第6話 伝説の語部

 ざわめく港町はバルガスの死というニュースで持ち切りだ。

 フロウエンドの船員たちは、信頼を置いていた頭を失い、戦意喪失の後に逃走した。無茶ばかりするバルガス一味がいなくなったことにより、一般客らが波のようにどっと押し寄せる。

 次から次へと人々が入店し、まるで英雄でも拝むように、レベッカを一目見ようと集まる野次馬たち。

 それが落ち着き出して静かになったのは、三時間ほど過ぎた夜の十一時頃だった――。



 二階のテーブル席で、仲間たちと杯を交し合いほろ酔いになっていたレベッカは、テーブルの一点をぼんやりと見つめながら感慨深げに思い出していた。


 海賊になったきっかけと初航海。

 胸を高鳴らせ、仲間とともに新天地を目指し乗り込んだ小型の帆船。それは生まれ育った街から奪ったものだった。

 七名と、旅に出るには少しばかり心許ない人数ではあったが、船が波を滑り風を切る感覚は心地よく、仲間と呼び合える人間しかいない旅路は、楽しげな雰囲気のままに幕を開けた……。



 懐かしい綺麗な時の思い出に、レベッカはふっと口元を緩める。

 氷の解けた水しか入っていないロックグラスを手に取り、水を一口含む。んく、と小さく喉を鳴らし水を飲み込むと、グラスをテーブルに戻した。

 頬杖を付き、船員や客たちの声を意識の遠くに聞きながら、彼女はそっと目を閉じる。


 まるで海を漂うような錯覚に陥り、このまま夢の中へと誘われたい。そう思った時だった。


「ほほ、お嬢さん、隣よろしいかの」


 彼女の夢見を裂くように聞こえた、しわがれた老人のような声。

 レベッカはゆっくりと瞼を開けるとそちらへ振り向く。すると、先ほどまでは誰も座っていなかった彼女の隣に、古びたアンティーク椅子に腰掛ける、白いフードを被る白髭の男が座っていた。

 老人は杖に手を付き、温和な笑みを湛えている。


「じいさん、いつの間にあたしの隣に座ったんだ?」

「ほほっ、そんなことは気にするでない」


 少し酔っているとはいえ気配を感じないわけがない、と訝しむ彼女を満面の笑みを浮かべてあしらう老人。小さく息を吐くような笑い声を上げると、目を見開き女海賊の真紅の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「ん~~?」

