第2話 ホテル タイダルクロス

 ――港町ダルダムーア――


 先に下船したレベッカの後を追うようにして、仕事を片付けた船員たちが見張り番を残し、ぞろぞろと船から降りていく。

 ただでさえも他の海賊たちがいて騒がしい港はさらに活気付き、ガヤガヤと騒音並みに賑わい出した。


 陸に上がった海賊同士の闘争は特に規制されてはいないが、港でたむろしている者たちは各々酒を飲み、他の船団と杯を交わしては談笑するほど気が大きい連中ばかりのようだ。

 焚き木を焼べてそれを取り囲むようにして踊り歌い合い、樽の椅子に腰掛けながら杯を傾け、戦利品や自慢話などで盛り上がっている。



 ――船員たちの少し前を歩くレベッカは大きな酒場を目指していた。

 黒地に金糸で刺繍されたコートの裾を閃かせ、歩く度に震えるブラウスから覗くたわわに実った果実。

 花の香りに誘われる虫のように道行く人が振り返る。ある者は好色な眼差しで、上から下から、まるでナメクジが這いずるような気持ちの悪い視線を動かす。またある者は美貌に見蕩れながらも、畏敬に満ちた瞳を向けて恐れおののく。

 そして口々に言葉を発する。

『いい女だな……』

『あれが大海洋の吸血鬼、レベッカか……』


 好奇な視線を気にも留めず、彼女は街中を闊歩する。

 レベッカが街を歩けば、人込みで溢れた道も勝手に割れていく。誰もが道を譲りたくなるほどの美しさとカリスマを具える女海賊、それがレベッカ=バルトシュタインだ。



 ダルダムーアは海賊溜りの街として名高い。ブティックや武器屋、宿屋なども数多く存在するが、中でも特に多いのが酒場だ。ダルダムーアには、大中小さまざまな広さ大きさの酒場がいくつも点在している。

 小さい店は特に立ち飲みスタイルのところが多く、グラス一杯を飲み干して本格的に飲みに行くための腹ごしらえとしての場所としてよく利用されている。言ってみれば食前酒のような感覚で飲むことが多い。

 中型の店舗になってくるとテーブル席が設けられ、カウンター、テーブル共に簡単な料理が出てくるようになる。

 大型ともなるとその店内は広く、二階、三階までを備え、一団まるごと入りきるほどの要領を有している。料理も豪勢で、また音楽が流れ、お洒落な店内には美しい踊り子などもパフォーマンスで出演するところもあるのだ。


 まだ昼間だと言うのに酒場には溢れんばかりの人々が入り浸っている。これが夜になると港町の人間も加わるため、さらに盛況を見せることだろう。


 木造の建造物が両脇に立ち並ぶ道路をひた歩き、レベッカは目当ての酒場へようやく到着した。港からはずいぶん遠く、あまり目立たない奥まった場所に建つ酒場『シードレイク』。

 ここは財宝の噂から海軍の動向などの情報が手に入る数少ない交流の場として知られている。以前立ち寄った時には目ぼしい情報は手に入らなかったが……。


 建物自体は二階建てと大型にしては低い。だが奥行きがあり、幅も広く申し分ない。他の大型店と比べても遜色のない大きさだと言えるだろう。

 しかし他の店舗と比べて賑わう人の姿がどこにも見当たらなかった。それもそのはず、『現在準備中』の掛札がカーテンの手前、扉の内から外に向かって見えるように掛けられていたのだ。

 仕込みでもしているのだろうか? ここまで歩いてきてまだ開店前という現実に、少し残念そうに小さく嘆息した彼女は辺りを見渡した。


 まだ建設中なのだろう。シードレイクの対面に位置する場所には、木材が乱雑に置かれた施工中の建物が目に映る。奥にカウンターのようなものが見えるため、その敷地面積からも恐らく小型の酒場であることが分かる。


 レベッカは再び目当ての酒場を見やる。掛札には合わせて開店時間が記されていた。開店は六時から。

 左ポケットからアンティークの懐中時計を取り出した彼女は時刻を読んだ。現時刻はちょうど十三時を回ったところだ。まだ開店まで五時間もある。

 肩を竦めたレベッカは同時に溜息を吐き、今夜寝泊りする宿でも探すことにした。個室で風呂完備のところがいい。

 プライベートルームは船に完備されてはいるが、落ち着けるほど安らかなものではない。

 何かあれば船員の喧々とした声にすぐ起こされる。寝不足で海戦なんてこともざらだ。


「まともに休めるのは陸の上くらいだからな……とは言っても、陸に上がったら“海”賊じゃないけど」


 レベッカは少し自嘲気味にくすりと笑う。口元に手を添える仕草から、一瞬だが香るほど華やかな上品さが垣間見えた。が、ハッとした彼女は照れた様子で一度咳払いすると、すぐさまもとの風体を取り繕う。

 そして投げるように視線を街の上へと向けた。


 シードレイクの脇から続く木々に囲まれた階段の先。小高い丘の上にはいくつものガラス窓の付いた、結構大きな建物を見ることが出来る。ダルダムーアで最も大きいホテルだ。

 海賊御用達の、海賊の為のホテル。その証拠とでも言うのだろうか、ホテルの頂には基本的な髑髏と大腿骨――――ちょうどレベッカが被る三角帽に描かれたもの――――のような簡素な海賊旗が掲げられている。


