第4話 ジャッカル
ホテルの外から、昼間よりも更に賑わう祭りのような音が聞こえた。
太鼓を打ち鳴らして踊り、語り合う声と豪快な笑い声……。
騒音のような喧騒の聞こえたレベッカは三六二号室で目が覚めた。
「ん……。煩い……って、もう夜か……」
ベッドに両手を付いてうつ伏せの身体をゆっくりと起こし、レベッカはあひる座りをする。
目を擦りながら窓の外を見ると、温かみのある松明の淡い橙色が、夜闇にヴェールを下ろしていた。
「……はぁ~、どうしよう。あれ、着てくのか……」
松明の灯りが微かに射し込む青暗い部屋の中。レベッカは嘆息しながら、無造作に置かれたソファの上の買い物袋を見やった。その口からはなにやらフリルのようなものが見え隠れしている。
「はぁ~……あんまり気乗りしないな」
そう呟く彼女の表情は気鬱な色を濃くしている。
ほんの二時間前――――。
夜まで寝て過ごそうと思っていたレベッカだったが……。
あまりにも退屈だったため、さっさと服を見に行ってからのんびりしようと思い立ち、もともと着ていた服に香水を振り撒いて着て、服の代えを買いに街におりた。
軒を連ねる店の中、数々のブティックが所々に建っていたのだが、そのほとんどが男物。
普段からほぼ男装のような格好をしているため、それでも構わないと妥協し店を回るも、『男物だからあんたには売れない』と断られる始末。
融通の利かないやつらだと思った彼女は脅しに入るも、『これはこの街の規則だから』と返された。
規則なら仕方がないと、泣く泣く引き下がったレベッカ。
数々のブティックをたらい回しにされた挙句、行き着いた先、そこはなんと女物の店だった。
店員も全て女で、並ぶ衣服や装飾品も全て女の子女の子したものしか置いていない。
顔を引きつらせながら一歩後退った彼女の両腕に絡まる腕。入口脇に立っていた店員は半ば強引にレベッカを店内へと引きずり込んだ。
店内には、彼女の賞金首としての張り紙が張られており、まさか? と言った表情で事態に備え曲刀の柄に手を添える。
しかし次の瞬間聞こえた声に彼女は唖然とした。
『キャー、レベッカ様よー!!』
飛び交う黄色い声。よくよく張り紙を見てみると、金額の部分を消すように『レベッカ ラブ(ハート)』と書かれていた。
ある種の身の危険を感じ、背を向けて一歩踏み出したその時――――。
背後から女の腕が両腕の隙間から伸びてきて、まるでカマキリが獲物を捕らえたかのようにがっちりとレベッカの肩を固定する。
そして女はすぐさま耳元に口を近付け『いらっしゃいませ、レベッカ様……』と妖しいトーンで言った後、フーっと息を吹きかけた。
ぞわぞわと鳥肌が全身を巡るレベッカ。身を震わせ体を店員に預け力が抜けた瞬間、店員がどこからともなく次々と現れ、彼女の来ている色気のない男装衣装を全て脱がしていく。
それは本当に一瞬で、全裸にされたレベッカのスリーサイズを手際よく計っていく店員たち。顔は上気し、その目は充血して鼻息は荒い。肌に触れられる、そのことが興奮材料にもなっているのだろう。
口を開け愕然としている間にも店員たちは、彼女に似合いそうなものを見事なチームワークで次々と着付け仕立て上げていく。
黒のレースの下着に黒のガーターベルト、そして黒のストッキングは目の細かい網目状で、赤いリボンのようなものが足首の辺りから脛の辺りまで結ばれている。
白と黒を基調としたシックな色合いのミニスカドレスは、たっぷりとしたドレープと開いた胸元が目を引く。裾とストッキングの間から覗く白い肌が艶かしい。
髪型もいつの間にか結われていて、いつもの下ろしているスタイルから、サイドの髪を編み込みながらポニーテールに巻きつけ、それらをバランスよく散らしたスタイルになっていた。
整え終わった店員は、最後に黒いショートのヒールブーツをレベッカに履かせる。
姿見の前へと移動させられたレベッカはそこでようやくハッとした。鏡の前の自分を見て、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。
改めて自分の姿を、鏡と交互に見比べたレベッカ。その周りを取り囲むように、彼女のファンである店員たちはうっとりした目つきで目の前の美女を眺めている。
顔を引きつらせ赤面する、そんな彼女に女性たちはサディスティックな笑みを浮かべ、それを脱がしてはまたも他の仕立てを始める。
そうしてレベッカは小一時間ほど、まるで着せ替え人形のように女性店員たちの玩具にされたのだった――――。
「はぁ~、まったく……あんな格好……するなんて」
その時の羞恥を思い出したのか、レベッカは顔を赤くしながら衣服の入った膨れる袋を睨む。
最初に仕立てられたミニスカドレス一式の他に、黒のセパレートドレスと大きくスリットの入った紫のドレスやビキニ、ピンクのネグリジェからセクシーな下着やら、ドレス以外に数々の品物を無理やり買わされた。
買わされたといっても、最初の品以外は全てサービスだと言ってくれたものだが……。
「あたしはあんなの着ないって……」
彼女のため息は止まない。頭を押さえてかぶりを振っては小さく息をつく。
だが、ダルダムーアに寄った一番の目的は情報だ。その為にも酒場へ行かなくてはならない。
