第5話 酒場にて
そこは主に男たちの祭り場と化していた。
酒樽に口をつけ豪快な飲みっぷりを見せ付ける者、女を両脇にはべらせ大口を開けて笑う者。
仲間同士でふざけ合い、酒瓶で頭を殴り、キレられて喧嘩を始める者……。
罵声や怒声の飛び交う中、レベッカは辺りを見渡しながら店内を奥へと進む。
花のように香る纏う空気と存在感、蜜の如く誘惑する可憐でいて妖艶な容姿に、誰しもが振り向き熱いため息を漏らす。
一階左奥の丸テーブルが空いていることを確認した彼女は、人々の注目を一身に集めながらも特に目配せすることもなく、とりあえずその角の席に腰掛けた。
しばらく店内を見渡していると、露出度の高い服を着たウェイトレスが注文を聞きにカウンターからやってくる。
「ご注文はお決まりですか?」
「ん~、じゃあ、とりあえずウイスキーのロックでも貰おうか」
「かしこまりました。少々お待ちください」
丁寧にお辞儀をしたウェイトレスは注文を伝えにカウンターへと戻る。
少しして銀のトレイにウィスキーのグラスを乗せて戻ってくると、グラスをテーブルに静かに置き「ごゆっくりどうぞ」と再び頭を下げてカウンターへと戻っていく。
ロックグラスに手を添え持ち上げると、注がれた琥珀色の液体に浮かぶ、荒削りされた多角形の氷がカランと音を立てた。
グラスに口を付けたレベッカは少量を口に含むと、嗅覚と味覚で芳香と旨みを堪能する。
そしてグラスをテーブルに戻したその時――二階へと続く階段からやかましい足音が聞こえた。
テーブルはその振動で揺れ、グラスの氷がカラカラと鳴る。腰掛けるソファからも振動が尻に伝わるほどの地鳴りのような揺れだ。
上から下りてくる人物を見上げていた一階にいる客たちは、その者の名を揃って口にした。
『バルガスだ』『バルガスさんだ……』
フロウエンドの船員たちは一斉に立ち上がり、崇敬するように頭を下げる。が、他の船団の者たちや僅かにいる一般市民は、恐れ慄きながらすぐに目を逸らす。
ジャッカルに目を付けられれば、先の男のような悲惨な結末が待っているからだ。少しでも自分の存在を小さく見せようと、必死に身を縮める人々が、見ていて心苦しい。
得意げな顔をして下りてくるバルガス。髪は赤茶で縮れており、背中まで伸びる髪を後ろで束ねている。服装は濃紺のパンツにこげ茶色の革靴、袖なしの船長のコートを裸の上に着ていた。
その身長はおよそ二メートルほどで、がっちりとした分厚い筋肉が鎧のように覆っていて、顔や腕、胸板などに数々の傷跡が見て取れた。
階段を下り、店の奥で静かに酒を飲むレベッカを見つけたバルガスは、下品な笑みを口元に浮かべながら真っ直ぐに歩いてくる。
視界に入るのもウザそうに眉間を寄せた彼女は、スッと視線を逸らす。
何がそんなに面白いのか、バルガスはヤニで黄ばんだ歯を見せながらレベッカの目の前までやって来ると、彼女の隣にどかっと腰掛ける。
そしてタバコと酒臭い吐息を吐きながら、眉間を寄せて酒を飲む彼女に話しかけた。
「お前は黒バラのレベッカだな?」
「…………」
しかしレベッカは問いかけには応じない。脚を組み不快そうな顔をしてグラスを傾けながら、ちびちびと酒を飲んでいる。
「お前の噂は聞いてるぞ……初めて見たが……へへっ、いい女じゃねえか」
そう言うとバルガスは舌なめずりしながらレベッカの肢体に目を向けた。
涎を垂らしながらネットリとした視線を彼女の胸や脚に這わせていく。
気色の悪い感覚にレベッカは怒気を含めた声を上げた。
「汚らわしい息を吐くんじゃないよ。目障りだ、消えな」
「へへ、さすがは女海賊。船長張ってるだけ威勢がいいな。気に入ったぜ」
なおも気持ちの悪い視線を注ぎ、食い下がろうとするバルガス。組まれた脚の艶かしい太ももに触れようと手を伸ばしたその時――――。
