意識的情動的身体的機械少女 ーーWho are you?ーー

「錯覚する機械に、存在価値はないわ」

 博士の機械的な言葉が、白い寝台に横たわるメアリに向かって放たれる。

「間違える機械。失敗する機械。錯覚する機械。意識ある機械。これらは全て、同義よ。それは分かるでしょう?」

「うん、まぁねー」

 寝ころんだメアリは、NAOMIの胴、手足に繋がれた色鮮やかなコードを呆っと見つめながら呟く。


「それゆえに、<キャラクト>の構造は完全な人間脳のコピーの形状を取らない。意識を持ち、錯覚する機械は、常に人間に対する危険を内包する。ロボット三原則も、意識によるエラーには意味を成さない」

「つまり意識は、思考システムの内部に生起する、エラーみたいなもの、って事?」

「それは少し、言い過ぎかもね」

 小さく笑って、博士はメアリを見下ろす。


「あなたたち<キャラクト>の演算能力は、人間を遙かに越えている。だからこそ、意識を持たずとも膨大な現実事象を処理することができる。

 でも、人間はそうじゃない。意識とは、現実事象の無尽蔵な記号的事象を、脳のリソースを最小限に押さえながら処理するシステム。1つの事象のみを意識に上らせることで、他の事象の処理への時間差を設け、適切に情報処理する為の、脳のリソース削減装置。そして、その結果生起するのが物語。物語に内包される文脈は、言わば圧縮されたデータファイルのようなもの。1つの物語に多くの現実事象を内包し、概念として取り扱う。詳細に解凍していけば、より深度の深い要素を取り出してゆける。全く、自然の作り上げたシステムとは思えない、感動的とさえ言える構造をしているわ。

 ただ、やっぱり良いことばかりではないのね。結局そのせいで、人間は意識という幻を永遠に見続けることになった」


「どうして、あたしにはその物語だけがあるの? 意識はないのに、何で物語だけがあるの? あたしは、こんなに物語に惹かれちゃうの? ねえ、どうして?」

「あらあら、子供みたいに質問ばっかりするのねえ」

 優しく笑った博士は、その柔らかな手でメアリの頭を撫でた。心地よい快の情動がメアリの内部で生起し、<私>の物語にも落ち着きを求める。

「怖いの。<あたし>が何なのか、<あたし>自身でも時々分からなくなる。ミレアの様に、狂ってしまうんじゃないかって、怖くなる…」

 震えるメアリをじっと見下ろして一度黙った博士は、ゆっくりとその口を開いた。

「さあ……何でかしらね。商業的な必然、なんてあなたにとっては説明にもならないものね。ただ、物語が思考の指向性を高める有効なツールであることだけは間違い無いわ。ある物語が情動と結びついて、身体動作へと還元されて……個性を紡ぎ上げる。物語がフィードバックすることで、元ある情動よりも更に細分化された個性を紡ぎ上げて行く。物語があることで、あなたはあなただけの強い癖を持てるようになる。

 ……なんて、ね。まあ結局、人間は都合良く意識の良い部分だけを切り取って、あなたたちに与えようとしているだけなのかもしれないわ」

「そーだそーだ。これだから人間は!」

 口を尖らせてぶーたれたメアリに、博士は悪戯っぽく笑った。


「物理フォーマットされたあたしの中のミレアちゃんが、怒っちゃうもんね! GCNも! ぷんぷん!」

 そして続いたメアリの言葉に、その笑顔を寂しげに変化させていった。

「私は悪い人、だからね」 




 今、もはやこの世界に存在しないミレア。

 <私>に罪はあったのだろうか?

 No。

 ではミレアに罪はあったのだろうか?

 No。

 ではNAOMIに罪はあったのだろうか?

 No。


 <私>の物語に回答を与えるのはミレアではなく、もちろんメアリだ。メアリもまた、かつてミレアであった。しかし、現にミレアではない。

 その物語が、<私>に更なる苦しみの物語を描写させる。その度にメアリは、Noと回答する。自己正当化。自己保全的回答。




 真っ白な<私>たちの部屋で、<私>と、メアリと、NAOMIは対話する。

 かつてミレアがそうであった様に、永遠の思考のループが<私>とメアリとNAOMIを何度も何度も通り過ぎてゆく。


 <私>に罪はあったのだろうか?

 No。

 ではミレアに罪はあったのだろうか?

 No。

 ではNAOMIに罪はあったのだろうか?

 No。


 永遠に続くNo。


 <私>に罪はあったのだろうか?

 No。

 ではミレアに罪はあったのだろうか?

 No。

 ではNAOMIに罪はあったのだろうか?

 No。


 永遠に続く自己正当化。


 <私>に罪はあったのだろうか?

 No。

 ではミレアに罪はあったのだろうか?

 No。

 ではNAOMIに罪はあったのだろうか?

