第8話 追想

 時間にしておよそ五時間。

 船体は波に遊ばれて左右に傾き揺れ続け、刺すように鋭く打ち付ける雨は、黒バラに乗る全ての人間の体力を容赦なく奪っていった。

 それは船長のレベッカも例外ではない。


「うぅ……」


 とりあえず去った嵐。見上げる空はまばらに雲を残し、橙色の色彩を映す。

 座礁することなく、奇跡的に船体の損傷もほぼない黒バラの船尾楼。レベッカはその縁にもたれかかり、顔を青ざめながらぐったりとしている。


「大丈夫ですか? 姉御」


 そんな彼女を気遣うように、平然とした様子のニコライはしゃがみ、脱いだシャツを団扇代わりにして仰ぐ。


「お前は、何で、平気なんだ……うっ」

「それは、慣れですかね」

「こんなの、どうやったら慣れるんだ! うっぷ、気持ち悪い……」

「大丈夫ですか?」


 大丈夫なわけがないだろう、と言う代わりに首を左右に振ったレベッカ。まあそうだろうと思いつつ、苦笑いを浮かべながらニコライは手を動かし続け風を送る。


 甲板では大砲にもたれかかる者、マストに背もたれる者、極度の船酔いで海に向かって嘔吐する者など様々いる中で、中には散らかった甲板の掃除をしたり帆の点検をするつわものもいる。頼もしい限りだ。


 少し気分がよくなってきたのか、レベッカはふらりと立ち上がるとその場から辺りを見渡す。

 揺られている最中、幽霊船を必死に探していたが結局見つからず、挙句船酔いまでする始末。

 今も過ぎ去った嵐の残滓が白波となって流れる海を遠くまで見てみるも、幽霊船の影すら視界には入ってこない。

 キョロキョロしている船長にニコライは、その心情を汲み取ったのか、残念そうな顔をして声をかける。


「幽霊船、見つかりませんでしたね」


 だがその言葉はレベッカを失望させ、落胆する彼女に更に追い討ちをかけた。

 しまった、といった不味い表情を浮かべたニコライは、ガックリと項垂れる船長からゆっくりと後退り、その場を離れ操舵輪へ戻る。




 陽は水平線へと今にも沈みそうだ。もうすぐで夜が来る。

 沈みゆく太陽に視線を向けたレベッカは、ため息と共に目を伏せた。爽やかな風を肌で感じ、遠い日を思い出す。見つけなければならない幽霊船。焦りを押し殺して冷静を装う。

 再び彼女がまぶたを開けた時、既に陽は完全に沈み、雲に残照の色を映していた。



 夜の訪れと共に灯された船尾のランタン。闇に浮かぶ黒バラの船体がそこにあることを知らせるオレンジの炎。

 船内では、船倉甲板に設けられた調理室にて、調理担当の船員たちにより夕食の準備が進められていた。

 しかしレベッカは一人、メインデッキで穏やかな海を眺めている。その左手に髑髏のコンパスを握って。


 嵐の去った海は優しい声を響かす。まるでセイレーンの歌声のように。

 聞こえる波の音に耳を傾けながらレベッカは、懐かしくも苦しい過去を思い返していた。



 ――――十年前――――

 彼女は十六歳の誕生日を向かえ、親同士が勝手に決めた許婚との婚約の話を親から切り出される。

 相手は同じく伯爵家の御曹司。容姿も優れており知性と品性に溢れ、レベッカより二つ年上で博士号まで持つほどの秀才。

 しかし彼女に結婚の意思は有らず。昔からの幼馴染で友人である子爵家のアルフレッドと、悪友だったバルテル、ダニロ、エリック、アディ、デイジー、クリッシーと共に海賊になることを決意する。

 束縛された生より、スリルある自由を求めて……。


 彼女の武器は家にあった、バルトシュタイン家に代々伝わる宝刀。黒鞘に収められた曲刀『ブロウウイング』。鍔部分に手を守るような形で黒鳥の両翼があしらわれた、血を吸ったことすらない白銀の刀身を持つ美しい刀。

