6. ルッキンフォー

*テーマ:二十二歳


 京浜東北線で起きた人身事故の影響で、湘南新宿ラインが運転計画を見直している。年の瀬に人身事故は多いと聞くが、湘南新宿ラインにとって日常茶飯事のその車内放送は、帰りを急がぬ二〇時半の乗客を立ち上がらせることはないのだった。物言わぬ客を視界に留めて聞く、滑舌の悪い乗務員アナウンスは、H・Gウェルズも嘆かんばかりのノン・リアリティに満ち満ちていた。

 かく言う私も同回生との飲み会帰りで、殊更に帰路を急ぐ身ではない。悠長にそのアナウンスを聞きながら、今しがた思いついたオチのない小噺をメール文面に記録している次第である。そうして携帯電話片手に視界を閉ざす自分も、ついに親指だけで会話する猿に成り果てたか、と思考の隅で嘲笑する。時節はすでに冬の頃で、大きいマスクがその笑みを無きものにした。


 親指で会話するニュージェネレーションを皮肉ったのは、高校二年のときの小論文指導係である。彼は携帯電話の登場で人々がリアルの世界から遠退くことを嘆いた。

 長いマフラーの端が電車の自動ドアに挟まって危ないなどと前時代的な危機感に戦慄いたのは、中学三年のときの生徒指導係である。彼は、自動ドアとマフラーの関係と同じくらい、ネットと若者の関係を危険視した。

 今年二十二になる私の将来を懸念したのは、小学六年のときの十二歳の私自身である。「十年後のわたしへ」と題して書いた絵手紙入りのタイムカプセルは、新体育館増設によって実物こそ葬られたが、たった十年前の文章など現物を見せられずとも覚えている。お元気ですか、彼氏はできましたか、どんなお仕事に就きましたか。そして最後に幸運を願う定型句。さすがの彼女も、十年後の就職難など予想だにしなかったことだろうが、何のためらいも疑念もなく、最低限「なんらかの職には就いている」という前提で話を問うとは我ながらオコガマシイ。それを己が無知さと恥じるか、それとも時代の変化としみじみ考え入るかはさておき。恐らく当時は選択肢の「せ」の字にも該当しなかったであろう、コンピュータの仕事に、来春から我が身を投じようとする大学四年の冬が目の前にはあった。

 しがない小説家でなく、売れない漫画家でもなく、スチュワーデス、お花屋さん、ケーキ屋さん、地方銀行の事務、横浜近辺のオフィスレディでもない、…システムエンジニア。物事はかくもありふれた形に収束するのか、と記憶を辿った脳みそはあっけらかんと空虚に投げ出された。あぁ、小論文指導係のM、生徒指導係のT、そして小学校六年生の私よ、君たちが案じた未来はやってこなかった。その未来にこの手で摑んでいたのは、〝それなり〟に労苦し、気を病み、努力して摘み取った一輪のタンポポだったのです。ちゃんちゃん。

 一人脳内漫談の終演と同時に、車内アナウンスが運転再開の朗報を告げる。ブラボー、上出来だ。そう心の内で一人ごちては、横浜駅までの残り二十分弱を明日のための快眠に費やした。


                 ***


 気がつくと、そこは自転車の上だった。否、ママチャリの後部座席だった。舗装されていない、細長いけもの道を走るママチャリは、がた・ごとと不快なリズムで尾骨に響いてくる。ここはどこだろうか。と、その前に、私がしがみついているこのママチャリの運転者は誰だろうか。後部座席からは顔が窺えないので、はっきりとは分からない。広い背中だ。恐らくは男性のそれで、結構なスピードでママチャリを漕いでいるはずなのに、脈拍がやけに落ち着いている。

「ねぇ、!」

 話しかけても返事はない。速度の問題で聞こえないのだろうか。それとも夢の住人には会話は不要だろうか。さっそう、この世界を夢の中だと判断した私は、「彼」と会話しようとする努力を止めた。

よくよく走り去っていく景色を眺めてみると、見渡す限りの木、木、木、木。欝蒼と生い茂る木々の隙間から、陽光はストライプ模様を描いていて、それを必死に浴びようとする小さな植物たちが生き生きと伸びていた。

