サクラ
@gourikihayatomo
第1話
「おはよう。気をつけて行ってらっしゃい」
私は毎朝、梢のてっぺんから子供たちに声をかける。一日で一番楽しい時間だ。大きなランドセルを背負ってお兄ちゃんのあとを一生懸命追いかける一年生、友達とのおしゃべりに夢中な三年生、私の声が耳に届いたかのようにこちらを見上げて微笑む五年生。
「アッ、危ない!」
車が途切れるのを待ちきれずに飛び出そうとする男の子。本当に近ごろは車が多くなってきた。だから私を見上げたりせず、道路にしっかり注意するんだよ。
でもいくらそう願っても、みんなが私に注目する季節がある。そう、それは春、私がピンクの花霞み一杯に輝くとき。
「今年も本当にきれいな花をありがとう」と声をかけてくれるのは6年生のお姉さん。どういたしまして、君も6年間、よく頑張ったね。
私がこの場所で子供たちを見守るようになって一体どれくらい経つのだろう。遠い昔、初めて私がおずおずと声をかけた時、子供たちが優しく答えてくれたのはよく憶えている。
「可愛いサクラの苗木さん。早く大きくなってきれいな花を咲かせてちょうだい」
子供たちは夏には水をまいて、私の周りに生い茂った雑草を取ってくれた。冬は幹を藁で包んで、まだか細かった私の身体を守ってくれもした。そして春には「早く花を咲かせてね」と声援して、初めて私がつぼみをつけた年にはやったね、おめでとう、と誉めてくれた。
沢山の小さな手と無数の励ましのおかげで、私はひとかどの桜の木に成長できたのだ。愛情が一番の栄養になるということを実感している。今でははるか、目の下に子供たちを見下ろしている私だけど、周りの全てを見上げなければならなかった小さな頃に受けた子供たちの親切は忘れない。
やがて道幅は広くなり、車の往来も随分増えた。交通の邪魔になるからと私の仲間たちは次々と切られたり、別の場所に移されたりしていなくなったが、私だけ運良く交差点のすぐそばにいたおかげで残された。子供たちが「このサクラを切らないで」と声を上げてくれたからでもある。私は子供たちにたくさんの恩があったのだ。
だから私も子供たちを精一杯守ってきた。高みから周囲を見渡し、交差点に猛スピードで突っ込んでくる車はいないか、いつも気をつけていた。そして危険な車がいたら幹全体を震わせて子供たちに警告したものだ。
でもついに私もここを去る時がきた。この交差点にもいよいよ信号機がつくようになり、邪魔になる私は切られることになったのだ。排気ガスで弱った老木は植え替えても再び花を咲かせる保証はないという訳だ。もちろん、これに私は違う意見を持っていたが。
私はそれでいいと思っている。覚悟は出来ていた。だって信号機ができるのも、子供たちの安全のためなのだから。
でも死んだら何処に行くのだろう?
私も天国に行けるかな。空の上からまた子供たちを見守ってあげられればいいのが。
一度だけ、そう、たった一度だけ私は天使に会ったことがある。
まだ今ほど大きくはなかった私の目の前で男の子が車にひかれたのだ。あっという間だった。その子は毎朝いつも、私に声を掛けてくれる明るくて優しい子だった。この場で両親が激しく泣き崩れるのを何度も目にして、私は二度とこんな悲劇をここで起こしてはいけない、と誓ったのだ。
何度目か、両親が花束を持って交差点にたたずんでいた時、ふっと気付くとその子が私の肩に腰掛けて両親に手を振っていた。ぼくは大丈夫だよ、とでもいうように。
でもその姿が見えたのは私だけだったろう。やがてその子は小さな羽根をふるわせて空の上に昇っていった。
やがて桜の大木は切り倒された。そしてその後にはその木と同じくらいの高さの信号機が立てられた。
「はやく青にならないかな」
だれだ?私を蹴飛ばすのは?周りは真っ暗で何も見えない。
「かわれ、かわれ」
子供たちの囃し立てる声。そして急に目の前がパッと明るくなった。
「青になったぞ。僕一番!」
私の真下を小学生たちが走っていた。
どうやら私は天使にはなれなかったようだ。でも天使になるより、このほうがずっといい。きっと神様はいるのだろう。私のこともちゃんと考えてくれていたのだから。
信号機に生まれ変わったサクラの木は、きれいな光の花びらを降らせながらいつまでも子供たちを見送っていた。
サクラ @gourikihayatomo
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