第7話 嵐の中へ
――翌日。
レベッカは穏やかなさざなみを聞きながら港に立っていた。陽はちょうど真上に上って地上を照らす時間帯。その両手にはいくつもの袋を提げている。
ホテルから出て、クリーニングに出した服を取りに行く途中と港へ向かう道中で、様々な人間から手渡されたものだ。
それは食料から銃の弾やら刀剣類、はたまた女性用の衣類や装備品などなど多岐にわたる。
しかも彼女の周りには、たくさんの人だかりが半円を描くように取り囲み、各々が感謝の言葉や労いの言葉、活躍の期待や無事を祈り声をかけていた。
既に船員たちは持ち場に着き、後は船長が乗り込み一声、出航の声を上げるだけ。
レベッカは民衆に答えるように手を掲げ、そして声を張り上げた。
「みんなありがとう……。そして、また会おう!」
振り向きざまに一瞬見せた彼女の微笑みに、大衆は一番の歓声で湧き起こる。
『レベッカ ラブ!』の横断幕を持つブティックの女店員たち。いつの間に作ったのか、『黒バラ海賊船長 レベッカ』と書かれた旗幟を振る者たちに背を向けると、レベッカは船に乗り込んだ。
船員の一人、操舵手のニコライに出航を伝えると、大きく頷いた彼は乗組員にその旨を伝達する。
「錨を上げろー! 帆を張れー!」
「おおぉぉーー!!」
船員たちは手を振り上げ、見送りにきた大衆にも負けない声を張り上げた。そして各々自分に充てられた役割を果たすべく作業に取りかかる。
黒バラの丸めるように畳まれた帆は上から順々に下ろされ、横帆計八枚、縦帆計三枚を広げると、威風堂々として重厚な存在感を呈する。
メインマストの頂ではためく海賊旗。錨が上げられ、帆は風を受けて膨らむ。
それを船尾楼で確認したレベッカは声高らかに謳った。
「出航だ!」
声を合図にニコライは操舵輪を右にきると、黒バラは緩やかに進行を開始する。
効率よく風を捉える船は帆を大きく膨らませ、徐々に航行速度を上げていく。速さの自慢なレディ・ブラックローズ号。
その機動性だけならば、世界の名立たる船にも引けを取らない。
レベッカが次に目指すは幽霊船の出没する海域だ。それは彼女が手にする髑髏のコンパスが導いてくれる。
操舵手が立つ位置の左側に備え付けられた、台座の四角い窪みにコンパスを嵌め込むと、レベッカはニコライに、髑髏が向く方角に船を進ませるように伝える。
進行方向の遠くには、嵐にでもなりそうな怪しい雲行きの暗雲が望めた。
だが腹をくくり、心に誓った彼女には恐怖心など微塵もない。何故ならば、仲間との再会を……ただその目的のために今まで生きてきたのだから……。
海図を広げるレベッカは、船尾楼から船員たちの動きにも目を配る。体調が悪そうなら休ませたり、だらけていれば渇を入れる。
信頼されるにはそれ相応の気苦労もあるのだ。
特に変わった様子がないことを確認した彼女は舵を取るニコライに声をかけた。
「ニコライ」
「なんです?」
「あの雲、お前はどう見る?」
まだ遠くではあるが、間違いなく黒雲を目指す髑髏の頭に怪訝な表情を浮かべた彼女に対し、ニコライは自分の意見を返す。
「あの色からして、中は相当の荒れでしょうね……。いくら黒バラと云えど、恐らく、転覆しかねない。というか、普通なら絶対に入らない、避けて通るべきですよ」
「……そうか」
顎に手を添えたレベッカはしばらくの間思量する。なにかを閃いたようにコンパスを見ると、視線はそのままにニコライに指示をした。
「ちょっと“頭”振ってくれないか?」
「え? 分かりました」
そう言ってニコライは自分の頭を振った。いつまで経っても“船首”が傾かないことを疑問に思い、レベッカは彼に目線を移すと、冷たい視線を浴びせたまま言う。
「ニコライ……ふざけてるのか?」
「え? いえ、姉御が妙に思い詰めてるようだったので、少しでも和めばなあと……」
「あたしは今、そんなしょうもないことに付き合えるほど穏やかじゃないんだ……」
一瞬ビクつき血の気の引いた顔で何度も頷くニコライ。そして逆手に持つ舵輪を急いで右に廻した。
すると船首は右に傾き、進行方向を変える。だがレベッカの視線の先にある髑髏は依然変わらず、あの嵐雲を捉えたままだ。
「なるほど。つまりは、結局あの中に入れ、ということだ」
「姉御、本気ですか!?」
「……誰もわざわざ嵐の中を突っ切ろうなんて思わないだろう? だからこその“伝説”なんじゃないのか?」
「死にますよ……?」
「あたしはもう当の昔に命なんて捨ててるさ。……そう、あの時にな――」
「え?」
聞き取れないほど小さな声で呟かれた彼女の言葉に、ニコライは聞き返す。しかしレベッカは「何でもない」と言い、声を張り皆に聞こえるように話を続けた。
「死にたくないやつはここで船を降りな! 黒バラはこれからあの嵐に突っ込む。降りたからといって、誰も咎めはしない。……あんたらの命を投げ打ってまでする航海じゃないしな」
船長の声に船員たち全員が耳を傾ける。下を俯き震える者、雲を眺めては考え深げに目を閉じる者。
