第3話 一時の休息
三六二号室の前まで来たレベッカは鍵を開け、ドアノブを回し部屋の中へと入る。
シャワーが使えればいいと思っていたため、内装と広さに期待はしていなかったが……。
見渡す部屋は意外と広くベッドもダブルサイズのものが用意され、飾り気はないがとりあえず掃除は行き届いているようで、レベッカはホッと一安心し後ろ手で鍵をかけた。
中へ進み入る途中も部屋の調度品を見る目は止めない。
ベッド脇にはランプが置かれ、窓の近くにはチェストが備え付けられている。その近くには木製のテーブルと椅子が置かれており、少し離れた位置には、入口側に背を向けるようにしてレザーソファが置かれていた。
もちろんバスルームも付いている。
「なかなかだね。しっかし、今日は暑いな」
とりあえず着ているものをどうにかしたい。
彼女は歩きながら手袋と武器の提げられたベルトを外し、ただでさえも黒色で暑苦しい上、分厚い船長のロングコートを脱ぐと、帽子とともに備え付けのソファーに放った。
そしてその足で窓際へと歩いていく。
白いレースのカーテンを開くと陽の光が一気に部屋の中を照らす。先ほどよりも少し太陽は西に傾き出し、これからが最も暑くなる時間帯だ。
レベッカは部屋の中へ新鮮な空気を取り込もうと窓の鍵を開け、両開きの窓を押し開く。
すると同時に心地よい風が部屋の中へと流れ込んできた。生温い潮風はカーテンをそよそよと揺らし、彼女の美しいブロンドの髪も風になびく。
目を閉じゆっくりとした深い呼吸とともに、心地よい風を肺に一杯取り込んだレベッカは、いったん息を止め、それをゆっくりと吐き出す。
再び目を開けた彼女は窓枠に寄りかかるようにして腰掛け、眼下に広がる街並みから遠くの海を眺めた。
幾筋もの小さな白波が港へ向かってやってくるのが見える。今日の海は本当に穏やかだ。
優しい目をして海を見つめるレベッカの瞳が、港に泊まる船を映した。見渡せるだけでもいくつかの海賊旗が確認出来る。大きい船から小さい船まで様々ある中で、視界に入った彼女の船の海賊旗。
黒地にバランスよく配された髑髏に大腿骨、そしてバラの花が一厘描かれた女海賊レベッカの象徴。遮るものが何もない港で、それはやわらかな潮風を受けてパタパタとはためく。
船上からいつも見上げている旗と、陸から眺める旗とではやはり見え方が違う。
当たり前のように感じている海賊旗は、時に彼女の意思を鈍らせることがある。消そうとしても消えない悪夢の記憶。女としてのレベッカに植え付けられた抜けない棘、心の、そして身体が疼くような傷。
海賊をやめようと思ったこともあった。でも海賊旗を見るたびに思い出す顔……声。まるで囚人にかけられる枷のように思いを繋ぎ止められ、レベッカはいつも一歩前へ踏み出す。
それは自発的にではない。踏み出さなければいけない、ある種の強迫観念とも言えるだろう。
「……アル…………」
自らの体を抱くようにして腕を掴んだ彼女は、小さく震えながら俯き呟いた。外からは喧騒と大工の音が混じり、それらを縫うようにして波音が耳に響いてくる。
少しして顔を上げたレベッカは憂いを帯びた瞳で空を見上げた。まばらにある白波のような雲が、空という名の大海をゆっくりと流れていく。
――――空は自由でいいな。
そんなことを想いながらしばらく呆然と見つめていたが、彼女はハッとし、雑念を振り払うようにかぶりを振った。
目的のためにもここへ立ち寄ったんだ、と暗い気持ちを切り替えるように窓枠から下りると、ソファーの方へと歩いていく。
純白のシルクで織られた、ブラウジングさせたブラウスを引き上げ外に出すと、レベッカは徐にボタンに手をかけた。
海賊というジョブに就いているとは思えないほどその指はか細く、まるで苦労を知らなさそうな傷一つない、長く綺麗な指がボタンを一つずつ外していく。
ボタンを全て外し終えると、彼女はするりと肩からブラウスをおろし、テーブル椅子の背もたれにそれをかけた。
薄布一枚に包まれていたレベッカの上半身。
はちきれんばかりにブラウスを押し上げていた彼女の魅惑的な胸は黒色のビキニトップに包まれ、一枚払われたことにより、その存在をより一層強調している。
日焼けのない白い肌を包み込む、つるつるとして光沢のある黒の布地が妙に卑猥に映る。
膝まである黒のヒールブーツを脱いだ彼女が次に手をかけたのは黒のパンツだった。戦闘しやすいようにと動きやすさを重視したシンプルな綿製のズボン。防御の面も考えられ、多少厚めに作ってある。
ベルトフックに通された髑髏のバックルが付いたベルトを外し、トップボタンを外した彼女はファスナーをおろす。
ストン、と床に落ちたパンツ。静かな一室に衣擦れの音が響く。動くたびにプルプルと揺れるやわらかそうな胸。
足を抜きパンツを拾い上げたレベッカはそれを適当に畳み、椅子の上に乗せた。
下着だけになったことにより露になった下半身は引き締まり、だが適度に肉付くやわらかそうな太ももや美しいヒップラインなど、全体のシルエットは正しく曲線美と呼ぶに相応しい肢体をしている。
ブラと揃いの色をした単色のボトムは布面積が狭く、彼女の容姿の美しさと妖艶さに相まって、あらぬ妄想を駆り立てられるほどその立ち姿は扇情的だ。
しかしトップもボトムも凝った作りではないため、ショーツではないことが見て分かる。
