドルに絶対なれる』と予言していた。その通りになった時は家族全員で驚いた。姉は胸を張って威張っていたことを記憶している。
中学生に上がる時に西沢いつきの電撃引退報道を聞いたときは、彼女の大ファンだった姉は珍しく泣いていた。アイドルに引退は付き物と言っていた姉でも、泣いてしまう程に存在感を放っていたアイドルなんだなと思った。
姉の絶対的存在がいなくなって以降、彼女は西沢いつきの後継者探しを行っていた。それをしているうちに、気づけば姉はアイドルオタクになっていた。彼女も自分でわかっていたようだ。
そんな姉も高校三年生。受験生である。しかし、彼女の生活ぶりを見てもそんな素振りは微塵も感じられない。
「そろそろあたし出るけど、アンタはどうすんの?」
「んー、もう少ししてから出るよ」
「そう。ちゃんと鍵とか閉めて行ってよね」
「わかってるよ」
「じゃあ先に行ってるよ。行ってきます!」
そう言って玄関から扉の開く音がして、それから閉まった。
家で一人になった俺は残っている朝食を食べ、食器をシンクの中に入れる。その後はカバンをソファに置いて、俺もソファに座る。そのまましばらくテレビを見ることにした。
すると、テレビでは姉が言っていた伝説のアイドル・西沢いつきのリバイバルブームに合わせた特集が流れていた。その特集内容は彼女のデビューから電撃引退までの流れとその年の代表曲が紹介されていた。このような形で西沢いつきを見ると、本当にアイドル界の第一線で活躍をしていたんだと改めて思う。
「でも、姉さんも言ってたけど写真集を出したり、他のアイドルがやっていた仕事をやらずに、歌一本でアイドル活動してたんだよな」
アイドルといってもその仕事は歌だけと限られたわけではない。アイドルをしている人の多くは写真集、いわゆるグラビアをやったりタレントとしてバラエティ番組に出ていることが多いが、西沢いつきはそのような仕事は一切受け付けずに歌一本で活動してきた純粋なアイドルなのだ。
「あの時は本当に大変だったな……」
小学生の頃を思い出して懐かしむ。まだ西沢いつきが現役でアイドルをしていた頃、多くの女子達が西沢いつきに憧れてアイドルを将来の夢に掲げることが多かった。それは俺の通っていた小学校の女子達も例外ではなく、学校でも西沢いつきの話で盛り上がっていたのだ。
と、過去のことを思い出していると、インターフォンのチャイムが鳴る。台所にあるインターフォンの画面を確認すると、そこには見知った顔が覗かせていた。
「今から向かうよ」
そう言って切る。そしてソファからカバンを取り、テレビの電源を消す。そのまま玄関に向かい、靴を履く。玄関を出て、鍵を閉める。家の前では先程インターフォン越しで見た見知った顔の少女が立っていた。
「おはよう、誠司」
「おはよう、瑠奈。それじゃあ行くか」
朝比奈瑠奈。それが彼女の名前だ。瑠奈は小学生の頃からの幼馴染であり、家族ぐるみでも頻繁に会っていた。幼馴染、腐れ縁。どちらにせよ、瑠奈とは小さい頃からの付き合いであり、家族とも言えるのである。
そんな彼女も小学生の頃に西沢いつきの歌を姉から聴かされ、それに魅了されてファンとなった。しかし、その思いは日に日に大きくなっていき、やがて彼女は大きな夢を抱くことになる。
そんなことを思ってか、俺は今朝あったことを話題として話し始めた。
「そういえば、今日朝から姉さんのテンションが高くてさ」
「またアイドルの曲でも聴いてたの?」
「違うんだ。西沢いつきって知ってるだろ?」
「え?……あ、ああっ。に、西沢いつき、ね。知ってるよ」
何だ?『西沢いつき』の言葉を口にした時の彼女の間は。それに言葉が若干震えている。今までの彼女にはなかった反応である。確か彼女にとって『西沢いつき』はあるきっかけをくれたアイドルなのだが。
「そ、それでお姉さんがどうかしたの?」
「え?あ、ああ。その西沢いつきの曲を口ずさんでたんだよ」
「そ、そうなんだ。お姉さんは昔から変わらないよね」
あはは、と笑う瑠奈。しかし、俺はどうしても先程の彼女の言動が気になってしまい、笑うことすらできなかった。この時は気のせいだろうと思い、特に彼女に踏み込もうとしなかったが。この後、そのことを後悔することになるのだが、それはまた別の話である。
~*~