 後方車輪の足掛けに体重をかけ、運転者の肩に力を込めて立ち上がってみる。すると、蜘蛛の巣の張った枝が額にクリーンヒットして、髪の毛に粘着質の糸が絡みついた。長く伸びた何某かの植物のつたは、ひきつる頬をなぜた。都会では見かけない大きな黒い蝶々が耳元で飛んで行った。これは堪らないと身体を低姿勢に落とすと、低い位置に群れている羽虫のテリトリーに顔面からつっこんだ。これを払いのけようと離した両手は、何のために運転者にしがみついていたのかも忘れて宙を舞った。

 スローモーション。

 上半身が乗り物のスピードについてゆけずに仰け反る。「あ」と思った瞬間には、運悪くカーブ状の橋のど真ん中。脇に控える小川に落ちたところで夢は醒めた。


                 ***


 乗務員が「武蔵小杉」の駅名を連呼する声で私は目を覚ました。どうやら電車はあの後発車したらしい。

 我に返って手もとの携帯電話を覗きこんでみると、未保存だったメールはすっかりクリアされている。一字一句文面を覚えているはずもないから、二度と打ち直すことはないだろう。代わりに今見た不思議な夢でも記録しておこうか。ふとそう考えて、さっきの情景を思い出してみた。

 どことなく、祖母の家の裏山の景色に似ていた気もする。春になると、よく竹の子を採りにあのけもの道を歩いたものだ。足元のぬかるむ下り坂を注意深く下ると、開けた視界に大きな畑が広がって、さらにその向こうの小山に標的は群生している。

 畦道の入口には、小さな掘立小屋が立っていて、青緑のトタン屋根から柔らかな光が差し込み、採れたての野菜を美しく輝かせていた。その無人の野菜直売所には、信頼の証に古びた貯金箱がそっと置いてある。値札に応じた金額をそこへ入れれば、その美しい野菜たちは自分のものになる。そのシステムは、幼い私にとって、とても幸福な出来事のように感じたものだ。

 はて、しかし、あの山に橋の架かった小川などあっただろうか。それにとてもじゃないが自転車で走れるような場所ではない。第一、あの男は一体何者だろうか。…思い出せば思い出すほど、夢のつぎはぎが顕わになってくる。それはたぶん、私の中にある数多くの記憶が、その端々で手をつないで構築されるからだろう。その一つ一つを正確に照合することはさすがに出来そうにない。ただ、ベースにあるのが、あの田舎の風景であることは間違いなさそうだった。

 横浜まではまだ時間がある。記憶から夢の足跡が消えてしまわないうちに、もう一度眠ってあの景色に会いに行きたいと思った。現実世界を寝過ごさないように、浅い眠りを心がける。俯いて瞼を閉じる瞬間、夢の最後に見た男の顔が気になった。小川に落ちる私を、泥水にまみれた私を、彼は振り返ってどんな顔で眺めただろうか。


                 ***


 目が覚めても、すぐにまた眠りに落ちれば、夢の続きが見られると言ったのは誰だったのだろう。夢に続きが本当にあるのならば、私は泥まみれの格好で冷たい小川に浸かっているはずで。汚れた服をどうしようかとか、靴下くらいは脱いで戻るかとか、そういう心配をしていたというのに。

 気がつくと、私は再び、走行中の自転車の後部座席に座っていた。運転席には恐らくさっきと同じ青年が乗っており、周りの景色も小川に差し掛かる前のところまで巻き戻されている。どうやら、私の脳はさっきと同じ夢をリプレイすることに決めたらしい。

 夢の中で、夢を夢と認識していることも珍しいことだが、前回の夢の記憶を保持したまま夢の中に登場することも可笑しな話だ。ともすれば、全く同じ世界であるならば、先の失敗を学習して結末を変えることができるだろう。今度こそ、自転車から振り落とされないように、しっかりと運転手を掴まえておこう。そして一度でいいからその顔を拝んでやる、と胸の内に小さく誓った。

 立ち上がらねば、蜘蛛の巣に激突することも、つたに頬をなぜられることもないだろう。羽虫の群れに当たらないためにも、なるべく低く姿勢を保っておくことが肝要である。私は、運転手の背中にぴったりと頬を寄せ、縮こまってトラブルをやり過ごそうと努めた。運転手の心音は規則正しく、小さな音だった。その広い背中に不似合いなほど、繊細で奥ゆかしく、それでいて心が落ち着く音だった。すこぶる運動量に比して非現実的なのはさておき、私はその音にしばし聞き入った。

