第6話 雨降る朝に
僕は目を開けた。
もう朝なのか、早すぎる。眠ってからあっという間に感じる。
まだ起きたくない。起きたくはないけど、今日は学校に行かないと。
雨の音が聞こえる。激しく降っている音――土砂降りだ。
朝からこんな雨の中、僕は学校に行くのか。気持ちが沈む。
こんこん、と部屋のドアが叩かれる。
「ヨウスケ、起きて。朝ごはんも出来てるわよ」
母さんが僕を起こしに来た。起きないといけないのは分かってるけど体が重い。それでも何とか掛け布団をどかしゆっくりと体をあげて、そこで一息吐く。
どんどん、とさっきよりも強くドアがノックされる。
「ヨウスケ? 起きないと学校に間に合わないわよ」
うるさい、急かさないでくれよ――ドアの向こうに聞こえるような声で、そう返す気力もない。
でもいつまでもぐずぐずしてもいられない。こうしている間にも時間は過ぎていく。
具合が悪いといって休もうか? だけど仮病なんて、そんなものは一時しのぎにしかならない。
――お前が学校来ると、クラスの空気悪くなるんだよ。
昨日浴びせられた言葉が頭によみがえる。
――嫌われてんだよみんなに。分からねぇの?
そう口にしたのは、同じクラスのタカシくんだった。
――返事しろよ、おい。
言いながら何度も腹を蹴ってくるのを、僕はひたすら耐えた。タカシくんは僕より上背があり、反撃したところで体格差でまず勝ち目がない。
――耳が悪いのか? それとも頭が悪いのか? ん?
タカシくんは笑みを浮かべていた。周りを見ると、他のクラスメイトも口元を同じ形に歪めている。
みんな僕を嘲笑っていた。ここには僕の味方も居場所もないんだと、はっきりと分かった。
学校でのことは両親に話していなかった。満足に抵抗することも出来ず、一方的にやられてばかりの自分が情けなくて恥ずかしく思えたからだ。
ベッドから何とか立ち上がると、溜息が漏らす。最近は本当に溜息の回数が増えてきた。溜息を吐くと幸せが逃げるというけれど、現状がもう幸せとは言えない僕には関係ない。
早くしないとまた母さんが呼びに来る。名残惜しいけれどベッドから離れて部屋のドアの前に立つ。また一つ息を吐きだして、ドアノブ掴んで開けていく――。
「…………?」
僕はいつの間にか、天井を見上げていた。確かに部屋から出ようとしていたはずなのに、なぜかベッドに横たわっている。
夢? さっきまでのは夢だったということだろうか? 掛け布団を体から引き剝がす。
「ヨウスケ、起きて。朝ごはんも出来てるわよ」
部屋のドアがノックされて、母さんの声がした。
怠い体を持ち上げる。雨の音がしている。そういえば夢の中でも雨が降っていた。
痺れを切らした母さんがまた呼びにくる前に、さっさと部屋を出よう――僕はベッドを抜け出して、ドアを開く。
「……え?」
視界いっぱいに部屋の天井が広がっていた。また夢を見ていたのか? 体を起こして窓の外に目を向けると、激しい雨が降っていた。
ノック音がして、顔をドアに向ける。
「ヨウスケ、起きて。朝ごはんも出来ているわよ」
母さんが僕を呼ぶ。一言一句、夢とまったく変わらない。
今のこれもどうせ夢なのだろう。おかしな夢だ。どうしたらこの夢から覚めることが出来るのだろうか? 早くしないと、学校に遅れてしまう。
そうしたらそれを理由にして、タカシくんは僕を痛めつけてくるかも知れない。浮いた行動をする人間をタカシくんは見逃さない。今度は何をされるか分からない。それがとても怖い。
でも部屋のドアを開けて、またベッドの上からやり直す――その繰り返しで一向に夢は覚めない。
「ヨウスケ? 起きないと学校に間に合わないわよ」
そう言われても僕にはどうしようもない。起きられるものならとっくに起きてる。
本当は学校になんて行きたくない。酷い目に遭うと分かっているのに行きたいはずがない。それなのに僕は学校に行くため夢から覚めようと苦心してるんだから、こんなおかしなことはない。起きても生き地獄が待ってるだけなのに。
何で僕ばかりこんな目に遭うんだろう? 僕は何もしていない。誰かを傷つけたり迷惑をかけたりなんてしてない。
もしかすると起きたくない――学校に行きたくないという思いが、この夢を見せているのだろうか?