バルガスの額にグラスが直撃し、その反動で仰け反る。
グラスを放ったのは紛れもない、レベッカ本人だった。
「あたしに触んじゃないよ!! はぁ、はぁ……」
声を荒げ肩で息をし、殺意を含んだ赤い瞳を額から血を流すバルガスに向けるレベッカ。
こめかみに青筋を浮かべながらゆっくりと顔を正面に戻したバルガスは、得体の知れない恐怖を孕んだ不気味な視線を向けて彼女に言った。
「久しぶりに自分の血を見たぜ……。お前、俺の賞金額を知ってるか?」
「知るわけないだろ……、さっさと消えろ」
「二億五千万ガロだ……。あんまり俺を怒らせるなよ」
「…………」
レベッカは両膝を抱えて体を抱き、目に薄っすらと涙を浮かべ、頬を少しだけ赤く染めては小刻みに震えている。バルガスの声は聞こえていないようだった。
そんなしおらしい少女のような彼女を見たバルガスは、唇を一舐めすると低く優しい声色で諭すように言葉を発する。
「恐がらせてすまなかったなあ……。なあに、俺とちょっとだけ楽しいことしてくれれば許してやってもいいんだぞ、うん?」
少しずつ距離を詰めるバルガス。レベッカは角に身を寄せ、壁に背もたれ俯きながら震えているだけだった。
薄笑いを浮かべたバルガスのゴツイ魔の手が、再び彼女の身体に伸びる。すると網目状のストッキングに包まれた、むちりとした太ももに触れるか触れないかの一瞬――――。
カッと目を見開いたレベッカはテーブルに勢いよく手を付くと、大きく跳ね上がり空中で身体を反転させてテーブルに着地する。
顔を上げた彼女のその瞳は、真紅から淀んだような錆色へと変色していた。
焦点の定まっていない虚ろな瞳でバルガスを見ると、腰ベルト左に提げた曲刀をスッと鞘から抜き放つ。
「はぁ、はぁ……あたしに触れるなと言ったろう。殺されたいのか」
乱れた息を整えてドスの利いた声で唸るように声を発した彼女に、バルガスは振り向くと呆れたように肩を竦めて言い返す。
「お前こそ、俺に逆らって無事でいられると思うなよ? 素直に俺の女になればよかったものを……。散々犯してから切り刻んで海に捨ててやる」
同じく二本差しの曲刀を抜き放ち両手に持ったバルガスは、両脇に広げるような形で構えを取る。
「品性下劣な賊が……殺してやる……」
聞こえないほど小さな声で殺意を口にしたレベッカは、左手を広げて前方へ出し、刀を持つ右手を引いて構えた。
シードレイク店内に重苦しい静寂が満ちる。ピリピリとした緊張が場を包み、それを打ち破るようにしてバルガスが先に仕掛けた。
二本の曲刀が鋏のように交差し、彼女の首元目掛けて襲い来る。彼女は軽やかな身のこなしで飛び退りそれをかわすと、木の床に着地した。
それを追うようにバルガスがテーブルを蹴って駆け出し追撃する。レベッカは左右から時間差で迫り来る刃を後ろに飛んで避けると、大振りで空を切ったバルガスの隙を突き膝元に滑り込む。
「はぁ!!」
掛け声とともに振りぬいたレベッカの曲刀はバルガスの脛を斬り、自身は横転しながら横へ飛ぶ。
カウンターに背を付き一呼吸し、息を整えた彼女は今しがた斬り付けたバルガスの脛を見やる。
深手を負わせた――――と思ったのも束の間。バルガスの筋肉は想像以上に厚く、黒のズボンから覗く皮膚は確かに切れてはいるものの、傷口は浅い。
「もう一度聞くぞ。俺の女になれ……」
バルガスはレベッカに振り返り口の端を吊り上げて嘲笑する。
彼女にはその顔付きに覚えがあった。女をいたぶり辱めようとする時の雄の顔だ。理性や知性の欠片も感じない野生の顔。
自然と身が強張るのを感じた彼女は、恐怖心に負けないように奥歯をグッと噛み締める。そしてきつく言い放った。