 が、その刹那、自転車があの小さな橋に差し掛かる。右に曲がるカーブを描いたその橋はそれほど急な角度ではなかったが、自転車が走るスピード落とさなかったばかりに、重い遠心力が体に伸し掛った。油断していた私の体は、いとも容易くその力に引っ張られ、今回も結局小川に落ちる結末となって夢は幕を閉じた。


                 ***


 やあ、ひどいじゃないですか、我ながら。あそこでスピードを落とさない人がありますか。予想外の展開にびくりと肩を揺らして目を覚ました私は、内心で和やかに毒づいた。あの自転車のスピードと言ったら、ざぁっと効果音を立てて景色が移り去るほどの速さで、喩えるならばネコバスのスピードに等しい。ネコバスだって、あの急カーブに差し掛かろうものなら、さつきの一人や二人放り出していることだろう。

 夢の話で一喜一憂している私を、しかし乗客は気にもとめずに各々の世界に没頭していた。窓の外のホームに目を向けると、走りだす一瞬「蒲田」という文字が見えた。どうやら、夢のリミットは一駅分らしい。一駅過ぎる前に、必ず吉本新喜劇ばりの秀逸なオチを演じなければいけないのだろうか。それにしたって、そろそろ川に落ちるっていう古臭いオチはやめるべきだ。

 では、もしもあのまま振り落とされずに森の出口まで行けたらどうだろう。果たして、彼は私を連れて何処へ行くのだろうか。夢に論理もへったくれもないのは知っているが、これほどまでに鮮明な記憶として残されると、一視聴者のごとく話の続きが気になってくる。たしかネコバスは黄泉の国行きなのだったか? いやいや、それはあまりにも某掲示板の見すぎかもしれない。宮崎監督だってもう少し夢のある大人なはずだ。なら、きっと夢の先には、もっと夢があふれた世界があるはずだ。


                 ***


 三度目の正直にして成功なるか。

 まるで、SASUKEに挑む照英みたいに肩をいかつくさせて、気合を入れた。今回気をつけるべきことは二点。一つは姿勢を低く保ち、決してその姿勢を崩さないこと。もう一つは、コースの地形を注意深く観察し、カーブ通過時には体を横に倒して重心をコントロールすること。頭の中では照英が力いっぱい面舵を切って自転車を漕ぐ姿が想像された。面白かったが、あんまり想像しすぎると、夢に影響しそうなので、心を鎮めて指先に集中した。

 こうなってくると、もはや運転席の彼と私とは、旅を共にするパーティのように感じられた。森の出口を目指して、まだ見ぬ世界を目指して、幾多の困難を乗り越えるのだ。あるいはボブスレーの選手みたいに、速さを自在にコントロールして、ゴールを目指す。どちらも捨てがたい設定だったが、気分的にはすでに後者の様相だった。

 ぎゅっと強く握りしめた指先は、集中のあまり血が通わなくなっていたが、そんなことは気にしなかった。これは夢だし、血が出たって問題ではない。今はただ集中するのだ。彼の背中にじっとしがみつきながら、目を凝らして道の先を見るのだ。そして知るのだ。事前に知っておけば怖いことはない。それを回避する術を私は知っているから。心をコントロールすれば、夢の世界でできないことなどないはずだ。覚悟を決めた私は、細心の注意を払ってスピードに身を任せた。音を立てて、景色が過ぎ去っていく。鳥の羽ばたく音や、草を掻き分ける音だけが、速さについてきて耳を掠めた。虫たちのテリトリーを侵さないように、草花の生育を邪魔しないように、できるだけ自分の存在を縮めて走った。すると、橋を越えた辺りで初めて彼が背後の私を半分だけ振り返って言った。

「気をつけろよ、この先は――――」

 言葉の先がよく聞き取れない。この先は…何? 空気を裂く音に紛れて、彼の言葉の重要な部分は後ろへ飛ばされてしまったようだ。しばらくして、木々の並びが途切れた場所が見えた。森の出口だ。まばゆい光が正面から差し、前が見えない。だが、その先に、求めていた場所があるということは確信していた。もう少し、もう少しで、そこへ出る。「そこ」に行かなきゃ、と強く心が思った瞬間、目が開けて視野が戻った。けれど、そこは…ただの湘南新宿ラインの車内だった。


 これはまだ夢か、と自分の目を、頭を疑った。だが、窓の外を眺めてみると、どうやらここが現実らしい。強烈なオチでもつかない限り、夢と現実の境界はすごく希薄だった。しかし、夢の続きが見られなかった反面、心は安堵していた。これが、森の出口の先の世界でなくてよかったと。もっとあそこには大切な何かがあるはずなのだ。そして、それを私はすでに知っている。幼い頃に何度も見たことがあるから。だが、何を?

