第四部
「――よぉ、人間気取りのバケモノ」
「あぁ、望み喰い」
あれから......狂ったような惨劇があった昨日の夜から、ちょうど一日。
二十四時間の時が過ぎた。
まぁ別に、何も狂っちゃいなかったのだけど。
僕が勝手に狂っていると認識して......正しく世界を見られていなかっただけだ。
狂っていたのは僕だった。
一睡もせずに、朝日が昇ったあたりで......僕の記憶は、随分と片付けが終わっていた。
自分が何者であるのか。この世界はどんな世界なのか。
そして数時間後には、ほとんどのことを思い出せていた。
日が昇る間は、バケモノたちは人であれること......そして、夜になると、バケモノとして動き出すことを。
バケモノは深い闇を好む......だから昨日、沢山のバケモノが外に出てきていたのだ。
今の僕の頭の中は、とてもクリアだ。
もう狂ってなどいない。
自分がバケモノであることを、ちゃんと理解している。
自分も、バケモノであると。
「その名前は気に入らねぇな」
真っ直ぐに僕を見据える、大きな瞳。
気に入らないとは言いつつも、大して怒った風もない......平静そのものの顔だ。
まぁ、バクの怒った顔なんて分かりはしないけど。
しかし少なくとも、口調にその気があるようには思えなかった。
僕は恩人......というより、恩神であるはずのバクに対して、一見辛辣でもある言葉を続ける。
「だけど、僕はピッタリの名前だと思うぜ......なんてったって、お前は人の夢を、希望を、望みを喰らう......最悪の神、なんだからな」
それは嘘なき真実であり......同時に、虚偽で塗り固められた感情の、浅はかな思い違いでもあった。
「言ってくれるじゃねぇか......オイラはおめぇらに夢を、希望を、望みを与えてるじゃねぇかよ。それこそ、純粋で無垢そのものの神なんだぜ。無垢な、夢喰」
確かに......純粋で、清らかなのかもしれない。
こいつは、僕の、僕らの夢を......いとも容易く叶えてくれる。
実際に叶えたわけではなく、ただ本当に、夢を夢として見せているだけなのだけれど......しかし本人は、それに気付くまでは、夢を現実だと思い続けることができる。
しかし、一度気付いてしまえば......夢はこいつの食糧だ。
そうすることで存在している。
夢を与え、後になって夢を踏みにじる。
「何が無垢だ......クズのいい間違いじゃないのか」
「おうおう。いいのかおめぇ。元はと言えば、おめぇがオイラに願ったからこそ......おめぇはあんな夢みてぇな夢を見られたんだろうがよ」
......そうだ。僕だって......いつかこうなることは承知で、夢を見ていたのだから。
自分の夢を喰われると分かった上で、僕は契約を交わしたのだから。
「そして、お前は僕が育てた夢を喰う......僕が夢を認識したそのときに」
本当に、悔し紛れというか......ただの負け惜しみというか。
分かっている。
ここで悪いのは、間違いなく僕なのだ。
いざ時が来たからといって、承知の上で行った契約に対し、いちゃもんを付け......挙げ句の果てには、何も悪くない神に向かって八つ当たりだ。
嫌な奴だ......本当に。
「ちげぇちげぇ。夢でしかなかったと気付いたそのときに......だ。叶わぬ夢を、オイラは叶えてやってんだぜ......例えそれが幻想で、儚く、オイラの栄養補給のためでしかないとしても。おめぇらは、それで満足するんだろ?」
「......あぁ」
僕は諦めたように俯き、小さく肯定した。
もう逃れられない運命なのだ。
どれだけここで強がっても、恐らく全て、見透かされているだろう......そのガラスのような巨大な瞳で。
それとも、今から僕の夢を喰うことに......こいつは歓喜しているのだろうか。
蒔いた種が実を付けたときのような感情......なのだろうか。
粗野で乱暴で、しかし平坦な声からは......何も感じ取れない。
「しかし、まさか中途半端に呪いの効果が切れるなんてのは......予想外だったがな。おめぇの本にかけてた呪い......ありゃ少し改良が必要かもしんねぇ。まぁおめぇには関係ねぇ話だけどよ」
「あれを読んでる途中で寝ちゃったからな......確か、あれを毎日読み続けていないと、呪いの効果が解けるんだったか」
いわゆる魔法のアイテムというやつだ......僕はあの本のおかげで、毎日を夢のように過ごすことができていたのだ。
当たり前なんてものはどこにもない、嘘と理想で構成された夢の世界で。
「記憶の更新はされたが、世界の更新はされなかったってとこか......ちっ。こりゃまた色々と試行錯誤することになりそうだぜオイ。オイラにこんな面倒事を押し付けやがったんだから、おめぇの夢は大そううめぇんだろうな」
