第12話 戦闘少女ネリー

 お別れの会は、ゾシマ長老による長い長いスピーチで幕を開けた。

 入念なリサーチのもとしたためられた原稿は、亡くなった4人の事細かな生い立ちに始まり、各人のドストエフスキー研究会入部時のエピソード、命名の理由、どすけん内における交友関係と続いていった。

 部員たちの中からは、亡くなったひとりひとりに対する深い理解と愛情に満ちたゾシマ長老のスピーチに聴き入り、感動し涙を流す者が何人も現れた。けれども、そのあまりにも細かすぎ、長すぎる話はやがて聴衆の集中力を削いでいった。各人の履修していた科目とその成績に話が及ぶ段になっては、居眠りをする者が続出した。

 このあとにつづくスピーチを準備していた者たちは、自分たちが言うべきことをすべてゾシマ長老に言われてしまうのではないかと恐れたし、司会進行を務めるポリフィーリイは、巻きで話すようにたびたびゾシマ長老に合図を送ったが、長老は一顧だにすることなく原稿を読み続けた。自身のスピーチを感動的に演出しようと画策していた2番手のキリーロフは、長老のスピーチが終わりそうな頃合いでまぶたに目薬を仕込んだが、終わりそうで終わらない山場が繰り返されるたびに何度も目薬をさす羽目になった。


「汝らの魂よ、永遠に! 復活のその日まで!」


 謎めいた言葉でスピーチを締めくくったゾシマ長老は、まばらな拍手の中颯爽と退場していった。


「ええと、ゾシマ長老からの大切なお話でした。長老はこの日のために、遺族の方たちや教員のみなさんに何日もかけてインタビューをしたとのこと。たいへんためになるお話でしたね……」

 タイムスケジュールがすっかり狂ってしまったことに苛立ちを隠し切れないポリフィーリイは、目を真っ赤に充血させたキリーロフに尋ねた。

「キリーロフ、次はきみだけど、もういいよね?」




 スピーチを終えるなり部室を飛び出したゾシマ長老は、喫煙所に急行し、一世一代の見せ場をつつがなく終えた安堵感の中で煙をくゆらせた。


 ――いい話ができた。これであの4人も無事に成仏できるだろうか。いや、そんなに簡単なことじゃない。4人の死を、呪われしわれらがドストエフスキー研究会によってもたらされた死を、その罪を、重い十字架のように背負っていかなきゃいけないんだ、われわれは……。


 そうして2本目のたばこに火をつけたとき、ふと気づくと、目の前に小さな女の子が立っていた。

 金髪で青い目。だが顔つきは日本人のようでもある。ハーフの子だろうか。背丈は、小学2年生になったいとこの子よりも少し低い。5歳か6歳くらいだろうか。なぜこんな小さなこどもがこんな場所に?


「それ、なに?」

 少女はゾシマ長老の手元をじっと見つめながら、突然問いかけた。

「それって? たばこのことかい?」

「貸して」

 少女がたばこの方へ手を伸ばす。

「だめだよ。これは大人にならないと持っちゃいけないんだ」

「なぜ?」

「なぜって……、からだに悪いからさ」

「そう」


 奇妙な少女だ。彼女の口調には、こどものものとは思えない鋭さがあった。よく見るとその顔もどこか大人びている。とても5歳や6歳のこどもの顔とは思えない、もっと長い時間を生きてきたものの顔。


「あなたのからだには良いの?」

「良くないよ。大人にとってもね。だからたとえ大きくなっても、たばこなんて吸うもんじゃない」

「それならなぜあなたは?」

「心が弱いからだよ。やめられないんだ」

「そう。あなたの心は弱い」


 ゾシマ長老は、その少女に何かぞっとするような冷酷さを感じた。

「きみはどうしてここに? お父さんやお母さんは一緒じゃないの?」

「お父さんもお母さんもいないわ。死んでしまったの」

「……。きみ、名前は?」

「ネリー」


――ネリー。その名前には確かに聞き覚えがある。


「貸して」

 少女は再びたばこに手を伸ばし、今度は素手で燃えるたばこの先端に触れた。


「熱い!」


 少女が叫び声をあげた次の瞬間、鋭利で巨大な物体が宙を切り裂いた。

 ゾシマ長老の手にしていたたばこは縦に真っ二つに裂け、地面に落ちた。

 

 少女は巨大な斧を手にしていた。いや、そうではない。少女の腕そのものが斧に変形していた。少女と斧とは一体なのだった。


――そうか、ネリー。きみだったのか。きみが甦ったんだね。

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ドストエフスキーは死ぬまでなおらない フレーブニコフ37 @Khlebnikov37

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