第9話 金曜日続きの続き

「松山先生に何ておっしゃるんですか…!」

横手教授はそう言われて、確かにと思った。松山教授に断るのは確かに面倒である。

「確かにそうだね」

「勢いでものをおっしゃるのはやめて下さい」

中田くんの頑なな態度に横手教授はイラッとした。

「君こそさっさと私に告白でも何でもすればいいものを、辞めるだなんだって…」

「言えるわけないです!!」

中田くんは涙ぐんでいた。

いつも冷静沈着、微笑みですべてを解決する中田くんがこんなにぐしゃぐしゃなのは初めてで、横手教授はドキッとした。



「こんな、男で、可愛くもなくて、仕事しか能のない僕が告白なんてできるわけない!」

中田くんはもう、自分でも何を言ってるのかわからなかった。

「やってみないとわかんないでしょ」

「わかりますよ!わかりきってる…!」

とうとう涙がこぼれてきて、横手教授がハンカチを探してる間に中田くんは自分のハンカチで涙を拭いた。自分が家にいればちゃんと持たせるのに、とこの期に及んで思う自分が嫌だった。涙を拭いて、中田くんは言った。

「結婚しないとかわかんないこと言わないで下さい。松山教授に逆らえないのに。僕は辞めるんで横手教授は結婚してください」

「断る」

「…だから!」

「あのね、どう思ってるかわかんないけど松山教授はそこまで横暴じゃないよ。ちゃんと理由があれば断れる」

「理由なんて…」

「あるでしょうが。私は君を手放すつもりはないから」

ぎゅん、と音を立てて矢が中田くんを貫いた。私は君を手放すつもりはないから。ないから。ないから…。こういうところだ。横手教授のこういうところに中田くんはやられたのだ。



「はい、この話終わり」

横手教授はコーヒーカップを置いた。中田くんが顔をあげた。目の周りが真っ赤である。

「お、終わってないです」

「私は結婚しない、君は辞めない、以上」

「い、いや、そんな、僕は辞めます。僕くらいの雑用は奥様が」

「くどい!」

横手教授は厳しく言った。

「君を失ってまで必要な奥様なんていないの」

「そんな…」

中田くんはおろおろと視線を彷徨わせる。横手教授はふう、とため息をついた。

「あのさあ、中田くん。来年のフィールドワークも再来月発表の論文も学会もできなくなるよ。」

「そっ、それは…!」

「中央アジアの文化人類学が2年は遅れる」

「困ります…!」

「そうでしょ。君がいる前提でスケジュール組んでるからそうなるの。わかったらさっさと仕事して」



中田くんは途方にくれた。この悩みに悩んだ一週間は何だったんだ。涙を流し、醜態をさらし、あれ、どさくさにまぎれて好きだってばれてたような。とりあえず、中田くんは平静を取り戻そうとコーヒーカップとコーヒーメーカーを研究室の簡易流し台洗い出した。

横手教授は中田くんの背中に向かって言った。

「中田くん、来年のフィールドワークは一緒に行く予定だから」

「は、はい」

「それまでに私を落とせるといいね」

中田くんはがばっと音をたてて振り向いた。横手教授はいつも通りのけだるさで煙草を吸っていた。



研究熱心なことはわかっていたが、何を考えているかイマイチわからず、いつもクールだなと思っていた。教授の事が好きで好きで、動揺して泣いたり喚いたりする中田くんは、悪くないなと横手教授は思った。どこまでかと言われると悩むが、少なくとも人類の中で一番手放したくない存在なのだ。しかも動揺する中田くんはまあまあ可愛かった。そう思って見てみると、引き締まった背中も赤い耳も可愛らしい。あんな表情をこれからも、引き続き見られると思うと、今回の事件も捨てたものではないなと教授は思った。


中田くんは、これからどうなるんだろう、と思った。


こうして一週間が終わり、横手研究室は平静を取り戻した。

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横手教授と中田くん 宮原にこ @Goro56

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