第9話 幽霊船に導かれ

 ゆっくりと瞼を開けたレベッカは、星空を見上げた。

 嵐の過ぎた後の空はどこまでも高く澄み渡って、煌く星の輝きをより一層目立たせる。

 彼女は胸に手を当て、しばらくの間夜空に見入っていた。



 過去は過ぎ去った経験だ。

 今更嘆き後悔しても遅い。軽い気持ちで海賊になんかなったから友を、恋人を失った。

 そして自分自身の人生までも……。ロレンツォに言われた言葉「海賊だけが人生じゃない」

 たしかにそうかもしれない。でも自分は海賊を選んだ。人並みの幸せを得ることは、罪深いことだと、それが罰であると自らに言い聞かせて今まで走ってきた。ただひたすらに……。


 今更許しを請おうとは……いや、許してもらえるとはさらさら思っていない。それだけのことをした。

 だけど、もう一度。もし会えるのならば、会って話したい。許してもらうためではなく、罰を受け入れるために……。



 大きなため息を一つ。抱きとめてもらおうと、星々を抱く漆黒の空に浮かべたレベッカは静かに目を閉じる。

 ややあって、頭を振った彼女が瞼を開けた時、背後から迫る涼しげな気配に気付く。

 突如自分の体を包み込んだ白い霧。先ほどまで海上に霧は発生していなかった。船倉にいた船員たちも異変に気付いたのか、食事を早々に切り上げメインデッキへと次々に躍り出てくる。


「姉御! これは……?」

「知らん。なにが出てくるか分かんないから、お前ら気を抜くんじゃないよ!」


 周囲を見渡す船員たち。うろたえている間にも霧は更に濃さを増し、もうどちらが右か左か分からないほどに立ち込めている。

 レベッカも状況を把握するため辺りを見渡す。すると右舷の方角に薄っすらとぼやける、灯りが揺らめいているのが見えた。ランタンだ。


「敵艦かもしれない……お前たち、砲門開けて準備しな!」

『おいさ!』


 船長の命令に返事をした船員たちは、砲列甲板ガンデッキへと降りていき右舷に位置する砲門を全て開ける。

 砲筒に砲丸を入れて待機する船員たち。相手の出方を伺うように息を凝らし唾を飲み込む。黒バラを極限の緊張が包み込んだ。

 こんなに深い霧だと岩礁の位置も視認出来ない。乗り上げて船底に穴でも開いたら終わりだ。それにもし相手が帝国艦ならその大きさにもよるが、至近距離での戦闘はなるべく避けたい。それは海賊船でもまた然りだ。


 少しずつ黒バラと未確認の船舶との距離が縮まっていく。すると突如として変わった空気の流れ。それは肌で感じられた。

 それと同時に切られた相手船舶の舵。まるで黒バラに並走するような形をとった。至近距離を航行するその影は黒バラを凌駕する大きさだ。

 見たところ帆船のようだが、その船体はボロボロで貝類が付着しているのが幽かだが見て取れる。

 広げる帆も風を捉えられないであろうと思わせるほど穴が開き、どういう原理で動いてるのか不思議に思うほどにボロい。


 そんなボロ船の船尾楼。霧に浮かぶ青白い人型の発光体は、向かいにいる黒バラの船尾楼で縁につかまるレベッカに振り返る。

 霧の中でも確認できるその人物の顔は白骨だった。


「まさか……これが噂の、幽霊船……」

「あ、姉御!」


 驚愕の表情を浮かべるレベッカ。船員たちもその船の大きさと、醸し出される不気味な雰囲気と冷気に恐怖しているようだった。

 幽霊船長の駆る伝説の幽霊船。船乗りの間で語られる、船の墓場への案内人。


 レベッカがその幽霊船長を見返すと、彼は右手で帽子を軽く持ち上げて彼女に向かい挨拶した。その行動に目を見開き驚いたのも束の間、彼は付いて来いと言わんばかりに船首の先を指差して合図する。