それにこんなところで長居をするつもりはない。情報を握る人物が、今夜現れるかもしれないと思うと、今日行かなくてはという気になってくる。
「…………はぁ~」
今までで一番のため息をつくと、レベッカは重い腰を上げてソファーへと歩み寄る。
そして仕立てられたミニスカドレス一式を身に着け始めた。
しばらくして着替え終えると、恥ずかしそうに裾を下げて不満をこぼす。
「これ、ちょっと短すぎないか? お腹がスースーするぞ……」
言いながらテーブルに置かれたバラの香水を手に取るとそれを振りかけ、彼女は辺りを見渡した。
「あれ? あたしのコート…………あっ!?」
船長のコートが見当たらないことに気付くと、ブティックの店員の言葉を思い出した。
『身に着けているものは全てクリーニングしておきますので、明日、受け取りに来てください』
コートが着られない、と言うことは、このまま外を出歩かなければいけないと言うことだ。
頬が更に赤みを帯びていく。まるで食べ頃の熟れたリンゴのようだ。
「くっ……仕方ないか……」
奥歯を噛み締めながら彼女は窓の外を見やる。街からは騒がしい男たちの声が聞こえてきた。
不本意だが仕方ないと腹をくくったレベッカは、革製腰ベルトに武器を提げそれを腰に巻き、部屋を出てホテルを後にした。
夜の街は灯りに溢れ、所々に置かれた松明が風に吹かれて揺らぐ。海賊の溜まり場、港町は眠らない。夜通し騒ぎ、踊り、酒を飲み明かす。それが海賊だ。
レベッカは階段を下りてすぐの酒場を目指す。その途中で聞こえた怒鳴り声とガラスの割れる音。
海賊間の闘争は規制されてはいない。もはや日常茶飯事の行事だと呆れた様子で歩く彼女。
しかしどうやらその喧嘩は、目的の酒場『シードレイク』で行われているようだった。街の人間は悲鳴を上げて退避し、海賊は海賊でそれを見て興奮し歓声まで上げる始末。
「やれやれ。おとなしく酒も飲めそうにないな」
小さく嘆息し、呆れ果てるように肩を竦める仕草をした。
緑に囲まれる階段を下りきり、シードレイクの前に立ったレベッカ。すると脇から彼女に声がかかる。
「姉御!」
「ん? ああ、お前か。どうした?」
見れば黒バラの砲撃手の一人で、砲撃リーダーのカルロスだった。顎鬚を生やし丸めがねをした中肉中背の男。船員である証拠として、黒地にバラの花びらを散りばめたバンダナを額に巻いている。
「それが……って姉御、またスゴイ格好ですね?!」
「……うるさい、そのことに触れるな…………で? それが、なんだ?」
「ああ、そうでした。それが、いま中で暴れてる野郎なんですが……」
「ん?」
レベッカがカルロスに相槌を打とうと振り向いた瞬間――、ガシャンッという音とともに、一人の男が二階のガラス窓から飛び出てきた。粉々になったガラス片が飛散し灯りを反射してキラキラと煌く。
鈍い音とともに地に落ちた男の服はぼろぼろに破れ、血まみれになりながらピクピクと痙攣していた。
「で、あれをやったのは誰なんだ?」
「……“フロウエンド”の、バルガスです……」
「ほぅ……」
その名を聞いた彼女は感嘆の息を漏らす。
バルガスと言えばこの海域でも五本の指に入る賞金首だ。誰彼構わずに戦闘を仕掛けては船を沈めるまで攻撃を続ける。民間人も軍人も関係ない。
船が人を乗せて航海している、ただそれだけでバルガスの殲滅対象になってしまう。
死肉を喰いつくすように、船に乗せてある積荷や金目の物を全て奪ってから一人残らず殺す。その数々の残虐行為と気性の荒さから、バルガスに付けられた異名が『ジャッカル』だ。
そんな男がここで酒を飲み、周囲の迷惑も考えずに暴れている。服装などから、どう見ても吹っ飛ばされた人間は一般人だ。
民間人は陸でも海でも、残念ながら略奪対象外には指定されていない。だからと言ってレベッカは一般人を襲うような下劣で卑怯なことはしないが。
それは彼女の信念とは大きくかけ離れた行為でもある。
シードレイクの中から聞こえる、大層愉快そうに笑う男たちの下卑た声に、眉間に皺を寄せながら耳を傾ける。
一際大きく、空気が振動するほど響く豪快な笑声。先の男を罵倒する言葉。
レベッカは腕を組みながら、少しの間思慮する。
面倒事には巻き込まれたくはない。だが入らなければ情報は得られない。
有益なものが得られるかどうかの保証なんてない。でも情報を得なければ前には進めない。
一度頷きカルロスに向き直った彼女は、微笑を浮かべながら言った。
「ま、仕掛けられたらその時だな……」
「え? 姉御、なに言ってるんですか……?」
「カルロス、お前は名射撃手だ。だから付いてくるな。……そうだ、お前には食料の調達でもしといてもらおうか」
「いや、俺も付いて行きます、よ?」
「いいって言ってるだろう。あたしを誰だと思ってる? 黒バラの船長、レベッカ=バルトシュタインだよ?」
にこりと歯を見せて笑い歩き出し、いつものクールな表情へと戻すと、酒場の扉を押し開けて騒々しい店の中へと足を踏み入れた。
客の入店を知らせるカウベルが鳴り響き、船長の背中を心配そうに見つめていたカルロスは、彼女の姿が店内へ消えると不安げに小さく呟いた。
「姉御……」
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