冷凍保存の魂

くが

冷凍保存の魂

俺の仕事上、生きている人間が必要になってくる。しかもそこら辺から適当に集めた人間ではない。ちゃんと同意してくれた人間が必要なのだ。

まぁ、生きている人間がちょうど目の前にいる。だから少しだけ、俺の仕事風景を見せようと思う。

まずこの生者(以下、生者Aと呼称する)を催眠状態にかける。香を焚いて、ゆっくりと誘うように語りかける。これには時間が必要だ。およそ一時間。だがここを怠ると後々影響が出てくるため、手を抜くことはしない。

催眠状態にかかれば、メインの行程を行う。ここでは薬液を使用する。使うのは、『剥離液』と『固化液』だ。まずは催眠状態の生者Aに『剥離液』を30ml飲ませる。そうすれば生者Aの口より、小さな『魂』が浮き上がってくる。これを瓶に閉じ込めて、そこに『固化液』を数滴垂らす。

すると瓶の中で浮いている魂が結晶化。底へと落ちる。カラン、と氷のような音は小気味良く、いつ聞いてもいいものだった。

結晶化した魂は慎重に扱わなければならない。壊れやすい上に、固化液の性質上、溶かすともう元に戻らなくなるからだ。

故にこの作業部屋は温度が低い。それこそ真冬並だ。

さて。結晶化した魂は、溶けないように冷凍保存する。業務用冷凍庫に入れば、魂の入った瓶が幾百と並んでいる。瓶にラベルを貼って、保存だ。

問題は、空っぽの生者Aである。魂は記憶を持って行ってしまう。そして何より魂が抜けた生者は、ゾンビのようなものだ。だがそこに魂が戻れば、彼らはまた動き出す。故に、生者Aも専用の冷凍庫で保存だ。

彼らはゾンビに近い状態なので、冷凍保存も簡単である。

まぁ俺の仕事はここまで。魂を剥離して保存するまでだ。後は別の者たちに任せるとしよう。



一旦剥離された魂は剥離前の要望により、様々な人物に戻される。それは例えば少年であり、或いは女性であり、はたまた老人であったりする。

これは転生だ。記憶を引き継いだまま、好きな人間になることが出来る全く新しい転生である。人はこの技術を三十年前に確立し『人工転生手術』と呼んだ。死なずの転生は、当たり前の技術になりつつある。



俺には尊敬する兄がいた。いた。そう、過去形なのだ。もう彼という存在はない。彼は、魂を失った。つまりはあの生者Aと同じ存在、抜け殻だ。

体育館くらいの広さを持つ冷凍庫。その中の一つの冷凍保存槽。そこで保存されている兄を見て呟いた。「もう、俺の方が年上になっちゃったよ。兄さん」なんて言えば、言葉は白い吐息と共に宙を漂う。あれから十年が経ち、俺も色々と分かるようになってきた。酒の美味しさや女性との接し方、煙草は吸わないけれど、それなりに大人の嗜みを理解し始めるほどには、年を取った。

兄は、何故魂を失ったのか。俺はそれが知りたかった。

あの日を思い出す。古ぼけた兄の書斎。棚から崩れ落ちた本。横たわる兄。虚ろな目。隣にある小瓶。中で溶けた魂。褪せたカーテンが生温い風に揺れて、俺を嗤っているような気がした。やけに暑い日だった。汗でシャツが張り付いて、気持ち悪かったのを鮮明に覚えている。

俺は、あの日の真相を兄に問いたいのだ。

ならばすることは一つ。魂を、元通りにすることだけだ。

……兄の冷凍保存槽を閉じて、俺は冷凍庫を出た。冬だと言うのに少しだけ暖かく感じるのは、冷凍庫にいたからだろう。適当なことを考え、憂いを引き摺ったまま研究室へと向かう。

研究室はアンティーク調だ。尊敬していた兄を真似て、ソファや机、本棚、扉に至るまで揃えてある。それでも研究室は研究室だ。薬品や器具がそこかしこに置いてある。ふと匂いが鼻腔に触れた。剥離液や固化液の独特な香りに混じって、オレンジのような香りがあった。

また来たのか。そう思って振り返ると、扉の背中に隠れていたらしい彼女が、ひょっこりと顔を見せて悪戯に微笑むのだ。

「やっほ。先生」なんて言って、体も扉の背から出す。

「マリオン。お前はここに入るなって何度言ったら分かるんだ?」

嘆息して肩を落としたら、彼女____マリオンから可笑しそうな笑い声が聞こえる。それに少し口の端を下げるのは致し方ないことだろう。

「やだなぁ先生。退屈なんだからいいじゃない。それとも、私には会いたくない?」

「病室で毎日会っているだろう」と不満そうに言うと「プライベートはどうなの?」と返ってくる。

「出来ることならプライベートくらい仕事を忘れさせてくれ」

間延びした不服そうな声が返ってきた。

「どうせここでも魂弄ってるんでしょ?だったら仕事と同じよ」

確かに研究はしているが、と言いかけて止めた。どうせ何を言っても黙ることはないのだから、言うだけ無駄だ。溜め息を吐き出して、「ソファにでも座ってろ」と言えば短く歓喜の声をあげる彼女。俺は机の椅子を引っ張ってソファの近くへ持ってくると、冷蔵庫(一般家庭にあるような)からジュースを渡した。そのまま談笑へ移るわけだが、どうにも休まった気がしないのはやっぱり彼女のせいだ。

