明日、君はカレーになる(今日、僕はシチューになる)

姉川正義

第1話 明日、君はカレーになる(今日、僕はシチューになる)

 明日のメニューはカレーにしようと決めた。何故ならば、カレーが君の好物だからだ。そして僕が唯一まともに作れるメニューだからだ。仲直りの晩ご飯としてカレーほど相応しいものが他にあるだろうか。僕はカレーを出して、福神漬けを出して、君はおいしいねと笑って、おかわりを所望する。ほら、もう怒ってない。完璧だ。


 昨夜は僕が夕飯の当番だった。僕はおでんを作ろうとして失敗した。ちょっと、そうちょっとだけ、調味料の配合を間違えたのだ。せっかく買ってきた大根も厚揚げもはんぺんも何もかもが台無しになった。帰ってくるなり君は臭いと言い放ち、確かに僕もそう感じてはいたけれどそんなにはっきり言うことないじゃないかと思った。ふたりとも腹が減っていたのだ。人間、腹が減ると必要以上に不機嫌になる。台無しになった食材は、とても食べられたものじゃなかった。


 明日はそんなことにはならない。僕は同じ失敗を繰り返さない。とっておきの食材を用意しよう。野菜も肉も吟味して吟味して、一番おいしいのを、じっくりじっくり煮込むのだ。もちろん市販のルーは使わない。スパイスは無農薬の直輸入だ。ナツメグ、カルダモン、シナモン、クミン、クローブ、コリアンダー、ターメリック。岩塩と小麦粉と一緒に練るのだ。

 たまねぎは3時間炒めてあめ色にする。にんじんとじゃが芋を加えてざっと油がまわったら、水。硬くなると嫌だからお肉はまだ入れない。火が通ったら牛乳とヨーグルト、マンゴーチャツネ、トマト缶を足す。それから練ったスパイス、ブイヨン、隠し味にしょうゆをひと垂らし。君はオイスターソースも少し入れるのが好きだ、ちゃんと分かってる。

 ことこと煮込む横でお肉の準備を。もちろん、血抜きは今日の夜に済ませてあるのだ。まず、腕と脚を切り落とす。一番おいしいのは太腿のお肉。ほどよく脂がのっていてやわらかい。一口大に切って、秘蔵の赤ワインでフランベしておく。すねから腱を切り出して、これは野菜のブイヨンで煮込んでやわらかくする。どこで食べたか忘れたけど、牛スジカレーってやつがおいしかったんだ。君も気に入ってたよね。

 お腹、胸、首、肩、すべてをきちんと解体して食べやすい大きさに切っておく。もちろん骨だって無駄にはしない。カラカラになるまで直火で炙って、ぱきんと割ったら中の髄が食べられるんだ、知ってた? それに、煮込むといい出汁が出る。

 指輪は、そうだな、どうしよう。さすがに食べられない。きれいだからテーブルに飾っておこうか。それがいい。君の好みに合わせて僕が選んだ、シンプルなデザインの指輪。君の指に嵌まったままの方がきれいだったかな。しまった、手は解体せずにとっておくべきだった。

 いやいやテーブルの飾りより大事なのはお皿の中身だ。そろそろお肉を鍋に投入しよう。それからまたしばらく煮込んで、うん、いい匂い。スパイスの香りが食欲をそそる。そうこうするうちにお米も炊けた。白いお皿に盛りつけて、銀のスプーンを添えて。

 いただきます。とてもおいしい。にっこり。

 明日、君はカレーになる。君の好物の、カレーになる。僕はカレーになった君を食べる。


 …………だけど、あれ?

 おかしいな。


 君をカレーを食べているはずの

 僕の腕が見当たらない


 消えちゃったよ?



 チェーンソーを持った君が僕を解体している。これは今日のできごとだ。君が解体されるのは明日だから、今日の君はまだカレーになっていない。当然だ。

 僕が失敗おでんを食べさせたことを、君はもう怒っていない。ほんとうは料理が下手なのは君の方で、だから文句は言っちゃいけないと考えるのが君の長所だ。君が当番の日の晩ご飯はレトルトだったりする。君はそれを自分の小遣いから出す。当番制にしなくてもいいんじゃないかと僕は提案したけれど、それは平等じゃないと答えるところも君の長所だ。

 僕は君の長所をたくさん知っている。僕は君のことがだいすきだ。君はとてもまっすぐで、僕を怒鳴ったことを後悔している。ああそうか、だから今夜はシチューなんだね。君が唯一まともに作れるメニューだから。仲直りの晩ご飯としてシチューほど相応しいものが他にあるだろうか。君はシチューを出して、ロールパンを出して、僕はおいしいねと笑って、おかわりを所望する。ほら、もう怒ってない。完璧だ。

 仲直りのメニューのために、君は僕を解体する。あんまり手際がいいとは言えないけれど、できるだけ無駄を出さないようにと君は一生懸命だ。だって君は僕のことがだいすきだから。だいすきな僕を無駄にしないように、君は汗水たらして頑張っている。

 まず、腕と脚と頭を切り落とす。お腹、胸、首、肩、すべてをきちんと解体して食べやすい大きさに切っておく。もちろん骨だって無駄にはしない。煮込むといい出汁が出る。

 指輪は、どうしよう。君は少しだけ迷って、僕の分の指輪も自分の指に嵌めることにした。そうかその手があったか。いい考えだ。

 すべてを解体し終わった頃には君はへとへとだったけれど、おいしいシチューのためにもう一踏ん張りだ。にんじん、じゃが芋、たまねぎを切る。自分の指もちょっと切った。たまねぎのせいで涙が止まらない。ばらばらの大きさになった歪な野菜を全部鍋に入れ、火にかける。ルーの箱は横にスタンバイしている。あとは煮るだけ。

 いただきます。とてもおいしい。にっこり。

 今日、僕はシチューになる。僕の好物の、シチューになる。君はシチューになった僕を食べる。


 僕のシチューを食べる君を、僕が見ている。何故ならば僕は明日の僕だからだ。カレーを作って仲直りする、明日の僕だからだ。シチューを作って仲直りする今日の君を、見ている。


 今日は昨日の明日で、明日は明日の今日。つまり今日は明日で、明日は今日だ。

 今日の僕は昨日の明日の僕で、明日の君は明日の今日の君で、今日の君は昨日の明日の君で、明日の僕は明日の今日の僕。つまり今日の君は明日の僕で僕の今日は君の明日。


 明日、君はカレーになる。

 今日、僕はシチューになる。

 ほら、もう怒ってない。

 仲直り。

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明日、君はカレーになる(今日、僕はシチューになる) 姉川正義 @anegawamsjs

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