しかしややあって、一人の船員が前へ進み出て声を上げた。
「姉御! 俺たちはあんたに付いて行くと言ってこの船に乗ったんだ。死ぬ時はみんな一緒ですぜ!」
するとそれを皮切りに、船員たちはそれぞれの思いを声に出した。聞こえてくる声はレベッカを支持し、同調するものだけだった。
彼女はそんな船員たちの声に口元を緩め、そして笑いながら皆に伝えた。
「ありがとう。皆には辛い航海になるかもしれない。あたしに付いて来てくれる事に感謝してるよ」
すると船員たちは盛大な歓声を船長に送る。皆レベッカが好きなのだ。
ある者はレベッカの美貌に、そしてある者は彼女に打ち負かされてその力に惚れ込んだ。彼女の為なら命を投げ出せる、共に航海がしたいと、慕い、尊敬し、心中する覚悟を持ってこの船に乗っている。
その覚悟と心意気に、レベッカも相応に応え気遣う。
病気の者がいたら近場の港町にわざわざ停泊し、宝は平等に山分け。疲れているものがいたら休ませ、労いの言葉をかける。
世に聞く海賊船長はそんなものは幻想だと言わんばかりの利己主義者ばかりだ。そんな中、レベッカは異色だと言われれば確かにそうだろう。だが、皆そんな彼女が好きなのだ。
船員の反応を見ていたニコライは、隣に立つレベッカに振り向くと小声で言った。
「よかったですね、姉御」
「ああ」
小さく頷いた彼女は笑顔から一変すると船長の面持ちへ。そして船員に声を張り上げた。
「相手は未曾有の嵐雲だ。お前たち気合い入れな!」
『おおおおぉぉぉぉ!!』
手を振り上げ船長に答える海賊たち。荒天時のマニュアルに即対応出来るように各々持ち場に付く。
その間にも湿気を多量に含んだ潮風が風上から黒バラを揺さぶる。船員たちは急いで横帆と縦帆を畳み、メインマストとフォアマストの後ろにトライセイル――荒天時の風に対抗するために張られる帆――を張る。
操舵手のニコライは自らの体を麻縄で椅子にきつく縛りつけ、飛ばされないようにした。船長であるレベッカは船尾甲板奥の船長室へと入る。
黒バラが嵐対応の準備を整え終える頃、いつの間にやら黒い雲は黒バラの頭上を覆いつくし、突如、突風が船体を大きく揺らす。
レベッカは船長室に篭り成り行きを見守り、嵐が過ぎるのを待つのかと思いきや……。
船長の帽子とコートを脱ぎ捨てソファに置くと、揺れる船内から嵐の真っ只中にいる黒バラの船外へと飛び出した。
船外で飛ばされそうになりながらも作業をする船員たちが心配なのと、髑髏の示す位置を確認するためだ。
なにか目ぼしいものが、はたまた幽霊船が現れるかもしれない。目視出来る手がかりを、断片を見逃すわけにはいかないのだ。
荒れ狂う海から押し寄せる波がブルワークを乗り越える。
激しい雨が打ちつける甲板から、船尾楼へと続く階段を手摺に掴まりながら上るレベッカの表情に余裕はない。
今までに経験したことのない大嵐。老人の「危険な旅になるかもしれない」その言葉を彼女は思い出していた。
なんとかニコライの元まで辿り着いたレベッカは、コンパスの置かれた台座へと掴まる。すると危険を冒してまでここまでやってきた船長に対し、ニコライは注意を促した。
「あ、姉御! 危ないですから、船長室に戻っててくださいよ!」
「うるさい! あたしは見つけなければ、ならないんだ……幽霊船を」
「飛ばされたら、どうするんですか!」
「なら、あたしにもその縄よこしな! 縛っときゃ、大丈夫だろう?」
ニコライの忠告も聞かず、レベッカは麻縄を胴体部に巻きつけると三重に縛る。そして操舵輪の前に設けられた椅子に掴まると甲板へと視線を移した。
船体は暴風に煽られ右に左に傾いては、甲板へと容赦なく波の進入を許す。
大砲は波を被り、甲板に置かれていた酒樽はいくつもが弄ばれるように転がっている。
「こいつは、酷いな……失敗だったか……」
「姉御、いまさら、遅いですよ……」
「そう、だな」
風は一層強まり、レベッカの顔を激しく雨が打ちつける。幽霊船はどこにいるのか。
というより、本当にこの嵐の先にいるのか、レベッカは少し不安に思っていた。あの老人は嘘をついていないというのは、彼女自身目を見て聞いて、それだけは実感できたことだが……。
しかし、あれがまったくの出たら目で、嘘を尤もらしく吐いただけのものであったのならば、しばらく人間不信に陥りそうだなと、レベッカは一人苦笑を浮かべる。
「お前たち、大丈夫か!」
大砲にしがみ付く者や酒樽とともに転がる船員たちを心配し彼女は声をかける。
『うぃーっ!!』
所々から聞こえる返事。見た限り波にさらわれた者がいない事に安堵したレベッカは周りを見渡した。
揺らめくランタンがないか探して見たが、やはり何も見当たらない。辺りは黒い風が吹き荒れ、大きな雨粒が真横から強く吹きつける。
本当に転覆しかねないレベルの
大きく揺られる船尾楼の上。操舵席に必死で掴まり、風雨にさらされながらもレベッカは、幽霊船の影をただひたすらに探した。
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