第11話 再会……そして――

 先を行くリヴァイアサンの背を追いかける黒バラ。

 その船首甲板には船長レベッカの姿がある。目は少し充血し、頬には涙の乾いた跡が見て取れた。


「まだ、着かない?」

『会いたいのは分かる。だが少し落ち着け……。一分に一度言われると、聞いている私も辛い』

「ご、ごめん」


 リヴァイアサンに言われ、叱られた子供のように身を縮めしょんぼりするレベッカからは、大海洋の吸血鬼と恐れられた禍々しい雰囲気はどこにも感じられない。

 本来、これが彼女の自然な姿なのだろう。荒くれを纏めるために女を見せないよう、レベッカは常に気丈に振舞ってきた。

 ただひたすらに手がかりを探し、殺し、奪ってきた海賊としての人生。それはここへ来るために犯してきた罪。だが彼女自身の生き甲斐であり、生きる意味でもあった。

 その目的が達成されようとしていることに、素直に喜びを感じているのだ。



 素の状態に戻っていることを、レベッカ自身は気が付いていないようだった。

 海竜と親しげに会話をする船長の姿を、羨望と畏敬が混同したような眼差しで見つめる船員たち。ある程度の距離を置いてその様子を見守っている。


 海竜と黒バラの移動する波音しか聞こえない海域。青空を拝める普通の海の風景とは違い、空はセピアがかった色味を帯びている。

 どこか懐かしいような、そんなノスタルジーを感じる情景。


 すると突然、リヴァイアサンはその場で止まり、空を見上げ嘶きとともに前方へ波を起こす。

 それは彼の身長を軽く越すほどの大海嘯。リヴァイアサンの起こした《タイダルウェイブ》は何もない海面を滑る。

 白波を織り込んだような青と白のマーブル模様が、次々と起こる波を覆い、どこまでもそれを遠くへとさらっていく。


「ん? あれは……」


 波が去った後の海上に何かを見つけたレベッカ。それは船を係留させる為のポートのようなものだった。しかし先ほどとは違う点も存在している。晴れていた景色は、またしても濃い霧に包まれ、ポートから先は何も見えない。

 木の板が張られただけの簡素過ぎる造りだが、何とか降りられそうだ。


『ここから先はおまえ自身の歩みで進め』

「でも、何もない――」

『あの霧の向こうに、お前が求める答えがある……』


 リヴァイアサンの言葉に、霧に向き直ったレベッカは不安げに眉を寄せた。そして海竜は船員たちにも声をかける。


『お前たちも会いたい者がいるのなら降りてみるといい。ここは海で死んだ者が集まる船の墓場だ。霧の向こう側は人によって見る景色も感じる匂いも違う。別れを言いたい者は降りるといい』


 海竜の声に、船員たちは顔を突き合せるようにして見合う。

 ある者は妻を、子を……。そしてある者は家族を、友を……。皆それぞれ違えど、大切なものを無くして生きてきた。

 一人だと思っていた。だが掛け替えのない仲間に出会い、そして今、ここでこうしている。

 救えなかった後悔。別れを言えなかった無念。

 男たちは決心したように、海で亡くした人を求めて一人、また一人と船を下りていく。そして霧の中へと消えていった。


『行かないのか』


 リヴァイアサンはレベッカに振り返ると優しく話しかける。

 だが俯く彼女は口を噤んだまま。……彼女は悩んでいた。

 ここまで来るために生きてきた。しかし言い知れぬ不安と、身を切られるような切ない思いとが心中を渦巻く。

 もう、闇に囚われながら生きるのは嫌だ。呪縛から解き放たれたい。だからと言って許されようと思っているわけではなく……。

 レベッカは矛盾している相反する心情に惑う。


「あたしは……」


 葛藤する思いの中踏み出した一歩。ゆっくりだが確実に下船口に向かうレベッカ。

 複雑な思いを胸に抱き、彼女は黒バラを……下りた。

 そしてポートからリヴァイアサンを見上げる。


『行ってこい』

「……うん」


 彼の言葉に頷いた彼女は踵を返し、立ち込める霧の中へと足を踏み入れた。

 海竜はその背中を、霧に包まれて消えるまでの間、ずっと見送っていた――――。



 霧の中を歩くレベッカの足取りは、まるで鉄球の付いた足枷を付けられているように重い。

 景色が変わり始めたのは、霧に入ってから2、3分くらい経ってからだ。見慣れた風景が彼女の目の前に広がっていた。


「ここは……ラスタルテの、街……」


 彼女が生まれ、そして育ち、仲間と出会い、海賊になることを決意した街。レベッカの始まりの街だ。

 更に歩を進めて行くと、急に視界が歪み、見ていた景色が一変する。

 パズルピースを嵌め込むように戻るすべて。場所は、『アジト』と呼んで集会を開いていた街の片隅にあるボロ小屋だ。

 そしていくつかの人影を見つけたレベッカは、その影が色を映し出すとハッとして息を呑む。


「み、んな……」


 彼女が見たのは、十年前に死に別れた、当時の背格好のままの仲間たちだった。

 堪えきれない涙がレベッカの頬を伝う。

 その中にはもちろん、恋人のアルフレッドの姿もあった。貴族らしく身なりの整った服装で、黒のパンツに白の長袖シャツ、そして上には金糸で刺繍の入った高そうなジレを着ている。