昇降口に入る手前で瑠奈は友達と一緒に教室に行くことになり、俺達は昇降口手前で別れた。靴から上履きに履き替えたところで昇降口にいる瑠奈達を見る。何故か瑠奈が友達に言い寄られていたが、それもこの学校では見慣れた光景である。聞く耳持たずに昇降口を後にする。
階段を上りきると、風と共にシャンプーのいい香りが漂ってきた。目の前には漆黒の髪をなびかせる少女が立っている。少女の耳には白く長いものがスカートのポケットにまで伸びている。髪に隠れて見えていないが、彼女はおそらく音楽を聴いているのだろう。
俺はそのまま彼女の横を通り過ぎようとしたが、グンッと裾の部分が引っ張られる。仕方なく俺は片方のイヤホンを外す。これが俺達の日課。俺達の普段の挨拶である。
「おはよう。高坂さ―――いでっ!」
「高坂さんじゃない。夏津」
「……おはよう、夏津」
「おはよう。音楽聴いてるから早く行って」
踏まれていた足を解放され、夏津は俺が外したイヤホンを耳にはめ、再び自分の世界へ入ってしまう。相変わらず無愛想なやつである。しかし、これが学校ではクールで通ってしまうのだから恐ろしい。いわゆる、集団心理ってやつである。
ようやく目的地である教室に着く。扉を開けると、今日に限って教室のざわめきが一段と大きい気がした。
「うるさ……。いって!」
「よっ!二股王子!」
「誰が二股王子だっ!その名前で呼ぶなって言ってるだろ」
「何が呼ぶなだよ!朝から幼馴染の瑠奈ちゃんと一緒に登校してきたと思ったら、今度は階段でなっちゃんと秘密の挨拶!この状況がどれだけ罪か知ってるか!?日本の法律だったら即死刑行きだぞ!」
「秘密の挨拶なんかしてねぇ!と言うか、日本の法律にそんなこと書かれてねーよ!」
嫉妬から来たものなのか、それとも羨ましさの勢いなのか。それはわからないが、俺の友人である
「なあ、何で今日の教室はこんなにざわついてるんだ?」
「ああ、お前はニュース見てねーのか?番組の特集にも組まれてただろ?『西沢いつき』の特集が」
「なるほど、それでこのざわめきか」
ざわめきの正体がようやくわかった。今日の朝にやっていた『西沢いつきのリバイバルブーム』がこの学校でも起こっていたわけだ。確かに彼女の活動時期は丁度直撃世代であるから、みんなしてこの話題に持ちきりなわけだ。
「やっぱりそんなにすごいんだ。西沢いつきって」
「すごいってわけじゃないぞ!彼女は伝説のアイドルであり、あまり知られていないが、伝説の歌姫でもあるんだぞ!そんなお前はただ単に『すごいやつ』呼ばわりしているが、訊いているのが俺だけで良かったな。これがこのクラス全員に伝わったら今頃お前は死体になってたぞ」
「知られたら死に直結するんですか!?」
やばい。無知ヤバイ。このクラスには俺が死んでも骨の一つも拾ってくれる仲間がいないようだ。本当、敵を作らなくて正解だった。
俺は窓側の席に向かって自分の席の机にカバンを置く。その後をついてきた武史は俺の向かいにある椅子に座る。時間を確認すると、現在8時35分。もうすぐ朝のホームルームが始まる。俺は時間まで武史と話すことにした。どうせ五分だ。すぐに経つだろう。
しかし、思わぬ形でその五分が長く感じられてしまった。
「……失礼します」
後ろの扉がガラリと開く。その奥には負のオーラをまとった少女が立ちすくんでいた。先程まで賑やかだった教室も彼女が入ってきたことによって静かになってしまった。
「だ、誰か知ってるか?」
「さあ」
誰だか知らない以上、これ以上の詮索はしないのが俺のモットーである。まあ興味ないだけなのだが。
少女は教室の中を見回すと、偶然顔を上げた俺と目が合う。そして彼女の目から涙が溢れ出し、俺目掛けて抱きついてきた。……え?
「「「「「ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!???」」」」」
俺が言おうとして言葉をクラスメイト達に先に言われてしまった。一番驚いてるのは抱きつかれてる俺なんですけど!?
少女は俺の胸に埋めている顔を上げると、嬉しそうに微笑みながらこう言ってきた。
「あなたが宮村くんだよね?私を助けて!」
これが俺・宮村誠司と月島魔美との出会いだった。
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