「夢の味なんて知らないね」
「妙に反抗的な奴だよなぁ、ったく。昨日のおめぇが可愛いくれぇだ」
「あいつは狂っていたからな」
「今でもおめぇは、まだ狂ってやがるんだぜ......いや、この世界だって狂ってやがる。数十世紀前は、ちょうどおめぇが夢見た世界とおんなじ感じだったんだぜ......いったいいつから、この世の中にはバケモノが蔓延るようになったのか。旧人類は絶滅しちまったのかねぇ......」
ふぅん、と僕は聞き流した。
色々と気になるワードはあったけど......どれだけ聞いても、あと少しで全て忘れてしまうのだから、聞いても意味はないだろう。
「しかし、結局こうなっちまったか。もう少し夢を大きくしてくれた方が良かったんだが。多分、昨日の時点で本をきちんと読めていりゃあ、おめぇは今頃まだ夢の最中だったと思うぜ。それこそ、昨日の出来事を夢だと思ってな」
「......前置きが随分長いぞ。やるならさっさとやってくれ」
遂に痺れを切らして、僕はどこかの映画の悪役のような台詞を吐いた。
しかし、やはりそこは悪魔と違い、自由奔放な神様。
巨大なバクは、特に動くわけでもなく......僕の目の前で佇んだままだった。
「オイラはお喋りな神様なんだよ......そう言うなって。どうせこれが最後になるんだから、ちったぁ楽しくトーキングタイムといこうじゃねぇか」
「純粋で清らかな無垢の神を自称する割には、細かい僕の願い事は聞いてくれないんだな」
「神様ってのは元よりそういうもんだ。都合がわりぃとすぐ投げ出す。頼まれても大抵聞いちゃやらねぇ。わがまま勝手な奴らなんだよ......神様のそういうところがあるから、古来から人類は悪魔に願い事をしてきたんだろうな。あいつらは、報酬に等しい代価......代償さえあれば、必ず願いを叶えてくれる」
「神頼みじゃなく、悪魔頼みの方が確実だ......ってことか?」
「ちげぇよ。悪魔は頼むだけじゃ駄目だ......ちゃんとした契約を行わないとな。悪魔契約だ。そういうところでは、オイラは神というより、悪魔に近しいとこがあるけどな」
「なるほど。悪魔......か。お前も悪魔なら、この世界には悪魔とバケモノだらけ......っつーわけだ」
「まったくだ。神様もいなくなったんじゃあ、もう救いようがねぇほどにこの世界は、狂っちまってんだろうよ......そんな狂った世界で、おめぇは狂っちまった。正しい夢を見て、狂った世界であるが故に......おめぇは狂った」
「......小説なら、これ以上ないほどのバッドエンドだな」
「そうでもねぇ。おめぇみたいに、正しい未来を夢見られる、狂ったバケモノがいる限り......まだ世界も狂い切っちゃあいないんだと、そう思えるぜ」
「僕が......そうか。それなら......今回の契約にしたって、そう悪いことじゃあなかったんだな」
「そういうこった」
おしゃべりが過ぎる神様だとは思う......けれど。
そのおかげで、少し救われたような気持ちにもなった。
......もうそろそろ、時間かな。
バケモノたちの夜の時間は、そう長くない。
「おめぇはそこら辺のベンチで眠っちまってていいぜ......おめぇが寝てる間に、全部終わらせちまうからよ」
なんとも軽いノリで、神様は言った。
いや、実際軽いことなのだろう。
こんなことは、今まで何百回、何千回と繰り返し行ってきたのだろうから......今さら、変に緊張することもない。
「僕が起きたら、全部忘れてるのか?」
「なに、そう心配すんじゃねぇ。記憶の書き換えをやるだけだからよ......流石に、今日の分は書き換えができねぇから消去するが、昨日以前の記憶は、うまく辻褄が合うようにしといてやる」
「......そっか。なら安心だな」
しかし逆に言えば、手腕に間違いはないということ。
信頼してもいいのだろう。
「......ふぅ......」
僕は公園のベンチの上に寝転がり、ゆっくりと目を閉じた。
そしてそのまま、口を動かす。
「――もしまた夢を見たくなったら、その時は......頼んだ」
「......まいどあり。なんつってな」
徹夜の疲れがあったようで、目を閉じた瞬間に、津波のような眠気が僕の脳内を満たしていく。
恐怖もなく、未来へ馳せる想いもなく。
寒さも感じず......僕の意識は段々と呑まれていった。
「――いただきます」
朦朧としていく意識の中で、そんな声が......聞こえたと思う。
僕の頬を、涙が一滴......つたった。
バケモノナイト 花の人 @hananohito
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