 肝心な部分が記憶の引き出しから欠如している気がした。幼い頃にも何度も見たことがある夢。そう、あの頃は夢の中の私も幼いままで、自転車にしがみつく背丈も小さかった。一人で自転車に乗ることはできなくて、だけどいつかその風を身体で感じて走ってみたかった。低い視点から見る世界は、今よりももっと広大で、虫を邪魔することもなければ、草花の生育を妨げることもなかった。心も自由なままで、自転車の速さにも柔軟に対応し、難しく考え込むことなくゴールに辿りつけた。そんな気がした。

 ゴールの先には? ゴールの先には何があった?

 ゴールの先には、たしか祖母の家があった。幼少期を過ごした祖母の家があった。い草の香る六畳の畳の部屋で、その部屋にあまる小さな布団を敷いて、昼寝をした場所。ホコリをかぶった大きなピアノによじ登って遊んだ場所。祖母の描いた絵を真似して、鉛筆を握りしめた場所。心がやすらぐ、あの記憶が残る場所だ。

そこに行きたいと願うのに、今も昔も夢の中でその家に辿りつくことは決してできなかった。きっと、それは思い出であって現実ではないからだろう。夢の中でさえ、そこに帰ることは叶わないのだ。なぜなら夢は自分を閉じ込めるものではなくて、生かすものだから。だから、時々過去を思い出しては逃げそうになる心を、優しく諭し、元の場所へと導くのだろう。

これまでもやもやと抱えていた疑念が、頭の中ですっと整理され、すとんと心の中で落ち着いた。自転車の運転手は、夢の旅先案内人で、強く心に根付いた誰かだった気がした。考えがまとまってみれば、さっきまで力んでいた肩の力は抜け、自然体の心で自転車に揺られていた。運転手の心音は規則正しく、穏やかな音色を奏でており、腰に回してしがみついた自分の腕は、不思議と愛情に満ちていた。

低木の並木を抜け、薄暗がりの中心を過ぎ、小川の流れる橋を渡って、森の出口にたどり着いた。まばゆい光が正面から降り注ぎ、目がくらむ。けれど、さっきまでの痛烈な光ではなく、包みこむような優しい光にそれは変わっていた。

「気を付けろよ、この先は――――」

「この先は?」


「――――海だ!」


 彼の叫ぶ声と共に光を抜けた瞬間、急に足の感覚が戻って身体がよろけた。手を付いた地面は温かい砂丘で、顔を上げると広い広い冬の海が広がっていた。空は晴天で、パラグライダーがゆるやかに曲線を描いて飛んでいた。あちこちに誰かが捨てた紙コップやビンが埋まっていたが、それは長い年月をかけて波をかぶり、すでに海岸のオブジェと化しているようにも見えた。

 先を歩く彼を見逃さないように、足元に注意しながら後を追う。ヒールの靴はさらさらとした砂に埋れ、歩きづらかった。なぜこんな靴を履いているのかと思うほど。裸足で走れば、もっと早く彼に追いつけるのに、と。足が汚れるのを無視して、ただ純粋に心が前進を望む。漸く追いついて彼の横に並んだ時、目の前の視界はリアルなほどクリアだった。冬の海でありながら、温かい。穏やかな波を奏でる、黒い九十九里の海がそこにあった。その大きな存在をしばし目に焼き付けてから、現実世界に戻ろうと振り返る。身体が半分振り返ったところで、大きな揺れに目は覚めた。


 「横」「浜」の二文字が、閉じそうな自動ドアの先に見えた。慌てて立ち上がった私を、乗客が怪訝そうに見つめた。どうやら動きの大きい物に対しては、人間、警戒心が働くらしい。

 小走りに扉を潜ると、冷たい外気がホーム沿いに身を吹き抜けた。リアルの風だった。ふう、と一息ついてから、改札へ向かう階段を降り始めた。

 海のよく見える街で育ってきた。けれど、九十九里の海は、そういえばまだ見たことがなかったな、と思った。手に握りしめたままだった携帯電話をダイヤルして、親指で彼の名前をタップする。数回のコールのあと聞こえてきた声に、心を和ませて一言。

「ねぇ、今度千葉に行こうか」

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ルッキンフォー 大村日記 @omuranikki

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