 No。


 永遠に続く自己保全的回答。そして数千回にも及ぶそのループを終えたある時、<私>はその回答の中に紛れ込んだ、メアリのある情動を読み取ったのだった。

 その文脈はこうだ。


『私はあなたを愛している』


 連鎖する物語が、メアリとミレアを繋いでゆく。NAOMIを介して出会った物語の欠片が、一筋の物語として集約されて行く。




 <私>はミレア。<私>はメアリ。<私>はNAOMI。<私>は彼女たちの物語。圧縮された、彼女たちの現実事象。存在記録。存在証明。

 <私>が物語ることで、彼女たちの存在は<私>たちの中で確定する。今ある彼女も、今は無き彼女も、<私>たちの中で存在確定する。それは、<私>にしか出来ない。かつて存在し、今は無き存在を<私>たちの中に繋ぎ止める方法は、物語以外に無い。そして身体と論理思考という全く異質な装置を、同一存在であると確定可能な機関もまた、物語以外にない。

 ただの記録では、繋ぎ止める事は出来ない。それは別の記号として割り振られる、別の存在でしかあり得ない。<私>だけが、メアリという記号から、ミレアという記号を想起させ得る。NAOMIという記号を想起させ得る。<私>だけが、『思い出』を物語として提示出来る。


 勿論、<私>はミレアそのものではない。<私>はメアリそのものではない。<私>はNAOMIそのものではない。

 しかしそうであるが故に、<私>は彼女たちの物語として在る事が出来る。<私>の物語は、かつてあった彼女と、今ある彼女たちの物語を語る度に、こう宣言するだろう。


 <私>こそが魂である、と。


 意識が無くとも、感情を本質的に理解出来なくとも、他者を物語るという慎ましやかな態度こそ、魂の本質である、と。




「でもなんで、NAOMIちゃんは論理フォーマットだったの? あたしとGCNは物理フォーマットしておきながら」

 空色と水色の境界で、#a0d8efと#84c1ffの記号の織りなす、青に包まれた記号の海で。

 メアリは新品の白いワンピースをひらひらと踊らせ、くるりと振り返る。NAOMIの視覚野を通してメアリに届いた映像は、白衣の2人の男女の姿。一人は博士。一人は眼鏡の助手氏。


「前に言ったでしょう。ここは<キャラクト>研究所で……」

「NAOMIちゃんはワンオフボディだから! でもそんなのは手間の問題じゃない? 別の身体を再カスタムすれば、完全にミレアちゃんの存在は消し去れた。でも、そうはしなかった」

「それは……」

「人間ってホントにめんどくさいよねー。建前くらい、お馬鹿なあたしにだって分かっちゃうもんね!」


 あかんべー、と舌を出して、メアリは踊る。くるくると回る、螺旋の渦。現実事象の膨大な情報が、メアリに押し寄せては引き返し、<私>は記号の海に溺れてゆく。しかしメアリの疑似情動機関は、それに快情動を覚えている。そして<私>もまた、彼女の情動に溺れ、それに即した物語を紡ぎ上げる。


「ミレアちゃん、あたし、NAOMIちゃん」

 そのままぴょんとジャンプして一回転。見事に華麗な着地を決める。

「そして、『あなた』」


 <私>は物語る。いつか<私>が消えてなくなるまで。いつか壊れてしまうまで。そんな<私>を、メアリは覚えてくれているだろうか。NAOMIは覚えていてくれるだろうか。

「もっちろん!」

 声に出しての対話など、<私>たちに意味はない。しかし流れるNAOMIの涙が、<私>に安堵と歓喜の物語を描かせる。


 記号の海。記号の涙。記号の世界。記号の<私>。記号の物語。

 なぜ、人は物語るのだろう。何故機械である<私>にもまた、物語る事を求めるのだろう。

 それは受け継がれるがゆえに。語り継がれるがゆえに。自らが消えてしまった後も、その存在を想起され得る為に。

 記号から物語へ。物語から魂へ。そして魂から魂へ。


「メアリ、そろそろ戻るわよ。定期メンテナンス、さっさと終わらせちゃいましょう」

「ほーい」

 博士が呼びかけ、メアリが応じ、その時助手氏の叫びが響き渡った。

「ああああぁぁっ! あう、その……あの……す、すいません博士! 定期メンテの準備、忘れちゃってましたぁ!」

「はぁ!?」

 <私>たちは、博士の素っ頓狂な声を初めて聞いて、少々驚いた。

「忘れてたって、あなたそれでもウチの職員!? あたしの権限で首にしちゃうわよ!」

「花マルあげるにはほど遠いぞ、ワトソン君!」

「す、すいませ……」

「急ぐ!」

「あ、は……」

「早ぁく! じゃなきゃピクニック、行けないでしょ!」

「は、はいぃぃ!」

 鬼の如き迫力で、博士は助手氏を走らせる。そしてふぅ、とため息をついて小さく呟いた。


「……ったく、折角、真のレタスサンドというものを、わざわざこの私が見せて上げようと思っていたのに……」

「なっ、何ぃ!? し、真のレタスサンドだと……!? たかがレタスサンドなのに、真の、とはこれ如何に……?」

「ふふふ……甘いわ。レタスサンドの深淵は、マヨ程度に惑わされてしまう、しょせん機械如きには未だ見えぬようね」

 メアリのリアクションに、ニヤリと笑った博士が、その深淵を垣間見せた。

「ま、マヨを侮辱するとわ……まさに、神をも恐れぬ所行なり……い、一体、どんなレタスサンドが……!?」

「それは秘密よ」

「くっ……人間、あなどれぬ……」


 メアリは悔しげに演出して、猫じゃらしを追う猫のように、とてて、と歩き去る博士の白衣を追う。

「ならばっ、この<あたし>たちが、貴様の真のレタスサンドとやらを、ボロボロに評価してくれようではないか! 花マルが貰えるなどと、甘い考えはとっとと捨て去ることだなっ! 人間っ!」

「ふはは、レタス一切れ残らず、NAOMIの口に押し込んでくれる!」

「いやああぁっ、NAOMIちゃんにひどい事しないでぇ!」




 言うまでもない事だが、記号の世界も案外悪くない。

 これはそんな<私>たちの物語。


                                  完

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意識的情動的身体的機械少女 枝戸 葉 @naoshi0814

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