レベッカは昔から可愛らしい物――例えばフリルの付いた服や装飾品など――をあまり好まなかったため、身に着ける下着もシンプルなものを着用している。
それに水着ならば見えても恥ずかしくはないし、暑ければ上着は脱げばいい。とは言っても船長という立場上、船員たちの手前、なかなかコートを脱ぐことはないのだが……。
ソファーへと歩み寄ったレベッカは、武器を提げるための腰ベルトから曲刀と拳銃を取り外すと、そのまま部屋奥に位置する脱衣所へと、それらを持って入っていった。
水着を上下とも脱ぎ去り脱衣所のかごの中へそれらを入れると、彼女はバスルームへと足を踏み入れる。
白で統一されたバスルームは全面にタイルが張られ、外からの印象とエントランスの有様からは想像がつかないほど、ちゃんと清掃が行き届いていた。
「なかなか綺麗にしてるじゃないか」
ようやく汗を流せるとあってか、彼女の表情は心なしか嬉しそうに見える。
レベッカは壁に取り付けられたシャワーのヘッドの真下までやってくると、中ほどにある蛇口を捻りお湯を出す。
初めのうちは冷たい水が出て多少冷たく感じ身を震わせたが、次第に水が温くなり始めると、水の蛇口を捻り温度を調節する。
適温を定めたレベッカはシャワーヘッドに顔を向け、目を閉じて頭からぬるま湯を浴びた。
「ん……ふぅ…………」
血色のよい艶やかな唇から色っぽい吐息が漏れる。シャワーから流れ出る湯が髪を濡らし、顔を濡らして下へ向かって流れ落ちていく。
大きいが決して垂れることなく重力に逆らうお椀型のバスト。ツンと上を向くピンクの蕾はまるで男を知らない少女のようで……。
背中を流れる水はやがて、桃の果実のような瑞瑞しい二つの双丘を緩やかに伝う。鍛えられた下半身は見た目に引き締まり、だが同時に女性特有のやわらかさを感じさせるふくよかな肉付きを太ももに残す。
シャワーの水が伝う肌を、彼女の手が上から下へ、下から上へと往復する。その度にやわらかなプリンのような、しかし張りのあるキメ細やかな乳房が震える。
薄っすらと幕を下ろす湯煙に浮かぶシルエット。そのしなやかに動く指先の繊細な動きと相まって、十分すぎるほどの劣情を駆り立てられる情景だ。
そうして汗を流した脚を伝い床を流れる水は、まるで枝分かれする渓流のように、排水溝へと吸い込まれていった。
体を抱き、気持ちよさそうにウットリとして目を開けたレベッカ。そこで不意に感じた人の気配、視線。感じたことのある情欲に満ち満ちた、不快で粘りつくような視線。
心の奥底の傷が抉られるような、吐き気のするほどの気持ちが悪いものだった。
彼女の身体が小刻みに震える。体を抱く力が強くなった。だが目線は不自然のないようにバスルームを泳がせる。
すると気付いた小さな穴。それはちょうどレベッカの腰辺りの位置に空けられていた。注視しなければ気付かないであろう小穴には、光を反射するレンズのようなものが見えた。
(覗き穴、か……。下劣なやつらだ)
レベッカは怒りを押し殺しシャワーを止め、シャンプーボトルを忘れたフリをしていったん脱衣所へと戻る。そして大型の拳銃を持ち出して気付かれないように背中に隠し、鼻歌を歌いながら再び静かにバスルームへと入る。
手を伸ばしてシャワーヘッドの位置を浴槽の方へ向けて水を出し、同時に穴の上から銃口を近付け覗き穴を塞いだ。
すると壁の向こうから微かに聞こえた男の声。『あれ? 暗くなっちまった、故障か?』
彼女は冷めた視線を壁に向けたまま、間髪入れずに引き金を引いた。撃鉄が弾丸を叩くと同時に大きな反動と共に放たれた二つの銃身をもつ拳銃。マズルフラッシュとともにバスルームに火薬の爆発音がけたたましく響く。壁と銃口の隙間からは白煙が漏れ出し、それは浴室の湯気と混じり合う。
と同時に聞こえた男の声……どうやら絶命したようで……。その直後に聞こえた複数人の男の悲鳴。皆一目散に隣の部屋から出て行ったようだ。
不愉快そうに鼻で笑い、銃口を壁から離しバスルームを出て行くレベッカ。
壁にはそれぞれ時計回りと反時計回りの、螺旋状の弾痕が残されていた。タイルに大穴を穿ち壁を貫通し、更に向こうの男を殺傷するほどの威力。
まともに喰らったら一撃死だ。
脱衣所へと戻った彼女はあることに気がつく。
「そう言えば、代えの服買うの忘れてたな……どうしよう……」
今からブティックへ行ってもまだ暑い時間だ。また汗を掻くのは嫌だ。のんびりしたいのに何度もシャワーを浴びるのも面倒だし……。
タオルで身体を拭きながらレベッカは思量する。しばらくして身体を拭き終えた彼女は、頭にもう一枚タオルを巻き、小さく嘆息すると水着を手に取り身に着け始めた。
「ま、涼しくなってから買いに行けばいいか。……とりあえず部屋は取ってあるんだし……穴は空いちゃったけどな、また浴びればいい」
先ほどの件で男たちは懲りただろう。もし、また覗くようなことがあれば、その時は部屋へ乗り込んで皆殺しだ。
と言わんばかりに、妖しい笑みを口元に浮かべバスルームをちらりと見やった彼女は、そのまま脱衣所を後にする。
誰もいないくつろぎの場で、レベッカは水着のまま一人ベッドの上でゴロゴロと過ごした。
優しい潮風の入り込む部屋で、夜の帳が下りるまで……。
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