この世で一番まずい寿司

西森修

この世で一番まずい寿司

 「いらっしゃいませー」の笑顔が、だんだん引きつってくるのを俺は自覚した。まぶたも重い。明日のシフトだって朝イチだ。深夜営業はこれだから嫌なんだ。


 「いらっしゃいませー」の声が、なんだか遠くから聞こえた気がした。私は今酔っている。意識ははっきりとある。けれど、それとは別のふわふわした聴覚が私を混乱させる。私ハオ寿司ヲ食ベニ来タ。酔った感覚の中、それだけははっきりしていた。


 正面に座った女性は明らかに呑んでいた。暗い目をして、上半身を左右に揺らしながら、黙々と寿司を頬張り続ける。そして時折、高いネタを注文するためにこっちを見る。ああ、何も考えてないんだろうな。


 (何も考えてないんだろうな。)

向いの若い店員がそんな目をして私を見ている。瞬間、何か冷えたものが私の体をぐるぐる回った。それは次第に熱を帯びて、余計に私の感覚を狂わせた。私はただ寿司を食べたくてここに来たのだ。しかしどうだろう、不躾に私をじろじろ見てくるこの男は。正直不快でしかない。こんなにも寿司はおいしいのに。


 深夜の寿司は当然ながら鮮度が落ちる。客の入りもネタも少なくなるしシャリの量も調節しないとだから、美味しくはない筈だ。なのにこの女性はいかにも美味そうに食べる。わざわざパサパサの赤身をさりげなくこちらに見せて、大きい口の中へと押し込む。そしてなぜか俺を睨んで口を動かす。挑発だ。俺は笑顔を作るのを忘れて女を、女の動きを見つめていた。


 「イカ1皿」

大声を出していたようで、店員は驚いた顔をしてしばらくぼうっとしていた。しかしすぐに笑顔を作って「申し訳ございません」と伝えた。どうやらネタ切れらしい。私は粉末の残ったお茶を飲んで、席を立った。そして店を見渡すと、私と2人の店員がいるだけだった。


 皿を片づけるためカウンターに出ると、寿司が皿に一個残っていた。俺は、女を思い出しながら、それを頬張った。きっとその時、俺は渋い顔をしただろう。

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この世で一番まずい寿司 西森修 @shu_nishinomory

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