色彩



暗い海底のような深い闇から私は覚醒した。


そこに広がる景色は見慣れた宿ではなく、荒々しい岩肌が包み込む洞窟であった。


……この洞窟に見覚えがある。そこはかつて私が棲んでいた場所、私の原点。


–––これは、夢?


無意識に体が立ち上がる。辺りを見渡そうとしたところで私は異変に気が付く。


–––体を動かせない。


どう足掻いても体は思った通りに動かない。そればかりか、自分の意思とは異なる動きを始める。


集まっているまきに火打ち石で火をつける。魔法が使えない私にとってこれが最も効率的で慣れた火の灯し方なのだ、私の使えるスキルの中に火を扱うものは無いし。


薪に火が灯ると辺りがぼんやりと暖かい光に包まれる。

私はゆったりとした足取りで洞窟の隅にあるお気に入りの石椅子へ足を抱えて座り込む。


–––どうやらこれは夢じゃない。これは……私の記憶だ。


ぼんやりと焚き火を眺める中で、唯一働く思考でそんなことを考えている。




これは……私の記憶、鬱々たる現実と残酷な現実に壊れかけていた頃の私だ。




全ての世界から色が無くなってしまった私だ。

何に対しても何も想わず、兀々こつこつと自己破壊衝動を募らせていた私だ。


何かを思い立ったのか、私は立ち上がり洞窟の出口へと向かう。


–––ああ、覚えている。夕飯となる魚を採りに行ったんだ。思いの外、釣りが下手くそだったから二匹しか釣れなかったんだっけ。


私の記憶通りに私は落ち込んだ様子で二匹の魚を持って洞窟へと帰る。


–––この後は確か、罠の張り直しと確認だっけ?


洞窟の入り口へ対侵入用のスキルと罠を張り巡らせていることを確認している。私は今一度確認をする。


私は誰も洞窟へと侵入させないように罠を張り巡らせている。もちろん、非殺傷ひさっしょうの罠であり害は無いものである。

……まあ、一日二日は動かなくなるだろうけど。


罠がしっかりと作動するのを確認すると、洞窟の奥へと帰る。

自慢ではないが私は罠には自信があった。実際この日までは山ウサギ一匹すら洞窟に入れたことは無かった。


火が灯ったままの焚き火へ魚を立て掛けて炙る。また私は定位置へと戻り、ボーッと魚を

眺める。


私は記憶を眺める……と言うのは言葉的におかしいだろうか? しかし、現に私は記憶を眺めている。

このまま起こる出来事を私は眺めることにする。


––キィーン。


バッと立ち上がり、私は感覚を研ぎ澄ませる。何かが感知スキルに引っかかった。


私は地面を蹴って高く跳んでゴツゴツとした岩肌を伝い、ちょうど焚き火の辺りを見渡せる高さの窪みへと身を隠す。


相変わらず感知スキルに引っかかったままのは接近を続け、それは姿を現わす。


私よりとしが少し上くらいの少年だ。ここら辺ではあまり見かけない茶髪に駆け出し冒険者のような装備。ポーっとした顔で少年はゆっくりと歩みを進める。


私は短剣を構えていつでも動き出せるように身構える。

少年は辺りをキョロキョロと見回し始め、部屋の中央へと進む。


するとその瞬間、少年が目にも留まらぬ速さで……! 魚へと齧りついた。


あまりの突然の出来事に口を開けてポカンとしていると、少年は瞬く間に魚を一匹食べ終える。……どうやら悪い人では無いらしいがそれよりも私の魚!!


サッと窪みから飛び降りて少年の目の前へと姿を現わす。


「おわっ!? ビックリした!!」

「私からすると勝手に洞窟に入ってきて勝手に魚を食べるあなたにビックリです」


少年は恥ずかしそうに笑いながら手に持っていた魚をサッと隠す。


「びっくりした〜。ってかあんたこんなトコで何してんだよ?」

「私よりあなたの話です、なんでこんな所にいるんですか? というかどうやって入ってきたんですか?」

「腹が減っててよ、そしたら良い匂いが洞窟からすると思って入ってきたんだ。罠はそりゃ、チョチョイっと」

「ち、チョチョイっと!?」


少年の軽い態度に驚く。

少年にとって私の罠はチョチョイっと解除出来る程度の物なのだ。


少し落ち込んでいると少年はここへとやってきた理由ワケを話し出す。


「とあるクエストでな。ここら辺に出没する特殊モンスターを討伐に来たんだよ」

「特殊……モンスター??」


頭を傾げながら聞くと少年は驚いた顔をする。


「知らねえの? ギルドでもまだ存在を確認していない未明モンスターのことをそう言うんだよ。ま、大体は見間違いや噂のたぐいなんだけどな」


なるほど、少し聞いたことがある。村人や冒険者からの目撃情報を元にギルドから出されるクエストだ。

クエストを達成すると通常報酬だけではなく、モンスター登録料や特別報酬など上乗せでの報酬が貰える。

一攫千金を狙う冒険者達はこぞってこのクエストをクリアしようとするが、難易度不明のモンスターが出現する為、高クラスの冒険者でしか受注できない高難易度クエストのはずだ。