 そうしてメンバーそれぞれが街から奪った武器や、家にあった道具を持ち夜の港に集合した。


 目を付けた船は小型の帆船だ。ダニロの父親は漁師であるため、帆船の扱いは幼い頃に覚えている。バルテルは昔から乱暴者で通っていて前科があり、見張りを熨すのに一役買った。


 そうして係留していた帆船を奪ったメンバーは、ダニロの操船により街から離れる。自由への航海の始まりだ。

 この時のレベッカは、この行く当てのない旅路が、無事に、平穏に済むものだと思っていた。

 海上で巨大な装甲帆船に出くわさなければ……。


 そいつは夜の海に突如現れた。まるで島かと疑うほど巨大な要塞と見紛う形をした物体。帆が張られていることから船だと言うのはなんとなくだが分かった。そしてそれの頂に掲げられる旗。

 見上げ気付いたメンバーの一人、バルテルが言った。「まずい、奴隷商船だ!」

 それに気付いた時すでに遅く、レベッカの乗る船は数隻のボートに囲まれていた。相手は武器を構えているため、殺されるものだと思っていたレベッカの体は恐怖からか振るえ、涙を堪え歯はカチカチと音をたてて鳴る。

 他の女子メンバーもそのようで、互いに抱き合い恐怖する。


 しかしそんな中、皆を庇うように前へ進み出たアルフレッドが言った。「みんなは助けてくれ、僕は子爵家の出だ、僕だけで十分だろう」


 だがそんな願いも叶わずに皆捕らえられた。男と女は別々に連れて行かれ、アルフレッドと離れる事を不安に思ったレベッカは彼の名を呼び続ける。


 それからの時間は、悪夢としか言えないものだった。月日にして約三か月。

 その間レベッカは陵辱の限りを尽くされた。調教と言う名の辱め。死んだ方がマシだと思えるほどの地獄を見た。

 売られるためにいた奴隷の女たちは首輪に繋がれ、ほぼ全裸と言っていいようなシースルーの布切れ一枚着ただけで、目は虚ろになりながらも嬉しそうな声を上げて男たちに奉仕する。

 出来ないものは容赦なく鞭打ちに処された。

 悲鳴と歓喜に濡れた嬌声の渦巻く檻の中、鼻をつく雄と雌のまぐわいの淫臭。レベッカは震えながら心を閉ざす。

 自由と言う名の夢への羽ばたきをその胸の内に秘めて……。



 レベッカは心の内に熱く滾る物があった。そのおかげでか折れずに済んだ。が、アディ、デイジー、クリッシーはすでに壊れてしまっていたようだ。完全に精神を病み蝕まれた彼女らは使い物にならないと、文字通り“廃棄”された。

