第2話 黒き濁りはやがて透き通る水色

とある町外れ、山の中の辺鄙な場所に、一軒の傾いた家がある。

文字通り円錐をひっくり返したような形状で、確かに傾いているのだが、地面に水平に窓や扉が付いている変な家。


そこには二人の人間が住んでいる。


世界に一桁数しかいないと言われる魔法使いの一人、バラム=ザック。

そして彼に弟子入りを認められた、見習い魔女のメリル=ラナタス。


人目を忍ぶその場所では一体どんな魔法の世界が繰り広げられているのだろうか――


「新しい魔法ができました」


 部屋の片隅で椅子に座ってぼんやりと手を見つめていた男が呟いた。傾いているはずの家の中は、驚くほど水平に保たれていて、球状の物を置いてもどこかに転がっていったりはしない。

 男は手の上に浮かんだ幾重もの魔方陣を一度潰すように握る。そうすると、魔法陣は霧散して見えなくなってしまった。


「あててみてよ、メリルくん」


子供の様にはしゃいだ表情を見せる男――バラムは、拳を握っては開く。その度に手のひらほどの大きさの魔方陣が浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。


「うぅん……」


 一方で話を振られた女性――メリルはバラムの手の平の上で浮かんでは消える魔法陣に目を凝らす。


(変換…? んん?)


 魔法陣には魔法を行使する為の術式が必ず表示されている。それを読み解く事で、どんな魔法がどのようにして成り立っているのかがわかるし、同時にその魔法を解くための解呪魔法を作ることが可能になる。メリルはバラムの手の平に浮かんでは消える魔法陣からそれを読み解こうとしているのだ。


(どうせろくでもないんだろうけど、それなのにこんなに巧妙に術式を重ねて……これはダミーね)


 メリルはバラムの出した魔法陣に釘付けだ。バラムがちょっと手を移動させれば、それを目で追うし、場合によっては体ごと移動している。本人はそれに気がつかないほど魔法陣を解く事に夢中になっているようだ。


(それにしても……)


 ひょいひょいと手を移動させて、メリルがそれを目で、体全体で追いかけているのを見ながらバラムは目を細める。


(でかいなぁ)


 メリルが動くたびに、一体何を食べればこんなに育つのかというほど大きな胸が"たゆん"という擬音がなりそうな動きをする。


「わかったかな?」

「わかりました!」

「ほう」


 しばらく魔法陣に集中していたメリルの表情が少し緩んだのを見たバラムは、不適な笑みを浮かべて声をかける。


「これは水を――」

「ブッブー、残念でした!」

「ちょ――」


 メリルが言葉を発するとほぼ同時にバラムが頭の上で大きく腕をクロスさえ、バツ印を作った。


「も、もっかい!」

「だめー」

「ケチ! 師匠のケチ!」

「はい、ケチです。外れたメリルくんはバツゲームとしてすぐさまコーヒーを淹れる様に」

「え?」


 こういう問答をしたときに間違えると、バラムはバツゲームを課す。それは毎度の事なのだが、悲しいかな、今のところメリルがバラムの魔法を正確に読み解いた事は一度も無く、メリルがバツゲームを回避した事は一度もない。

 バツゲームは時に過酷なものもあったが、今回のように簡単なものもある。


「コーヒーですか?」

「うん、コーヒー。はい、あと5、4」

「ええええ、ちょっまっ」


突然秒読みを始めるバラム。それに慌てたメリルはそれでも冷静に手の平の上に魔法陣を浮かび上がらせた。


「3、2」

「ええいっ!」


 バラムがカウントダウンを言い終わらないうちにメリルが手の平に魔法陣を展開させ、そこからコーヒーカップが現れた。


「うむ、よろしい。それではそれを飲みたまえ」

「え? いいんですか?」

「もちろん」

「やったーわーい、コーヒー! メリル、コーヒーだーいすき」

「なんだそれ?」

「いや、なんとなく」

「しかもなんで棒読み」

「いただきまーす」


 バラムの怪訝そうな顔を尻目に、目の前に浮かぶコーヒーカップを手に取り、口元へと持っていく。それを見たバラムはにや、と笑みを浮かべ始めた。


「これは……香ばしさのかけらもなく、色は透き通った赤褐色の水色……ってこれ紅茶!!」

「はい、おみごとー。私の魔法は、『魔法で出したコーヒーが紅茶に変わる魔法』でしたー」

「すごい!! ……いや、まて。使いどころがわからないんですが」

「メリルにコーヒー頼んだけど、やっぱり途中で紅茶が飲みたくなったときに使えるよ!」

「なるほど、そうですね! すごい! ってなんでやねん!!」


 思わず手の甲で虚空を叩くメリル。

 バラムはそんなメリルの様子をケラケラと笑ってみている。


「ほんと意味不明! 何これ! 何の役に立つというの!」


 大仰な身振り手振りでまったくもって使い道のわからない魔法に対して、最後には頭を抱えてしまうメリル。

 そんなメリルの肩をポンポンと叩くバラム。振り返ると、何だか可哀想な子を見るような目で見つめるバラムがいた。


「こんな事でくじけてちゃ、いつまで経っても立派な魔女にはなれないよ?」

「師匠……」

「さぁ、メリル! 立ち上がって!」

「はい! 師匠! 死んでください!」

「えっ」


 バラムの言葉に満面の笑みを浮かべたメリルは、次の瞬間それはもう色んな意味で凄い笑顔になると、そのメリルの持っていたカップから突如として黒い水柱があがった。


「ひえ」

「コーヒーの海で溺れて死ねえええええ!!」

「ごぼごぼざばー」


 コーヒーカップからは懇々と黒い液体――コーヒーが湧き出てきて、やがてそれは床を埋め尽くし、ところどころで水柱を上げながらその体積を増していく。


「はっはっはっは! あーっはっはっは! コーヒーだーいすきー!!」


 その部屋の中心でコーヒーへの愛を叫ぶメリル。

 バラムはというと、既にコーヒーの海へ水没しているようだった。


 やがて部屋を埋め尽くしたコーヒーだったが、コーヒーカップからは未だコーヒーが湧き出ており、とどまるところを知らない。

 耐え切れなくなった部屋のところどころからは既にコーヒーが漏れ出し、臨界点に達した部屋はコーヒーによる爆発を起こすことになった。



黒い雨が降る。

その雨を一口なめた人々は、口をそろえてこういったという。


「エスプレッソ!」




魔法使いと魔女がどうなったかは、誰も知らない。

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おかしな魔法使いと見習い魔女 八坂 @yaesaka3248

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