「ま、あそこでいいか。あれだけ部屋数あれば一部屋くらいは空いてるだろ」


 楽観的に考えるのには他に確かな理由がある。空いてなかったら作らせる。それが彼女のモットーの一つでもあるからだ。

 レベッカは口元に悪戯な笑みを浮かべ、ブーツのヒールをカツカツと鳴らしながら階段を上り丘の上を目指した。



 小高いといっても階段の段数はかなりのもので……。シャワーを浴び一泊するという目的がなかったら、わざわざこんなに長い道のりを歩きはしないだろう。

 ちなみに『黒バラ』には、船長室の一角にだけ沐浴出来る浴槽があるのだが、使うのは基本的に汲み上げた海水なため、上がった後はあまり気持ちのいいものではない。

 海賊という野蛮なジョブについてはいるものの、やはり女性だ。身だしなみには男以上に気を使う。


 そうして一つの目的のため、ようやく階段を上りきったレベッカ。

 息切れはしていないものの額には汗を滲ませ、胸元にもそれは珠を作っていた。谷間を伝うように汗が流れる。

 太陽は真上ほどに位置し、燦燦と地上を照らしている。初夏の日差しは少し暑く、船長はただでさえ厚着をするのだ。

 レベッカはブラウスの胸元をつまみパタパタと扇ぎ、少しでもクールダウン出来るように風を送る。


 下から見えたのはホテルの上半分だけだったが、こうして目の前まで来てみると、意外に清潔感のある建物だと思える。

 白を基調とし、コンクリートと木造建築の融合のような独特な形状をしており、部屋を増築していったという歴史を思わせる奇抜とも取れる外観。入口の鉄扉上には『ホテル タイダルクロス』と書かれた看板が見える。

 部屋数はざっと前から見ただけでも三百以上はあるため、裏も合わせると六百は下らないだろう。


 何の感動も覚えない無意味な見物もそこそこに、レベッカはホテルの鉄扉を開きエントランスへ足を踏み入れる。

 入ったそこは既に海賊たちの溜まり場と化していた。壁に掛けられた動物や海獣の剥製には剣が突き立てられ、ラウンジテーブルには酒瓶が散乱している。

 そして彼らは入ってきた“女”に下卑た笑みを浮かべながら嫌らしい視線を投げかける。


「これでホテル?」


 纏わりつく視線と荒れたエントランスの様相に彼女は一瞬不快な心情を顕にしたが、とりあえずシャワーが浴びられればいい。そう思い、受付へと歩いていった。


「いらっしゃいませ、ようこそおいで下さいました、レベッカ様」


 カウンターから丁寧に頭を下げる受付の男。海賊かぶれのようなコスチュームを着込んでいる。


「どうしてあたしの名前を知ってる」


 男が自分の名を知っていることを訝しみ、レベッカは睨みを利かせて男を見た。すると男は飄々として受け答える。


「これはご謙遜を。この海域にあなたの名を知らぬ者などいませんよ。いたとしたら、それはもぐりです」

「そうかい? そんなことより部屋は空いてるのか? シャワーを借りたいんだが」


 持ち上げるようにして話す男を煩わしく思ったレベッカは早々に話を切り上げる。

 彼女は一刻も早くシャワーを浴びたかった。汗で張り付くブラウスが気持ち悪い。重く暑苦しいコートを脱ぎ、装備を外し汗を流して夜までくつろぎたいのだ。

 こんな所で長話をするのは趣味じゃない。


「左様でございますか。では、こちらにお名前のご記入をお願いいたします。お部屋に関しましてはただ今お調べいたしますので、しばしお待ちを……」


 そう言うと受付の男は少し残念そうな顔をし帳簿をレベッカに差し出すと、自身は身を屈め空いている部屋の鍵番号を探す。

 鍵は板に取り付けた鍵フックに掛けられ、カウンターの裏に収納してあるのだろう。男は鍵を探すのに手間取り、しばらくの間顔を上げなかった。


 その間、レベッカは帳簿に流れるような美しい字で名前を記入した。

 海賊は教養のないならず者どもが多い中、彼女は書き物が出来るようだ。それもかなり素養のありそうな達筆な文字。


 そうして名前を書き終えたレベッカから、少し遅れるようにして立ち上がった受付の手には鍵が握られていた。

 ナンバープレートには三六二号室と書かれている。


「ではこちらをお持ちください。部屋は六階の西側になります」

「ああ、分かった」


 彼女は男から部屋の鍵を受け取ると、卑賤な連中の視線を感じながら、酒臭くむさ苦しいエントランスを後にした。

 特にこだわりもない木製の質素な階段をひたすらに上るレベッカ。また階段か、と少しうんざりした様子で、女性が扱うには少し長大な曲刀の柄に手をかけては、今にも抜き放ち階段の手摺にでも斬りつけそうな雰囲気でそれを弄る。


 溜息をつきながらもようやく階段を上りきり、六階の廊下へと立った彼女。目の前には案内板が立てられており、気付いたレベッカはそれに歩み寄る。

 三六二号室の場所は、玄関側を北として見た場合の東。つまりはこの廊下の右手突き当たりを右折して少しした位置にあり、港を望める部屋のようだ。


「やっと休める……」


 彼女は小さく息を吐き、シャワーが浴びられ短い時間だが休息出来ることに、少しの安心を覚える。外からの喧騒は聞こえるが、船上のようにいきなり部屋を叩かれることもないだろう。

 部屋へと続く最後の廊下を、レベッカは少し早足で歩いた。

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