–––そんな風には見えないけど……。


頭をポリポリと掻きながらあくびをする少年を見ると、どう見ても初級冒険者かただの村人にしか見えない。

高クラスの冒険者が放つ独特の雰囲気や覇気なんて更々無い。


「報酬が良いですもんね」

「ん? そりゃそれもあるけど俺の目的は違うよ」

「目的?」


その瞬間、少年の雰囲気がガラリと変わる。

どう表現したら良いのだろうか、冷たい水が沸騰するような。そんな怒りみたいなものが瞳に宿っていた。……少しだけ怖い。


気づかない内にそれが顔に出ていたのだろう。少年は軽く頭を下げた。


「……ごめん、今回のモンスターにたくさんの冒険者が殺されているらしいんだ。目撃した冒険者の話によると『死』を体現したような、そんなモンスターだったらしい」


悔しそうに唇を噛んで言う。仲間が殺されたのだろうか、少年の瞳には怒りとは別の静かなものが宿っている気がした。


–––この人なら、かな?


「あんたはなんでこんな所に住んでいるんだ?」

「フフ、何ででしょうね。それはともかく、私はあなたの言うモンスターを知っていますよ」

「本当か⁉︎ どこにいるんだ⁉︎」


私の言葉に少年は途端に興奮したように身を乗り出す。……あぁどうせこの人も逃げだすのだろう。


私はキョロキョロと辺りを見回して、隅を走り抜けようとしたネズミを鷲掴みにする。


少年は「何をしてるんだ?」と言いかけて言葉が止まる。目を見開いて見つめる視線の先には私が掴んでいるネズミ。私が触れた瞬間、少し体が膨らむと全身から血を吹き出して苦しそうにもがいて……動かなくなる。


私はネズミだった肉塊をポイッと捨てると少年の瞳を見つめる。




「私があなたの言うですよ。ほら、殺してみて下さい」





腰に差していた短剣を少年の足元へと放る。

少年の表情が曇る。目の前の出来事を信じられないと言った顔だ。


「どうしたんですか? 『死を体現したモンスター』、その通りです。私は触れた物全てを殺します。私を野放しにしたならもっと犠牲者が出るかも知れないですよ」


私は嘲るように少年に笑いかける。


少年はジッとこちらを見つめる、その真っ直ぐな瞳に思わず目を逸らしてしまう。


「殺さないなら私があなたを殺しますよ? その前に逃げたらどうですか?」

「……殺せるわけないだろ。それに俺は逃げもしない」

「……ハァ、なるほど。あなたは偽善者という種類の人間なんですね、それとも臆病者という種類ですか?」

「違う! ……ただ、俺には君が無差別に人を殺すようには見えないだけなんだ」


思いがけない言葉に少しだけ心が揺らぐ、もしかしてこの人は人なのか?


……いや違う、この人だって私を殺そうとする。どうせそうする。


「あなたに……何がわかるって言うんですか!! 何も知らないくせに!!」


思わず叫ぶ、頬を熱いものがスゥッと伝う。


「……分かるさ、もし殺す気なら最初から殺そうとしていたはずだよ。でも君はしなかった、わざわざ姿を現した。そして今、俺が逃げれるようにわざわざ俺を出口の近くへと誘導しようとしてる」

「……! それはその……気まぐれです! 」

「それだけじゃない、君の仕掛けた罠。全てわざわざ見つかるように仕掛けていた、罠を見つけてここへ入らないようにしていたんじゃないのか?」

「……違う。違う違う! 私はそんな人間じゃない! 私は殺すためだけに生まれた! 人を助けようなんて……!」


喋れば喋るほど涙が溢れる。涙だけではない、私の精一杯の強がりも同時に溢れ出る。


–––違う、私は助けなんて求めてない! 私はずっとここに一人。ここで一人で過ごして生きていくんだ。……何のために?


考えないようにしていた現実が一気に押し寄せてくる。

ボロボロながらも自分の心を殺すことで何とか保ってきた。それが音を立てて瓦解がかいしていく。


「どうせあなたも私を殺そうとする……、今までがそうだった! 私は何もしないのに、何もしたくないのに! 触るなと警告してもあなた達は信じない。そして触れて死ぬ間際に私に言い放つんだ、『このモンスターが』って! 結局私は一人だった、これからもきっとそうなんだ!!」


