2口目 高菜たるもの

 二月某日、とある片田舎。

 突然だが俺――九頭くず 麦丸むぎまるは漬物が好きだ。

 死ぬ前にはこれが食いたい……というほどの大好物ではないにしろ、出されれば完食しあわよくば人の分まで頂こうとする程度には好きだ。

 柴漬け、たくあん、キムチ……大概の漬物は好きだが、その中でも特に好いたものがあった。

「よっ……と」

 すっかり日も落ち、暗くなった自室の電気を付けながら入る。足元に置いてある炊飯器が湯気をあげて炊き上がりを告げていた。

 ベストタイミングである。そうだろうそうだろう。それを見越して俺は便所に立ったのだ。出さねば食えぬ、の要領である。

 かぱり、と蓋が跳ねあがって炊き立ての白飯が俺を迎えるしゃもじでわしゃわしゃとかき混ぜるたびに、ほんのり甘い香りが喉をくすぐる。良いぞ良いぞ。

「……いただきます」

 一通りかき混ぜると、適当にひと掬いして、しゃもじのまま頬張る。一人暮らしの身だからこそ出来る贅沢。

 熱々のごはん。最早熱と食感しか伝わってこないが、もともと白飯なんてそんなものだ。特に炊き立ては。

 噛めば少しずつだが確かに甘みのでる白さと、噛むことが楽しい適度な食感。口を開けてはふはふと言ってしまうほどの厚さはそれだけで旨い以外の言葉をとばしてしまう。

 ゆっくりと味わって咀嚼。

「……うん、今日も俺の炊いた飯たちは美味い」

 ……ここまでが、毎度のルーティーンだった。きっと同じことをする人間は世界にごまんといるだろう。知らなかった人も明日から是非真似してほしい。

「さて」

 愛用の白い茶碗にご飯をこんもりとよそった俺は、冷蔵庫からあるものを引っ張りだした。

 俺が一番好きな漬物――ずばり、高菜である。

 『ごま高菜』。そう銘打ってあるこれは今日の晩飯のためだけに買ったものだ。

 高菜とご飯をテーブルに並べる。おかずは考えていない。取り合えず今日の晩飯はこれ。この豪快な判断もまた、一人暮らしならではと言えるだろう。なぁに、足りなかったら冷凍庫の唐揚げでも温めればいいのだ。

「いただきます」

 手を合わせてから、ごま高菜の風を開ける。独特の香りが顔を覆い、思わず「……へへっ」と気持ち悪い笑い声が漏れてしまう。

 高菜を始めとした漬物を「臭い」と言って嫌う人もいるらしいが――事実、妹の稲がそのタイプだ――俺は全く違った。むしろこの強めな匂いが好物なのである。たまらない。匂いだけで白飯が食える。

「……うめぇな」

 実際に匂いで一口白飯を食い、早くも高菜と白飯の相性に感動しながら、俺はパッケージを見る。

 『福岡県瀬高たかな漬使用』。知らない地名だが、福岡ということは実家から近くも遠くもない。微妙だ。

 農協が出しているのだろうか、生産者のみなさんが並んでいる。ジジババばかりかと思いきや、キリッとした青年の姿もあった。福岡の高菜産業、その未来は明るい。

 そう言えば、小学六年の修学旅行では熊本に行ったことを思い出した。そこで高菜の店に突撃して職業体験的なサムシングをした覚えがある。高菜の匂いが充満しまくった部屋での作業はショタ麦丸にとって射精しかねないレベルの興奮だったが、女子は早く逃げたそうだったのを覚えている。……もちろん部屋からだ。ギンギンになったショタ麦丸からではない。

 さて、御託は十分だ。高菜を食おう。

 俺は黄金色に輝く高菜を多めにつまむと、口の中へ放り込んだ。

 まず感じたのは強烈な旨みだ。よだれが強制的に流れ出てくる。口全体がこれは美味い! と叫んでいた。だがまだ白飯は食わない。最初は高菜のみで味わうのだ。

 ごまの風味もまた食欲をそそる。白飯が食いたくて箸が震えてきた。最早禁断症状だ。だがまだだ。

 シャキシャキという音もまたたまらない。小気味よく思いながら噛んでいると、少し意外なものを感じる。

 酸味だ。いや、漬けた菜っ葉なのだから酸味はあって当然なのだが、こんなに酸っぱかっただろうか。梅干し的なそれではない。脳が食べ物として「あ、これは酸っぱい食べ物なんだな」と判断する程度の酸味。……だがなんだろうこの違和感。