「……で。ここに来たのはお喋りするためだけじゃないだろう?」

言外に本題を促した。すると一度目を丸くした彼女は、困ったように眉を下げて笑った。「やっぱり分かっちゃうか」と笑った。

俺は缶コーヒーを一口飲んで、

「明日の手術が怖いか」と問えば、意外にも否定の言葉が。

「違うの。明日の手術を考えてたら、魂について考えちゃって。……魂って何なんだろうって」

先生なら分かるかも、って思ったんだ。そう言って苦笑した彼女に、俺は仄かな儚さを感じる。手術前の患者は、いつもそう見えた。それは魂を剥離するからか、或いは別の何かか。

「……医療の面から言えば、魂は二十一グラムの記録媒体だと思う。記憶や感情などを保存する記録媒体だ」

でも。

「でも本質は違うのだろう。きっと言葉じゃ説明出来ない、それでも説明するならば……そうだな、己の核じゃないだろうか」

「核?」。不思議そうな声で返されて、俺は頷いた。

「自分の本質。自分の芯。様々な言葉があると思うが、何もかもを取り除いて、それでも残ったものが自分の本質、魂に該当するのかもしれないな」

ベラベラと語りすぎただろうか。思って彼女を見れば、満足そうな顔で頷いていた。どうやら欲しい答えを得られたらしい。

俺は時計を確認する素振りを見せて、椅子から立ち上がるのだ。「ほら、そろそろ帰った方がいい。明日は手術なんだから」と適当なことを言う。

「はぁい。……先生、」

扉へ向かって歩いていた彼女が、くるりと振り返って、

「明日はよろしくね」

なんて笑顔で言った。そして二の句を次ぐ暇もなく、スリッパを鳴らしながら研究室を去っていく。後に残ったのは、微かなオレンジの芳香だけ。

それを握り潰すように窓を開けた。夜風が心地よかった。

……魂は、己の核である。それは俺の言葉ではない。兄の言葉だ。いつか俺に語ってくれたそれを、スピーカーのように再生しただけ。今となってはそれを言った人物は凍っている。冷凍保存された体と壊れかけの魂は、決して語ることはない。



マリオンが死んだ。手術中のミスにより、魂の再移植が出来なかったらしい。

感慨など湧かなかった。これは起こりうることなのだ、仕方がないと、心で割りきっていた。

マリオンの遺品を整理していた時のことだ。引き出しより、俺に宛てた手紙が出てきた。手紙には、こう書かれていた。

『先生へ。一年前、私達は出会ったね。

病気でもう長くないからと人工転生を勧められてここに来た私だけど、先生を初めて見たときに思ったわ。この人に出会うために生まれて来たんだ、って。だからそれからは、ボサボサだった髪の毛も整えたし、化粧だって覚えたし、服にだって気を遣うようになったわ。先生に会うときの自分を、美しく見せたかったんだもの。

でも先生ったら、全然気づいてくれなくて、こっちはやきもきしたわ。鈍感なのは時にはいいかもしれないけど、少しぐらい気づいてほしかったわね。

手術が終わって会うときには、もう今の私じゃないから、ちゃんと前の私を覚えててほしいわ。オリジナルの私を。

先生は言ってくれたわよね。魂は己の核だって。あれを聞いて安心したわ。自分の核が残るのなら、私っていう存在は容姿が誰になろうと私なんだって。だから先生、姿が変わった私を楽しみにしてるといいわ。

冷たいあなたが好き。仕事熱心なあなたが好き。たまに見せる切なそうな表情が好き。あなたのすべてが好き。先生、大好きよ。

手術が終わっても、この想いは消えないわ。先生をメロメロにしちゃうんだから。

そうそう。いつもいつも頑張って仕事をしてるけど、根を詰めすぎちゃだめよ?

それでは、また会いましょう。____親愛なる先生の患者、マリオンより』

急に、彼女という存在が抹消された実感を覚えた。魂が消えたのだ、もう元には戻らない。だというのに、何故____

____こんなにも彼女に会いたいのだろうか。

会って、何を思ってこれを書いたのか問いたい。何故、俺なんかを好きになった。何故、無条件で俺を信頼している。何故。何故。

知りたい。いつもそうだ。もう聞くことなど出来ないと分かってから、知りたいと思う。遅いのに。遅すぎるのに。

思いきり壁に拳を叩きつけた。手紙を持ったままの手で、髪の毛を握りつぶす。

今の技術じゃどうしても魂を元に戻すことは出来ない。ならいったいどうすればいい。どうすればあなたたちの声を聞くことができる?

その瞬間だった。なにもかもが思考の海から解放され、一気に空へと舞い上がる。

____そうか。なら、俺も……。

俺は一目散に研究室へと走った。自分のではない。俺の助手にあたる人物のもとへ。途中何度も転びそうになったが、俺はそれでも走った。

扉を勢いよく開けると、驚いた表情の助手と目があった。あんまり感情を表に出さない君が、珍しい。と思考の端で考えて、助手に大股で詰め寄る。肩を掴んで、俺は真剣な表情でこう言うのだ。

「頼みがある」

知りたい。知りたいから俺は、こうするのだ。



彼の仕事上、生きている人間が必要になってくる。しかもそこら辺から適当に集めた人間ではない。ちゃんと同意してくれた人間が必要なのだ。

教えてほしい。もう一度会いたい。それが未来ならば、きっと。

なぁ、兄さん、マリオン。

また会いたいなぁ。




そうして俺はすべてを未来に託し、魂と体を、冷凍保存させた。

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冷凍保存の魂 くが @rentarou17

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