第10話 対リヴァイアサン
「姉御、見えやした! 時計塔です」
静かな海に響いた見張りの声。海を切って走っているというのに、その音すら聞こえない沈黙の海。
長くこんなところにいたら気が狂いそうだと、レベッカは頭の片隅で思っていた。
船員の声に顔を上げた彼女は、確かめるように進路を見据えると、確かに尖塔を持つ鐘楼付きの屋根と文字盤が確認できた。
海面から斜めに突き出る時計塔。海図に描かれているものと形は一致する。
徐々に時計塔との距離が縮まってくると、穏やか過ぎる海に異変が生じた。
突如、時計塔の鐘がなったのだ。沈黙の海には大きすぎるその鐘の音は荘厳な響きを轟かせる。
左右に振れる金色の鐘。来訪者を迎えるためか、もしくは進入を知らせるものなのか……。どちらとも取れる不気味な雰囲気が海域に漂う。
「油断するんじゃないよ。化物が出てくるかもしれない……」
緊張の只中にある黒バラの船上。ゆっくりと時計塔を通り過ぎると同時に鳴り止んだ鐘楼の音に、皆が揃って不安そうな顔をした。
辺りを見渡し異変が起きないかうろたえる船員たち。
レベッカの頬を汗が伝う。別に暑いわけではない。それは辺りを包むピリピリとした緊張感と、息をするのも忘れるほどの緊迫感からだった。
すると突然、フォアマストで見張っていた船員から船長に声がかかる。何かを見つけたようだ。
「あ、姉御っ! ぜ、前方に、渦潮が出現しました!!」
「なにっ?! 大きさは!?」
「で、でかい、です……し、しかも、あ、あれは……」
「どうした!?」
「り、リヴァイアサンですっ!!」
見張りの言葉に船上にいる全ての者は驚愕する。船員の多くは
レベッカは駆け出し船首甲板に上るとその存在を確かめようと望遠鏡を伸ばした。
遠目に映ったその姿。
巨大な渦の中心で首をもたげる蛇のような生物。全身をまるで、水晶のような透明で硬質の鱗で覆い、半透明で透ける皮は海よりも美しい青色だった。
それには腕のようなものがあり、五指の先は鋭い鉤爪状で鋭利な刃物のようだ。
畳まれた翼のようなヒレは蝙蝠の羽のような形をしているが、飛行するためのものではないだろう。
計五本の角を持ち、神々しいまでの輝きを放つ異色の存在リヴァイアサン。
その出現と同時に海域は時を取り戻したように音を奏でた。波音は渦巻く海水にかき消され、それすらもリヴァイアサンの嘶きに消える。
ドラゴンとはまた違った咆哮の色。まるで聖歌隊が歌うように響く美声に心奪われそうになるも、レベッカは気をしっかりと持ち、各員のフィアーを吹き飛ばすように発破をかけた。
「奴が敵か見方かは分からない。死にたくなければ海戦の準備しな!」
「……お、おおぉぉぉ!!」
船長の声により状態異常を振り切った船員たちの返事を確認すると、レベッカは砲撃リーダーのカルロスに向かって声を張る。
「カルロス!!」
「なんです?」
「“アレ”の準備してくれ」
「使うんですか?!」
「何のために積んでると思ってる……あんたの腕、当てにしてるよ」
「分かりました、任せてください!」
そう言うとカルロスは、メインデッキから砲列甲板へと降りていった。
レベッカは船尾楼へ戻ると、操舵をニコライに完全に任せることを伝え、自身は一旦船長室へと入る。
ソファーにかけておいた船長のコートと帽子を身に付け、腰ベルトに
一層甲高い咆哮とともに大気が震える。黒バラを捉えるように顔を正面へと戻したリヴァイアサンの両目は、敵意を剥き出した赤い色をしていた。
再び船首甲板に立ったレベッカは敵を見据える。すると彼女の姿が目に映ったのか、リヴァイアサンもその瞳を見返した。
見合う海竜の赤瞳から憂いを感じたレベッカは、一瞬だけ心が揺らいだ。言い知れぬ悲しみをその瞳が訴えかけてくる。
だが次の行動でそれは愚かだと悟った。首を上空に向けたリヴァイアサンが黒バラに向かい先制攻撃を仕掛けたのだ。
その口から放たれた巨大な水弾は形を崩さずに真っ直ぐ船へと向かう。
あまりの大きさに戸惑いはしたものの、自分の船の火力を信じ、砲列甲板船主側で待機しているであろうカルロスに、レベッカは砲撃の合図をする。
「船首六連式回転多重散弾主砲、撃てぇ!!」
彼女の声に重なる轟く砲声。六連の砲筒が回転し次々に砲弾を発射する。
六連式回転多重散弾主砲は六回転、計三十六発の砲弾を打ち出す。それらは一つの弾が多数に分裂する散弾式で、黒バラの持つ最高火力の隠し兵器と言える代物だ。ちなみに船尾にも三連だが装備されている。
幾百にも分裂した弾は迫り来る水弾に向かいぶつかる。その威力を相殺するには至らなかったが、破壊力を大幅に削ることには成功したようだ。飛んできた時よりも随分と縮小されている。
レベッカは徐に曲刀を抜き放つと、ボウスプリット(斜檣)へ移動した。
そして速度、威力ともに落ちた向かってくるリヴァイアサンの水弾を、船に被害が及ばないように刀で真っ二つに切り裂く。
半分に割れた水弾は左舷と右舷へ分かたれ、音をたてて海に落ちた。
「いける……伝説の海竜だろうと……この、黒バラなら! ニコライ!」
彼女の声の意味を察したのか、ニコライは操舵輪を左へ目一杯に回す。大渦を避けるように進む黒バラ。リヴァイアサンを横切るように向いた船体は右舷の砲門を全開にしていた。