「な、なんだい……?」

「お前さん、何かを背負っておるな」

「えっ……」


 老人の琥珀色の瞳に見つめられ発せられた言葉に、レベッカはため息のような小さな驚きの声を上げた。


「それを罪深いことだと思っておる……。過ちだと、人生を否定するほどにのう」

「な、なにを……」


 老人の続けた言葉に、彼女は明らかに動揺している。あまり目の泳ぐことのないレベッカが、まともに相手の顔すら見られないでいた。

 老人が発する不思議な雰囲気を肌で感じているのだろう。只者ではない、ということだけは勘が必死に訴えかけている。


「求めているものがあるのじゃろう? いつか航海の果てに行き着くと信じておる」

「……あんた、一体何者だ?」

「ほほっ、わしはただの爺じゃ」


 問いかけに、老人は髭を触りながら笑顔で誤魔化すだけだった。まるで彼女に、自分の存在を知る必要はないと、遠回しに言っているようだ。


「それより……お前さんの夢、目的。もしよかったら、わしに話してはくれんかの?」

「何故だ?」

「力になれるやもしれん」


 そう言うと老人は真剣な眼差しをレベッカに向けた。彼女はその黄褐色の瞳をジッと見つめ返す。

 双眼から感じられる得体の知れないプレッシャー。抗うことすら許されないような厳しさが垣間見えるが、だがそれと同時に包まれるような暖かさを感じる。

 しばらく見合った後、ふっと笑みをこぼし、肩を竦めると老人に答えた。


「負けたよ。分かった、あんたには話してやる」


 そう言うと彼女は、過去まで遡って全てを打ち明けた。

 海賊になったきっかけ、トラウマになるほど辛い経験をしたこと。仲間との死別、そして伝説の噂を知ったことにより今まで頑張ってこられたこと。

 もう一度会いたい、ただその一心で、海賊船や帝国の船からあらゆる海図を奪ってきたこと……。


「そうか……。やはり伝説を追い求めておったか」


 老人は幾度となく頷き、話が終わると深く息を吐いた。

 彼が何か知っていそうな事に気付くと、目を閉じて俯く老人に彼女は訊ねる。


「じいさん、あんた何か知っているのか?」

「…………一つ、聞いてもいいかの?」

「なんだい?」

「お前さんは、その伝説が真実だとしたら……一体なにを望む?」

「……そんなの決まってるだろう。仲間たちとの、再会を……」

「危険な航海になっても、か?」

「その為に今まで殺し、海図を奪ってきたんだ。死地がなかったわけじゃない。また逢えるのなら、危険なんて厭わないさ」


 真紅の瞳で老人を真っ直ぐに見つめるレベッカ。見返す双眸から決意と信念、そして悲痛なまでの慕情を感じ取った老人は、思いを汲み小さく頷くと口を開いた。


「伝説は……真実じゃ」

「…………」


 その言葉に特に驚いた様子もなく、レベッカは小さく頷く。


「一般的に知られておる話は、霧の向こう側の話じゃな?」

「ああ、だからそれらしい海図を手に入れた時に、海上の霧を探して航海していたんだけど……」

「見つからなかったと……?」


 ああ、と言ってレベッカは頷く。


「それは所詮、中身を飛ばされた噂話……。恐怖に囚われ霞に拭われた虚実。真実はその前から起こる」

「……なにがだい?」

「幽霊船……」

「幽霊船?」


 レベッカは十年海賊をやっているが一度も遭遇したことのない、船乗りたちの狂言だと思っていた名前を出され、老人に対し少しの疑心を抱く。

 しかし自分を見つめる老人が嘘をついているようには見えない。自信……いや、確信を持っているような誇らしげな顔をして頷いていたからだ。


「幽霊船なんて迷信じゃないのかい?」

「見た者はいる。あらゆる海域に出現するという亡霊の駆る大型帆船。お前さんが追い求める“船の墓場”は彼らが連れて行ってくれる」

「……だけど、どうやってそいつを探すんだい? あたしも十年いろんなとこを巡ったが、そんな物、影すらお目に掛かったことはないよ」


 呆れた様子で首を傾げたレベッカに、老人はローブの下に着ている衣服のポケットから、小箱を徐に取り出した。

 それは銀で浮き彫りを施された黒い箱状の中に収められ、底に釘打ちされ固定された金色のコンパスだった。

 だが普通のコンパスとは違うと明らかに見て分かる。東西南北の方位を示す文字盤も、中央の星を重ねたようなマークもなく、それどころか針すらない。

 あるのは精巧に作られた髑髏だけ。それが中心でくるくると回転しては口を開け、まるで笑うように歯を打ち鳴らしている。


「なんだい、これは」

「幽霊船へと導く方位磁針」

「これが……?」

「そして――」


 老人は再びポケットに手を入れると、巻かれ革紐で結ばれた魔獣の皮を取り出した。そして結び目を解き、中身が見えるように広げて見せる。


