2 白猫の声 (第二十五回)

(ほおずき様の第二十五回「H3BO3企画」参加作品です)

 <お題: 猫 旅券 富士山>



「お前、どうしたんだよ? この前来たばっかりじゃんか」


 その声にどきりとした。あたしは移動教室の用意を落としそうになって、ギリギリのところで堪える。


「ん? そっか、そういうこともあるよな。分かるよ」


 とても優しい、声だった。こんな声聞いたことない、こんな声が向けられている人なんて見たことない!

 ストーカーみたいなことまでしてるのに、知らない人の声みたいだった。

 あの人はどこにいるの?

 声が聞こえる距離にはいるはずなのに、なんでこんなに遠く思えるのかしら。



 木の陰を見回して、ようやく見つけたあの人は、あどけない笑みで白猫キティーを撫でていた。


「俺もさ、投げ出したくなることあるよ。色々……でも、一人だけのことじゃ無いもんな、お互い。頑張らないと、いけないよな」


 いつも笑顔のあの人の悩みを、あたしは初めて知ったの。

 あの人の言葉が分かるみたいに猫が首もとの鈴を揺らした。






 あたしは帰省の準備をしている。

 あたりには同じく帰省する人がちらほら、高校だからちょっと目立つ。あたしはちょっと控えめに動いて、ほとんどの物はそのまま置いていくことにした。



 目立つのが怖いと思うようになったのはいつからだろう。この高校は、ううん、この人たちがそうなのかな。なぜか集団で動くことが多いの。女子で一緒にトイレ行ったりするのに、いつの間にかあたしも慣れちゃった。

 でも、今はちょっとだけそれを後悔してるの。

 あの人は、一人でも大丈夫な人。女子にも男子にも人気だから一人にはならないけど、一人になっても大丈夫な人だ。あたしには分かるよ。一人の方が自由に見えるもの。


 あの人は他人に合わせて行動するあたしを軽蔑するかな?

 それとも、視界にも入らないかな?



 分からなくなったあたしは、あの人にチョコを渡してしまったの。

 あたしを見て欲しかった。その先は、どうしたら良いかまだ分からない。


 できれば、あたしといるときに一人の時みたいな楽な顔をして欲しい。






「しばらく会えなくなるな」

 

 あの人の声だ。あたしは歩みを止めた。

 猫の鈴の音が小さく響いてる。きっとあの人の優しい指に撫でられてる。


「寂しくなるよ」


 その言葉、あたしに向けられていたなら、どれだけ聞きたかっただろう。

 猫にもあたしは嫉妬してる。きっとあの人に知られたら、嫌われちゃう……そう思ったら、頬が濡れていた。



 胸がチクリと痛んだ。



「…………?! 君、なんで」



 見つかっちゃった。

 あたしは反射的に逃げ出そうとする。何故だか痛くてうまく走れない。でも、覗き見してたことを知られてしまった。顔が、耳が熱い。恥ずかしくて何も言えなかった。


「待って」


 あなたは、ハンカチを持っていた。


「とりあえず、涙拭いて。よっぽどのことがあったんだろ?」






 しばらく、何も言わなかった。ううん、何も言わずにあなたの隣にいたくて、わざと黙っていた。


「無理に聞こうとは思わないけどさ」


 あなたが言葉を選んでいるのが分かる。白猫の眼みたいに美しくて大きな山の雪解け水みたいに澄んだ言葉を、いつもあなたは使う。


「苦しくて仕方ないことをしてるなら、僕は止めたいって思うよ」


「……ありがとう」


 あたしはそう言うしかなかった。だって、どうしてもそれ以外言えないもの。

 あなたのせいで苦しいなんて、どうやって言うの?




「あたし、春休みに帰省するの」


 あたしはできるだけ明るく、正しい発音で話した。


「帰省、って……帰るのか?」


 あたしは空色のチケットをポケットから取り出した。


「一年だし、みんなもそうだと思う。ほんの一時間くらいで帰れちゃうんだから」


「そういうものなのか……」


「……キティーも」


「え?」


「その白猫、キティーっていって、あたしの友達なの。一緒に連れてかなきゃいけないの」



 キティー、おいで。



 声をかけると、白猫は軽く地面を蹴って飛び上がった。あたしの腕に収まると、まだ遊び足りないって顔で鳴いた。それから、目を細めてあくびをする。


「あなたになついてるみたい」


 ごめんね、ほんとは、キティーは連れてかなくても良いの。






 胸のチクチクという痛みが本格的に強くなってきたのは、その時だった。

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天使の棘 山の端さっど @CridAgeT

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