ヒステリックに叫ぶ私の言葉を少年は黙って聞いていた。目を伏せながら少年は「……辛かったな」と呟く。


すると、少年は何を思ったのか私へと歩み始めた。


「……死にたいんですか? こっちに来ないで下さい」


少年は歩みを止めない。瞳を逸らさずにこちらを見据えたまま、歩みを進める。


その行動に私は思わず近くにあった石を掴み、


「……来るなって言ってんでしょ!!」


力任せに思い切り投げつけた。

ゴンッ、と鈍い音が響く。石が頭に直撃した少年は少しフラつくと、また私へと歩み始めた。

その額からは鮮血が流れている。


「なんで、なんで来るんですか、私はもう人を殺したくないのに……。放っておいて下さいよ、こんなモンスターなんか……」


……あぁ、これが私の本音なんだ。たくさん人を殺してきた私の本音が『人を殺したくない』なんて、なんて皮肉なのだろう。


だけど、気づくのが遅すぎた。


「あんたの過去に何があったのか、それは俺には分からない。でも、今からあんたを知ることはできる」


少年は手を伸ばせば私に触れられる距離まで近づいていた。


……あぁ、この人は本当に優しい人なんだろうな。見ず知らずの私にそんな言葉を掛けてくれるなんて。


–––殺したく、ないなぁ。


少年は私へと手を伸ばす。

私は思わず目を瞑る。




「大丈夫。俺は死なないよ」




–––温かい。


一瞬、そんな事を思った。


目を開けると、少年の手が私の手を包み込んでいた。そこには笑顔の少年がいた。血など吹き出していない、先ほどと何も変わらない姿の少年がそこにはいた。


「なん、で?」


あり得ない、私に触れて散らない命など無かった、ただの一つも例外などなく死んでいった。だけど、その例外が今目の前にいる。


少年はその理由を少し考えると、


「俺、魔力耐性高いからさ!」


と、満面の笑みで答える。


「……」


寸尺の静寂の中、笑い声が洞窟へ響いた。

誰だ、と辺りを見回すと意外にもその声は私のものであった。


私が笑うのを見て、少年も笑う。


次第に私の笑い声が嗚咽おえつへと変わる。

温かさが背中にも感じる、どうやら背中を撫でてくれているようだ。


–––温かい。それに、優しい。


あぁ、私の世界が色づいていくのを感じる。モノクロに満ちた世界に色彩が生まれる。薄暗い洞窟だというのに、カラフルに彩られているようにさえ感じる。


初めて触れる人の温かさに涙が止まらない。


「温かい……、これが人間ヒトの手。なんて優しくて、落ち着くものなのでしょうか」


少年の手にまたそっと触れる。–––温かい。込み上げて来る感情に身を任せ、また嗚咽する。


夜明け前の洞窟に私だけの慟哭どうこくが響いていた。





全てを吐き出して落ち着いた私は何故こうなったのかを少年へ話す。


–––生まれつきの死の呪い、それで肉親や親戚全てを殺してしまったこと。一時期、この力を利用されてたくさんの人を殺してしまったこと。


私の過去を話すことでこの人に嫌われたくなかった。初めて出会った私を唯一理解してくれる人、そんな人に嫌われたくないと思うのは当然だろう。


だけど少年は、


「良かったらだけど、俺と一緒に冒険しないか? 言うのも恥ずかしいんだけど、俺今一人で冒険してて結構苦労すること多くてさ。仲間がいたら楽しくなるかなって。まぁ、嫌なら……」

「行きます」

「即答かよ!? いや、もう少し悩んだほうがいいんじゃないか!?」


私は首を横に振り、断固とした決意を示す。


「あなたは生ける屍であった私を救ってくれました。私にとってあなたは命の恩人と同様です。私はあなたについていきます」


少年は少し頭をポリポリと掻くと「まぁ、いいか」と呟いた。


「それではよろしくお願いします。……ええっと、そういえばあなたの名前をまだ知らないです」

「おおそうだったな、俺の名はタケルって言うんだ」

「タケル、さんですね。それでは『マスター』とお呼びしますね」

「いや何でだよ!?」

「? 言ったでしょう。あなたは私の命の恩人だと、そんな人をマスターと仰いで慕うのは当然です」

「恥ずかしいんだけど!? ……ったく、んであんたの名前は?」


そういえば私も名乗っていなかったな。

それじゃあ、マスターに私の名前を教えなくては。


「はい、私の名前は–––」












「–––ろ。起きろ〜ケイ。こんなとこで寝ると風邪ひくぞ。部屋に戻ってから寝なよ」


体を揺すられて私は目を覚ます。


そこは見慣れた酒場で、辺りには酔い潰れた冒険者達がイビキをかいて寝ていた。


–––思い出した、幹部討伐の打ち上げではしゃいだ私は途中で寝てしまったんだった。


「マスター」

「ん? どうした?」


クロエとミーアを起こそうとしているタケルに声をかける。

初めは恥ずかしがっていたこの呼び方も、今ではこの通り何の抵抗も無さそうだ。


私はタケルの顔を見つめる。


「な、なんだよ? 寝ぼけてんのか?」

「フフ、何でもないです」


ガタン、と酒場の席から立ち上がる。


「それでは私、先に宿に戻りますね」

「おう、気をつけてな」

「はい、ありがとうございます」


酒場の扉に手をかけたまま私は振り向く。タケルは起きるのを渋っているミーアに手こずっているようだ。


「おやすみなさい、マスター」


静かな酒場にギイィィ、という古びた扉の閉まる音だけが響いていた。

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やっぱり俺のパーティに役立たずなんていない ガミガミ神 @gamigamigami

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