「あたしを物に出来ると思ってるのか? 鏡でも見てこい、下種野郎」
その一言で完全に切れたバルガスは、何度も殺すと呟き、発狂したようにレベッカヘと突っ込んでいく。
「うおぉぉぉぉっ!!」
涎を辺りに撒き散らしながら駆けるバルガス。
レベッカに向かって大きく振りかぶり、渾身の力を込めて両の刀を同時に振り下ろした。
「おらぁ!!」
膂力に任せた凄まじい切れ味の刀はテーブルカウンターを縦に切り裂き、二本の直線がテーブルに対して直角に綺麗に引かれている。
レベッカはというと、後ろ手でカウンターに手を付いて上空に跳躍しバルガスの攻撃を紙一重で避けていた。
そしてバック宙しながら左手で銃を抜き撃鉄を二つ起こす。
カウンターに着地すると同時に、深く切り込みすぎて身動きの取れなくなった、血の乾ききっていないバルガスの額に銃口を当てた。
「なっ!?」
冷たい鉄の感触を額に感じ、血の混じった冷や汗が目を瞠ったバルガスの顔を流れる。
彼女は一連の動作から間断なくバルガスに問いかけた。
「どちらか選べ……。生きたくないか死にたいか……」
「あっ? ……そんなもんどっちにしても『死』――――」
一瞬考えたバルガスのそのワードを待っていたかのように、レベッカは刹那冷笑を浮かべ……引き金を一気に引いた。
火薬の爆発音が店内に響くと同時に、バルガスの身体がゆっくりと床に沈む。
その額には二つの螺旋痕が穿たれ、男の頭蓋を撃ち貫き中身を辺りにぶちまけた。
店内は一時の沈黙の後、歓声と悲鳴の入り混じるオーケストラと化した。
フロウエンドの船員たちは一様に取り乱し、一般人は悪漢の死に歓喜の声を上げる。他の船団の者はレベッカを賞賛するように、拍手喝采とエールを送った。
その『音』に気付いたレベッカはハッとして辺りを見渡す。
血生臭い凄惨な現場を目の当たりにした彼女は少し俯いた後、バーテンに振り返り侘びを入れる。
「すまなかったね、もう、帰るから安心しな……」
返り血を浴び、酷く疲れきった様子の彼女に帰ってきた言葉は意外なものだった。
「レベッカ様、ありがとうございました」
「……えっ?」
「バルガスには手を焼いていたんです。お客様は殺すし、店の物は破壊する。ウェイトレスは無理やり相手をさせられたり……。殺していただいて、皆清々しているのです。帰るなんて言わずに、どうかお酒を飲んでいってください。サービスしますから……」
「で――――」
でも、と言おうとしたレベッカの言葉を遮るように聞こえてきた、彼女を呼ぶ声。
『姉御ーーっ!!』
振り向いたレベッカの目に飛び込んできたのは、食料をたらふく買い込んで大量の袋を担ぐカルロス他、心配そうな顔をした黒バラの船員たちだった。
「お仲間の皆さんと、どうかごゆっくりとしていってください」
白くなった口髭を動かしながら、初老のバーテンは笑顔でそう言った。
ふっ、と口元にやわらかな微笑を浮かべた彼女は、バーテンの言葉に頷くと言葉を返す。
「ありがとう。じゃあ、遠慮なく」
「ええ」
「ああそうだ。店の修理代はこいつに懸かってた賞金でも使ってくれ、あたしには一億も貰えれば十分だ」
「そんな! 助けていただいたのに、そんな大金受け取れません」
「店を破壊し、こんな小悪党の薄汚れた血で汚しちまったんだ……それぐらいの礼はさせてくれ」
さっきまでとはまるで違う、柔和な笑みを湛え、他人思いな少女のようなレベッカの仕草に、バーテンは少し顔を赤くした。
そうして少し考えて、出た結論を小さな頷きで返答する。
それを確認した彼女は、「よしっ!」と頷き返すと、黒バラの船員たちを引き連れて二階のフロアへと上がっていった。
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