「……ふぅ」

 禁断症状に箸を震わせながら、一口目の高菜を飲み込む。恐るべき旨みだ。コイツは白飯を強制的に食わせるための麻薬か何かではないのか。先日食ったキムチよりも――

「……あ」

 そこで俺は違和感の正体に気付いた。

 そうだ、これは『ごま高菜』。

 辛子高菜ではない……それは俺にとってなるほど納得のいくものだったが同時にそれなりの衝撃でもあった。

 これはあくまで九頭麦丸個人の意見だが、高菜と言えば辛いもの、即ち辛子高菜というイメージなのである。イカの塩辛や明太子にも同じことが言えよう。アレらは辛くてなんぼなのだ。

「……まぁ、これも美味いんだけど」

 どうせ親の金だ。美味いものは美味い。他が欲しければ買えばいいのである。

 納得がいってついでに開き直った俺は、いよいよ白飯と対面させるべく再び高菜を食う。

 旨み! 食感! 酸味! その全てが俺の脳に「白飯を食え」と促して来る。良いだろう! 俺は今度は迷うことなく素直に白飯を食った。

「……美味い……!」

 当然である。

 明けない夜はない、くらい当然の摂理であった。

 どうして白飯という奴は自分も味を持ちながらこう、味の濃いものに合うのだろう。しかもその上で「主」たるは自分……恐ろしいやつだ。

「……お」

 そんな妄想に一人耽っていると、肘が何かに当たる。ごま油だ。何故こんなところに転がっている貴様。

 無視して食べ進めようとした――が、ふと脳裏を一つの考えがよぎる。いや、よぎらず占めた。

 俺の手元にあるのは何だ? そうだ、『ごま高菜』だ。

 そしてコイツは? そうだ、ごま油だ。

「……合わない訳が……」

 ない。

 ゴクリと俺の喉が鳴る。今の気分はさしずめ、不老不死の妙薬を思いついた錬金術師である。

 例えば卵料理にマヨネーズだ。合う。それはお互いに元は卵だからだ。

 例えば豆腐に醤油だ。合う。それはお互いに元は大豆だからだ。

 この論法――否、料理法から言えばごま高菜×ごま油は鉄板ということになる。

「……やる、か……!」

 俺は興奮に震える右手を抑えながら、白飯の上に高菜を乗せ、その上から惜しむことなくごま油を掛けた。高菜が艶やかな光沢を纏い、ごまの香りがつむじ風となって腹を刺激する。うおお、胃がぐいんぐいん動き始めた。

「……いただきます……!」

 既に言っているから言う必要もないのだが、その圧倒的オーラの前に思わず再度宣誓してしまう。そう、俺は今から頂きます、その旨みを。

 下のほかほかの白飯と一緒に、それを口内へ運んだ。

「――!!」

 電撃、走る。

 いや、走ったのはまさに『旨み』だ。その衝撃が強すぎて電撃と勘違いした。まさに雷霆の如く全身を駆け抜ける旨み。

 先程までの高菜のパワーに加えて、ごま油が口内を滑らかに蹂躙していく。これが油となったごまのパワーだというのか!

「……! ……!」

 はふはふ言いながらも、箸を動かす手が止まらない。次を、次を次を! 唾液が溢れ出てくる。もう随分食べているはずなのに腹の虫が飢えを訴える!

「………………これはヤバい……」

 俺がそう一息つく頃には、炊飯器からは飯が一合消えていた。それだけ、この組み合わせはヤバかった。

 これだけで世界から米が消えかねない……。

 これを俺の好物『辛子高菜』でやってしまった場合は一体どうなるのか……。

 ごくり、と満腹で満足したはずの喉が期待と興奮で鳴る。

 時は既に、白飯が炊けてから一時間が経とうとしていた。

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モラめし。 並兵凡太 @namiheibonta0307

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