 航海に出た時のまま、皆あの頃と変わらない。綺麗な刻の思い出に涙するレベッカ。

 その様子を彼らは微笑を浮かべて見つめている。そんな彼らの笑みの意味が分からずに、彼女は声を荒げた。


「なんで……なんで笑ってられるんだ……あたしは――」

『ベッキー』


 最初に声を上げたのはアルフレッドだった。

 彼はレベッカに歩み寄るとそっとその肩を抱く。


『もう、自分を責めるのはやめろ』

『そうだよベッキー』


 同調するように響いたのはアディの声だ。それを皮切りに、彼女へ次々と声がかかる。


『レベッカは無鉄砲だからな』

『今まで、たくさん苦労してきたんでしょ』

『俺たちは知っている。レベッカがここへ来るために海賊を続けてきていたことを』

『そして、絶望しそうになりながらも、立ち止まらずに走ってきたこと』

『辛かったね……ベッキー』


 バルテル、クリッシー、ダニロ、デイジー、エリックも彼女を責めるような事は口にしなかった。


「なんで……あたしは……あたしのせいで、あんたたちを――」


『そんなこと思っていないさ。お前と航海に出れたこと……俺たちは後悔なんかしていない』

『そうだよ。辛かったけど、でも、それ以上に楽しかったよ』

『みんな、お前のことが好きなんだぜ』

『ベッキーだったから、僕たちも付いていけたんだ』


「みんな…………」


 アルフレッドの腕の中で大粒の涙を零すレベッカを案ずるように、仲間たちは彼女に歩み寄ると抱きしめ、肩を叩き共に涙する。

 共有してきた掛け替えのない時間は、決して嘘やまやかしではない。本物だった。


『だからもう、一人で抱え込んで自分を殺さなくていいんだ、ベッキー。これからは、お前の幸せのために生きろ』

「……アル……あたしは――」

『愛してる。レベッカ』

「っ!? ……あたしも…………あたしも愛してる、アル」


 気付いた時、彼女を取り巻いていた仲間たちは一人ずつ消え、今はもうアルフレッドとレベッカ二人きりになっていた。

 離したくない思いから抱きしめる力が一層強くなる。互いに離れたくはない。

 だが彼女を剥がすように先に肩を突き離したのはアルフレッドだった。


「アル……?」

『ベッキー……もう時間のようだ』

「どう、して」

『お前の思いが、俺たちの思いが……無念を晴らした。俺たちは、ここで楽しくやるさ。……いつまでも見守ってる』

「いやだ! あたしは――――」

『もうお前は一人じゃないはずだ。慕い、付いてきてくれる仲間がいる。そうだろう?』


 レベッカは彼の言葉で気付いた。笑顔で迎えてくれる船員の顔。今まで死地を共にし、戦ってきた仲間の顔。

 彼女の心に安らかな気持ちが芽生える。過ごしてきた時間の中で気付かぬ内に蒔かれていた種。それは根を下ろし、絶望の中にありながらもしっかりと成長していた感情だった。


「……そう、だな。アル」


 見返したアルフレッドの身体は徐々に薄くなり、光の粒子となって少しずつ消えていく。伸ばした手は彼の身体をすり抜けて空を切った。


『さようなら、ベッキー』


 彼の最期の言葉。それだけ言い残すと、アルフレッドは幽かな光となって消失した。

 レベッカはコートの袖で涙を拭くと、彼の言葉に返事する。


「さようなら……アル」


 天井を見上げ目を閉じたレベッカが次に目を開けた時、そこは黒バラの係留するポートだった。

 目の前では海竜リヴァイアサンが彼女を見下ろしている。


『これからどうするんだ』

「…………」

『お前はこのために生きてきた。辛い思いをしてきた。そして今それを許された。これからどうする』

「あたしは――――」


 彼女が言葉を発しようとしたその時、後方から声が聞こえた。


『姉御ー!!』


 むさ苦しい男たちの声。それは大きな足音を静かな空間に響かせながら近づいてくる。

 その声に振り返ることなく、くすっと小さく笑ったレベッカは海竜を見上げて返答した。


「続けるさ……海賊を。本当の自由を求めてな」

『そうか』


 そう呟き静かに目を閉じたリヴァイアサン。口元を緩めて笑った気がした。

 騒音を轟かせながら走ってくる仲間たちに、レベッカは振り返ると声を張り伝える。


「黒バラは不滅だ。七つの海を支配するまで止まらない。これから忙しくなるよ! お前たち、さっさと準備しな!」

『うおぉぉぉぉ!!』


 盛大な歓声の後仲間たちは全速で船に駆け込む。各員がすぐさま持ち場に就くと、帆を降ろし錨を上げ、船の墓場から脱出するための準備は早々に整った。

 レベッカも黒バラに乗り込むと船首甲板へと上げる。そしてリヴァイアサンに声をかけた。


「道案内、頼むよ」

『もうここへは来られないが、いいのか』

「……ああ。あたしはもう、前を向いて生きていける」

「……分かった。付いて来い」


 そう言って海竜は一度水中に潜ると、進行方向である黒バラの右舷側へと再び顔を出す。


「ニコライ、操舵は頼んだよ」

「了解です」


 それだけ言うとレベッカは一人船長室へと入った。


 帽子をソファーに投げ捨て、備え付けの机へ座ると、引き出しから分厚い本のようなものを取り出す。

 そして徐に開いて白紙のページへと送る。その途中見え隠れしていた文面から、航海日誌のようなものだと分かった。


「もう、これは必要ないんだ……」


 寂しさを含ませたような微笑を浮かべ呟くと、置かれていた羽ペンにインクを付け、今日の日付と共に言葉を書き添える。


『ありがとう。みんなに会えてよかった。出会えたことも、航海したことも……全部忘れない。さようなら』


 ページの右下に“end”の文字を書き加え、ペンを元の場所に戻す。

 立ち上がった彼女が静かに閉じた日誌の表紙には『After that~』と書かれていた。

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海賊令嬢の航海 ~黒薔薇のゆく果てに~ 黒猫時計 @kuroneko-clock

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