「海図……?」

「そう、船の墓場の位置を記しておる」

「……その蛇みたいなのは、なんだい?」

「……リヴァイアサンじゃ」

「リヴァイアサン!?」


 レベッカは驚愕し仰け反りながら声を上げた。

 リヴァイアサンとは伝説の海竜で、海を支配していると云われる悪魔のようなドラゴンの名前。

 実際に見た者はほとんど生きておらず、仮に生きていたとしてもその時の恐怖から、廃人になるほどの精神的外傷を負わされる。

 陸上に生きるモンスターの最強が黒竜ファフニールであったのならば、海は間違いなくリヴァイアサンの独擅場だ。

 噂では、驚異的な長さの体長を持ち、見惚れるほどに美しい青い水晶のような鱗で全身を覆っているという。

 しかし中には、クラーケンに襲われていた民間船を助けたという逸話もある。

 比較的、というより、ほとんど悪い噂しか聞かないリヴァイアサンに、そんな一面があると誰が信じるだろうか。


「リヴァイアサン……本当にいるのか……」


 老人から海図を受け取ったレベッカは、そこに描かれた波のようにうねる海竜をまじまじと見つめる。


「行けるといいの、船の墓場に。お前さんの航海の無事を、果ての解放を祈っておるぞ」


 その言葉に振り向いた時、老人の姿は既にそこにはなかった。腰掛けていたアンティークの椅子とともに、忽然とその姿を消していたのだ。

 しばらく呆然とそこを見つめていたレベッカ。不意にかけられた声にハッとする。


「姉御! どうかなすって?」

「え? ああ、いや……。なあ……」

「はい?」

「ここに老人がいなかったか? 髭を生やした白いフードを被ったじいさんだ」

「いえ、俺は気付きませんでしたけど、って、ここには俺たち黒バラしか最初からいませんぜ」

「……そうか」


 おかしなことを言う姉御だ、と笑う船員の言葉に、怪訝な表情を浮かべる彼女は心の中で、夢でも見ていたのかと少し不安に思った。

 だが、確かに交わした言葉、見つめられた琥珀色の瞳、今も手に触れる海図の感触。そして――。


「姉御、その箱はなんです? 街で買ったんすか」


 物珍しそうに覗き込む船員の視線の先、テーブルに置かれた黒い箱が何よりも、夢ではないことを証明している。


「なんだったんだ、あのじいさん」


 小さく呟いたレベッカは、それから海図とコンパスの髑髏を見ながら時間を潰した。



 そうして夜中の一時過ぎ。

 まだまだ騒がしい港町の酒場。

 明日は出航ということもあり今日は早めに休もうと思い、階下のバーテンに金は船員が払うという旨を伝えるため、海図とコンパスを持って席を立った。

 一階へと続く幅広の階段を下りると直ぐ、バーテンの姿が目に映る。


 バーテンはレベッカの携える二つの物体に気付いたのか、彼女がテーブルカウンターへ来たところで驚きの表情とともに訊ねた。


「レベッカ様。もしかして、白い髭の老人に会われたのではないですか?」

「ん? あんたあのじいさんを知ってるのか……客か?」

「いえ。私は見たことすらありませんが、二階の西側奥のテーブル席で、何人もの方が見かけておられるご老人です」

「何者なんだ?」

「……“伝説の語部”とでも言いましょうか」

「伝説の語部?」


 首を傾げて聞き返すレベッカに、頷き返してバーテンは答える。


「はい。海や船上で死んだものが逝くとされる船の墓場。そこへ導く為の語り手、ということらしいのですが。詳しくは私も分かりません」


 なるほど、と小さく頷いたレベッカは、携帯する海図とコンパスへ視線を落とす。

 不思議な雰囲気を漂わせ、相手の心の奥底にある願望の根幹を見破り、その者の抱く思いや願いを聞き届け、それを導くことを役目とした者。

 彼女に託されたこれらの品は、老人の願いだろう。本当の意味での心の解放。レベッカの願いを、呪縛からの解放を想って渡したのだ。


「きっと導いてくれますよ、あなたの求める答えに」

「……ああ、あたしもそんな気がしてきたよ。あ、そうそう。清算は上の連中が済ますから、帰り際にあたしからの伝言だって伝えてくれればいい」

「承知いたしました」


 丁寧に頭を下げて了解するバーテンに微笑むと、レベッカはシードレイクを後にした。

 船の墓場。次の目的地はそこだ。

 幽霊船へと導いてくれるという髑髏のコンパスを見ながら、彼女はホテル、タイダルクロスへと向かい歩きだす。

 機嫌の良さそうな鼻歌が、涼しい潮風の吹き込む眠らない街ダルダムーアの、満天の夜空に響いた。

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