「姉御、どうするんです?」


 いつの間にか舵を取っていたニコライがレベッカへ声をかけると、彼女はさも当然のように返答した。


「付いてくに決まってるだろう……お前たち、さっさと帆を張りな!」


 船長の決定に不満を漏らす声は上がらない。持ち場に戻った船員たちはこの濃霧の中、てきぱきと自らの役割をこなす。

 恐怖もあるが、それよりもこの先に何が待っているのか、皆それへの好奇心の方が勝っているようだ。


「見張り! 絶対にあのランタンの灯りを見逃すんじゃないよ!」

『分かりやした、姉御!』


 三本のマストと船首甲板にいる船員たちが声を揃えて返事をする。それに頷いたレベッカも右舷斜め前を航行する幽霊船を見失わないように目を凝らした。



 それからしばらくの間、黒バラは霧の中を航行することになった。一体いつまで続くのか。視界は極めて悪く、気流の影響で霧はその濃さを変える。何度も幽霊船のランタンを見失いそうになりながらも、なんとかといった調子で黒バラは付いていく。

 一向に目当ての墓場へ着く様子がなく、退屈なのともどかしい気持ちとでレベッカは少し苛立ち始めていた。


 幽霊船の航行速度は相変わらずの鈍足で、それがレベッカのイライラに更に拍車をかける。


「いったいいつまで付いてけばいいんだ!」

「あ、姉御、落ち着いてくださいよ」

「落ち着いてられるか!」


 ニコライがなだめ落ち着かせようとするも、レベッカの腹の虫は治まらない。怒りだしたら手がつけられなくなるため、早々の沈静化を図らなければ……。

 半ば面倒くさそうな顔をしたニコライが、メインデッキにいた船員に何か食べるものでも用意させようと、船員同士の合図を交し合ったその時だった。


 夜霧の中とは思えないほど眩い光に包まれ目を閉じた一瞬――――。次に瞼を開けた時、船は静寂の海の上にいた。

 先ほどまで立ち込めていた霧はどこにも見えない。視界は良好だ。

 だが普通ではないことが分かる。まるで時が止まっているかのような、そんな静けさがこの海を包み込む。自分の息遣い、鼓動までもが聞こえるような息苦しい沈黙の海。波の音すら聞こえない。


「あれ、幽霊船は……」


 レベッカは気付いた。追っていた幽霊船がいつの間にか忽然と姿を消していることに……。


「どうなってる? まさかここが船の墓場……?」


 しかし『船の墓場』と云われる所以となっている、船の残骸が積み重なっているような奇怪な光景はどこにもない。

 というよりこの場に、見渡せる範囲には何も存在していない。不安を感じその場で周囲を見渡したレベッカはあることを思い出した。


「そうだ、あのコンパスは……」


 操舵輪の隣の台座まで行くと、髑髏はある一点を指して静止していた。それは西、つまりは左舷側で、普通のコンパスで言うところの西北西を示している。


「ニコライ、取舵だ」

「了解しました」


 返事をしたニコライは舵を左舷側に回す。そして髑髏が真っ直ぐ向いたことを確認したレベッカは再度ニコライに指示を出した。


「取舵に当て!」


 操舵輪を軽く戻して進路を西北西にとった黒バラは、しばらくの間沈黙の海を航行する。

 レベッカはスカートのポケットから老人に手渡された海図を徐に取り出すと、それを広げた。

 手前には海面に顔を出す時計塔が描かれている。


「とりあえず、こいつを見つければいいわけか」


 次なる目標を確認したレベッカは船尾楼から各マストの見張りに向かって声を上げる。


「お前たち、沈んだ時計塔は見えないか?」

「いいえ、見当たりません!」

「同じく」

「俺もです!」

「分かった。見つけたらすぐに教えな」

『了解ッス!!』


 海図に目を落としたレベッカは、時計塔の先に待ち構えているであろう存在を危惧していた。

 船の墓場へ行くには出会わなければならない。伝説の海竜に……。


 戦わずして通れればいいが。地図に描かれた長大な蛇、海竜リヴァイアサン。

 海洋に生きるモンスターの中で最強と謳われる化物。出会ったら死を覚悟するしかないとまで言われているモンスターに、どう立ち向かおうか……。

 彼女は恐怖からか振るえている。だがそれだけではない。口元に微笑を浮かべ、普通に生きていては決して見果てぬ夢、その存在を見られるという好機。

 レベッカはその事実に武者振るいをしている。


「鱗でも剥がせたら……あたしは伝説になれるだろうか……」


 レベッカは、皺になるほど海図を強く握り締めると、静寂の海に一人呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る