「ヨウスケ? まだ寝てるの? 早くしなさい」
母さんの口調が厳しくなる。僕はもう動く気になれなかった。起きても起きなくても変わらない。僕が何をしても無意味だ。
「ヨウスケ……? どうしたの?」
しばらくすると、母さんの声が心配そうなものに変化する。ベッドに潜り、母さんが諦めるのを待つ。
「おいヨウスケ、どうしたんだ?」
すると今度は父さんまでやってきた。
「起きてるのか? 起きているなら返事をしてくれ」
二人ともどうしてここまで構ってくるんだ? 僕はそっとしておいてほしいのに。父さんだってこれから仕事があるだろうし、行かなくていいんだろうか? 僕の相手なんかしている暇はないはずだ。
無視しようとすればするほど、意識がドアの外に向いてしまう。
「大丈夫? 具合悪いの? ヨウスケ?」
また母さんが声をかけてくる。
「もうやめてくれ!!」
掛け布団を跳ね上げて、僕はドアに近寄る。
「しつこいんだよ! いい加減放っておいてくれよ!」
言葉を失った両親は黙り込む。耐え切れず怒鳴ったことを後悔した。
「ヨウスケ、やっぱり学校で何かあったんだろう?」
短い沈黙の後、父さんが言う。
「家でも元気がないから、おかしいと思ってたのよ」
気付いてた――気付かれていたようだ。僕が何も言わなくても、感じ取っていたんだろう。
「辛いなら無理して行かなくてもいいのよ……でもあなたが何で悩んでるのか、私たちも知りたいの、ヨウスケ」
これも夢でしかないのは分かってる。分かってるはずだけど、母さんに優しく声をかけられると涙が出てきそうになった。
夢の中でくらい、恥を捨ててもいいんじゃないか――? そう思えてきた。
「実は僕……僕はさ――」
学校でのことを何もかも、両親に伝えた。これまでどれだけ苦しかったかも、すべて。上手く言葉に出来ないところもあったけど、それでも二人は耳を傾けてくれた。
そして一通り話し終えたとき、僕は理解した。この辛い思いをずっと誰かに聞いてほしかったんだと。一人で心の中に溜め込んできたものを全部、吐き出してしまいたかったんだと。
「ありがとうヨウスケ、話してくれて」
「今まで我慢させて、ごめんね」
これなら、もっと早く打ち明けていれば良かった。もしこの夢から覚めたなら、現実の両親ともちゃんと話をしよう。自分だけで抱え込むのにも限界はあるんだから。
その決意が、やっと僕は出来たんだ――。
次の瞬間、僕はベッドの上で仰向けになっていた。低血圧で寝起きが悪いせいか、上手く頭が働かない。目も霞んでいる。
とはいえ、ここは僕の部屋に違いないだろう。まだ夢の中なのか?
そこで僕はあることに気付いた――雨が降ってない。これまでの夢では必ず降っていたはずが、今はまったく雨音が聞こえない。あれほどの豪雨なのに。
なら、もうあの夢は終わったんだろう。本当の朝がやって来たんだ。現実の両親と会える。会って、話が出来るんだ。
そろそろ起きよう。朝ごはんを食べに行こう。きっと母さんも待っているはずだ。 僕は体を起こそうとする――でも、体は動かない。
「…………?」
金縛りに遭ったように、体に力が入らない。まるで自分のものじゃないみたいに。
視界の霞みが晴れて見えてきた天井は、僕の部屋とは違っていた。染み一つない真っ白な、見覚えのない天井だ。
ここはどこだ? 僕は今どうなってるんだ? 明らかにこの状況はおかしい。普通じゃない。
「……それにしても、奇跡的だよ」
声がした。声からすると初老の男性だろう。視界から外れていて、姿は見えない。
「あの火事で助かるなんて。ご両親は残念だったが」
何だ? 何の話をしてるんだ? 両親? 僕の両親か?
「深夜で就寝中の出火だ。ご両親も一酸化炭素中毒で眠りながら亡くなって、恐怖も苦痛も感じずに済んだことだろう」
「ですが先生……」
今度は若い女性の声だ。二人とも、僕が目を覚ましてることに気付いていないようだ。
「彼だってこの火傷では、自力で体を動かすことも会話をすることも出来ません……彼の今後の人生を思うと私は……」
女性は、言葉を詰まらせた。おそらく二人は医者と看護師だろう。となるとここは病院?
寝てるうちに火事が遭って両親が死んだ? 僕も二度と動けないし喋れない?
何なんだそれは? ありえない。信じない。そんなこと現実にあるわけがない。
そうだ、これは現実じゃない。これが現実なんて信じない。悪い夢だ。僕はまだ夢を見てるんだ。早く起きないと。こんな夢からすぐ覚めないと。
僕は目を閉じた。
絶望症候群 黒砂糖 @kurozatou313
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