距離とタイミングを計ったようにレベッカは、再び狙撃班に合図をする。
「右舷側火砲、目標は海竜だ。絶対当てな! 撃てぇ!!」
合図と同時に放たれた黒バラの大砲。その衝撃は船体を揺るがし振動が甲板へと伝う。
黒煙と同時に火薬の匂いが充満し、船員たちはそんな中次弾の装填へと入る。
放たれた砲弾はリヴァイアサンの顔を目掛けて放物線を描きながら飛んだ。着弾すると同時に海竜は声を上げたが、そこまでのダメージは負わせられなかったようだ。
しかし渦巻く海水の勢いが、先ほどよりも弱まっていることに気付いたレベッカは妙案を思いつく。
「チッ。こうなったら直接主砲を叩き込むしかないか……ニコライ、船を回頭させな!」
「どうするんです?」
「回頭しつつ砲撃。正面向いたらあたしが奴に飛び移る。頃合見計らって主砲の一斉射撃」
「無茶ですよ! 危険すぎます」
「こんなところで手間取るわけにはいかないんだ!」
苦渋を顔に浮かべたニコライは、彼女の意思を汲み渋々了承した。
「どうなっても知りませんからね!」
「元より承知だよ」
額に汗を浮かべながらレベッカは苦笑した。自分自身、危険なことは十二分理解しているつもりだ。
どうせ過去に捨てた命なら、今更惜しくはない。再び仲間に会えるなら……その思いが彼女を突き動かす。
黒バラは回頭しつつ海竜への砲撃を続ける。悲鳴のような歌声を聞きながら船体は大きく左へ旋回し、今度は左舷側の火砲が火を噴いた。
数十もの大砲が奏でるドラムのような音とともに歌うリヴァイアサン。船首が目標の正面を向く頃、海竜を取り巻く渦は小さくなっていた。
「いける!」
レベッカは近づくリヴァイアサンの腕にボウスプリットから飛び移ると、それを足掛かりに跳ね頭へ移った。角に捕まり勢いをつけて上空へ跳躍すると、一回転しながら曲刀を振り下ろしリヴァイアサンの頭部に切りつける。
「はぁ!」
鳴り響いた高い金属音。しかし頭部の鱗は相当硬く、ブロウウイングの刃をいとも簡単に弾く。
僅かな傷を付けただけで大したダメージは期待できない。
「チッ、ならこれで!」
続いてレベッカが取り出したのはオルトロスだ。
ユニコーンのように額から突き出る一本の角に銃口を添えると、迷わず引き金を引いた。重たい銃声が海域に響く。だがやはり効果は薄い。分厚い壁にも穴を穿つオルトロスですら傷が付くだけだった。
為す術はないのか、と悔しさから歯噛みしたレベッカだったが――――。
効果はないようにも思えたしばしの沈黙の後、その様子が突如として一変した。痛みからかリヴァイアサンが暴れだしたのだ。
直面する船長の危機に船員たちは声を揃えた。
『姉御ー!!』
叫び声とともに黒バラは真っ直ぐに海竜に突っ込んでくる。そして――――。
船首六連式回転多重散弾主砲がマズルファイアを噴出すと同時に砲弾を連続して撃ち出した。
レベッカはリヴァイアサンの頭から船首甲板に飛び移ると、それを確認したニコライが取舵を一杯にきり、海竜の体を掠めるように避ける。
煙を上げる着弾点。やがて晴れる頃、海竜の胸部を覆う水晶の鱗は所々剥がれ落ち、皮が裂け出血していた。
『うおぉぉおお!!』
伝説の竜に傷を負わせたことを喜ぶ船員たち。しかし船長の表情だけは浮かない。逆鱗に触れでもしていたら、助かる見込みはないからだ。
動かなくなったリヴァイアサンを見つめるレベッカ。だが少しして発せられた声が、そんな彼女の不安を拭い去った。
『なかなかやるな、人間風情が』
「えっ?! しゃ、喋った」
『竜が喋るのがそんなに珍しいか』
「…………」
『驚きのあまり声もだせんか……まあよい。ところでお前はここへ何しに来た』
気付けば黒バラの至近距離で、身を乗り出してレベッカと会話をするリヴァイアサンに、乗員は皆口を開けて唖然としている。
「あんたは気付いてるんじゃないのか?」
『何のことだ』
「あたしの目的を……」
『船の墓場、か』
「あんたなら知ってるだろう。なあ、案内してくれないか。……会いたい人が、いるんだ……」
『友と恋人か……。もう一度会ってどうする。後悔するかもしれんぞ』
海竜の言葉に声を詰まらせるレベッカ。俯くその瞳は涙で濡れていた。
ややあって顔を上げた彼女は、真剣な眼差しでリヴァイアサンに返答する。
「罰を……受け入れるためだ。死ねと言われれば死ぬ覚悟だってある。その為に、あたしは今まで、生きてきたんだ……」
『…………。そうか、分かった』
「えっ…………連れてって、くれるの?」
『生半可な気持ちじゃないことは分かった。お前は今まで見てきた人間たちとは違うようだ。想いの強さが違う。……付いて来い、案内しよう』
仲間にまた会える。そのことがレベッカにとってどれだけ大きいことか。
知らず知らずの内に海賊船長ではなく、一人の女性に戻り咽び泣く彼女を見れば、自ずと分かるだろう。
波音に抱かれるように響くレベッカの慟哭が、リヴァイアサンとともに歌を奏でる。
レベッカの悲しみを知る数少ない船員の一人ニコライは、微笑を称えながら彼女の背中を暖かく見守っていた。
船首に背を向けて進む海竜の背中に、彼は操舵手としてしっかりと舵を握り締め、黒バラを追随させる。
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