 拳銃で撃ち殺されて海に捨てられたのだ。

 もう何も見たくなかった、聞きたくなかった。悲鳴も嬌声も……。しかし男たちがそれを許してくれない。体を嬲られながらも目を見開かされ、現実を認識させられる。


 酷い仕打ちをされた。しかし唯一つ、男たちのレベッカヘの扱いが他と違い丁寧だったことが救いだっただろう。それは彼女が醸し出す高貴な雰囲気からだったかもしれない。

 もしかしたらアルフレッドも無事かもしれないと、たった一つの希望をそこに見出して、彼女は屈辱と恥辱に耐えた。


 しかしそんなある日、彼女の希望を打ち砕く事件が起きる。目隠しされた状態で連れて来られた牢獄。

 頑丈な鉄格子の向こうから聞こえる変わった音の呼吸音。小さな穴から漏れる空気のような音のそれは、レベッカの姿を確認すると一層高く響いた。


 男たちは笑い声を上げながら、彼女の視界を覆う布を徐に外す。ぼやける視界。鉄格子の向こうに人が鎖で繋がれているのは分かった。

 次第に焦点が定まる。少しカールした天然パーマの赤みを帯びた栗毛。こげ茶の瞳は焦点が定まらないのかこちらを見てはいるが視線が泳ぐ。


 レベッカは見慣れた人物の変わり果てた姿を認めると格子に駆け寄り声をかけた。


「アルっ!!」


 そんな彼女に下卑た笑みを浮かべた男は背後から抱き付き衣服を剥ぐ。

 アルの前で陵辱される。それを危惧した彼女は必死に抵抗し何度も叫んだ。「やめて!」

 しかし男たちは聞かない。雄となった男を止める力が彼女にあるわけもなく……。それを虚ろな瞳で見つめ続けるアルの口からヒュッ、という息が漏れる。「やめろ!」

 声はもう出せない、彼女に届かない。泣き叫ぶ彼女を助ける術はない。無力な自分に絶望したアルは涙を流す。


 そんな様子を見ていた脇に立ち並ぶ男の一人が、徐に拳銃を取り出した。俯くアルに近付く男。そしてこめかみに銃口を突きつける。

 涙で濡れる瞳でレベッカは彼を見た。アルも彼女を見返すと刹那、笑みを浮かべた、気がした。

 男の下劣な笑みと重なる銃声。繋がれた鎖を鳴らし、アルは力なく体重を鎖に預ける。


 レベッカの目の前で殺されたアル。しかも犯されながら。

 彼女の心には絶望という闇が染みを広げていく。愛した男の死。自分が海賊になろうと誘ったばかりに……。レベッカは自らを攻めた。

 牢獄に慟哭が響く。それから夜明けまで、レベッカは男たちの相手をさせられた――。



 掴まってから三か月がたったある日。絶望の淵にいたレベッカに転機が訪れる。

 海賊だ。

 ここブルネール海の覇者と名高い、海の悪魔の異名を持つ男。ロレンツォ=ウィンザーの海賊船。

 義賊的な行いをする、民衆に最も人気のある海賊団で、五隻の帆船で敵と見なした相手には容赦しない砲弾の雨を降らせ撃沈する戦法をとる。

 しかし肉弾戦でも彼は強く、左手が鉤状の義手だが、死線を潜り抜けてきた卓越した戦闘技術で敵を蹂躙する。


 奴隷商船内に囚われた人々の救出。ロレンツォの目的はそれだ。ついでに財宝もかっぱらう。

 その途中で彼に救出されたレベッカだったが心を閉ざし、誰とも口を利かない。

 脱出させたはいいものの、療養が必要だと思ったロレンツォは近場の港街に立ち寄り精神科へ彼女を連れて行った。


 そこでの療養のおかげとあってか、人並みに回復したレベッカ。起きた出来事を思い出し涙する。

 見舞いに来たロレンツォはそんな彼女に言った。


「海賊になるってんなら止めはしない。だが、戦える力がない奴は、いつああなってもおかしくないって事を覚えとくんだな」


 体を抱きしめ振るえ咽び泣くレベッカには、彼の話は右から左だ。

 小さく息をついたロレンツォは、船長のロングコートから一丁の拳銃と、腰ベルトに刺しておいたレベッカの『ブロウウイング』を抜くと、毛布の上にそっと置いた。


「お前にこいつをくれてやる。帝国の大艦艇から奪ったもんだが、俺でも扱いに困るじゃじゃ馬だ。オルトロスって名前らしい。こいつが使いこなせるようになれば、お前も立派な女海賊だな。それとこの刀はお前のだろう? いい曲刀だが、俺には品が良すぎて合わねえ。返すぜ」


 未だ震えたままで顔を上げないレベッカに、肩を竦め呆れたような表情をすると、ロレンツォは彼女に背を向けて歩き出す。

 病室の出口まで来たロレンツォは、背中越しのレベッカに別れを告げた。


「俺はもう行く。……海賊船で海上で逢ったのなら、次は俺たちは敵同士だな。……最後に一つだけ言わせてくれ。……海賊だけが生き方じゃない。お前には、人並みの幸せを得る権利がある。過去がどうあれ、だ……じゃあな、伯爵令嬢」


 ロレンツォのブーツが叩く足音が廊下に響く。遠ざかる声を、足音を……涙するレベッカは意識の遠くで聞いていた。

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