終われバレンタインデー
告井 凪
終われバレンタインデー
2月14日。バレンタインデー。一年で最悪の日だ。
こんなイベントはとっとと終わってしまえばいいのに。
いつからだろう? チョコレートを貰えなくなったのは。
幼稚園の頃はたくさん貰えてた気がする。
あんまり覚えてないけど、たぶん女の子が男の子にチョコレートをあげるイベント、くらいの認識だったのだろう。
それが任意だと気付くのが小学生。ここで貰うのがピタッと止まった。
ああ、そんな前からか、と愕然とする。
中学になると、貰えるヤツと貰えないヤツに露骨な差が出る。
当然俺は貰えないヤツだ。
義理チョコでもいいから貰える方法を授かろうとしたのだが、
「さあ、なんか貰えたし。なんで貰えないの?」
と言われてトドメを刺された。
そんな中学三年間を過ごした俺は、バレンタインデーなんて無くなればいいのにと思うようになっていた。
高校に上がって環境が変われば……なんて淡い期待は微塵も持っていない。
しかしそれでも、2月14日は来てしまうのだ。
だったらせめて、とっとと終われバレンタインデー。
学校に来た。教室にいる何人かの男子がそわそわしているが、哀れだなと思う。
チョコレートを貰えるヤツと貰えないヤツは、この段階から違うのだ。
貰えるヤツっていうのは、すでに心当たりがあるもの。きっとあの子から貰えるだろうとわかっているから、他の女子のことを気にしていない。
逆に貰えないヤツはそんな心当たりもなく、もしかしたら貰えるかもという淡い期待に縋っているだけだから、妙にそわそわしてしまうのだ。
女子と目を合わせようものなら、挙動不審気味にそっぽを向いて心の中でガッツポーズをしていることだろう。
情けないヤツらだ。俺みたいに諦めてしまえば楽になるのに。
教室の隅に集まっていた同志と合流する。
貰えないと悟った、同じ志を持つ仲間だ。
去っていった裏切り者はいるが、俺たちの結束は固い。
「俺たち、チョコレートなんて甘い物いらねーよな」
昨日血の涙と共に誓い合った。今度抜け駆けしたヤツは切腹だ。
バレンタインデーのせいで学校中が浮かれている。
そんな中、一時限目の休み時間が終わり、二時限目の休み時間が終わり、三時限目の休み時間、昼休みがなにごともなく終わる。
もちろん五時限目の休み時間もなにもなかった。
……ハハッ、これでは一日中、休み時間だけを気にしていたみたいだな。
六時限目が終わってホームルームも終わって、俺は帰る……と見せかけて学校をウロウロして誰もいない教室に戻ってきていた。
なにしてんだ俺?
そんなの決まってる。
俺は自分の机に突っ伏して溜息をついた。
「はぁぁぁぁ~……。本当は欲しいんだよ。チョコレート」
高校一年生の男子が。そう思わないでどうする?
さんざん諦めたとか言ってきたが、そんなわけないだろう。
淡い期待を溢れんばかりに持っていた。
「惨めだな、俺は」
チョコなんて期待してないしイラネーっすよ、なんて強がっていたら。
貰える物も貰えないだろ。
義理チョコでいいからくれって、かっこ悪くても言えばよかった。
「ひとりくらい、くれたかもなー……」
例えばアイツとか――。
「なにしてんの?
「おわぁぁぁ! って
「普通に声かけただけじゃん。ヘンなの」
クラスメイトの美佳子。ショートカットの似合うスポーツ系女子。
割と誰とでも仲良くなるタイプで、女子の中では一番話をしたことがある。
気兼ねなく話せる数少ない女子友だちだ。
今日は色んなヤツにチョコを配っていたな。
俺は、貰えなかったが。
入口にいた美佳子は教室に入ってきて、自分の席でもないのに俺の隣に座る。
「ねぇ正一、覚えてる? 去年のクリスマス」
「覚えてる覚えてる。ケーキ事件な」
忘れもしない、クリスマス・イブ。
駅前でばったり会った時、美佳子は――泣いていた。
「あたし、クリスマスケーキ落としちゃって」
「箱の中ぐちゃぐちゃだったな」
無惨な姿になったホールケーキを見て、途方にくれていた。
その時の俺は親におつかいを頼まれていて――偶然にも、まったく同じケーキを持っていた。
「交換してくれたんだよね、ケーキ」
聞けば、二人の弟が楽しみにしていると言うじゃないか。
俺は迷わず自分のケーキと美佳子のケーキを取り替えた。
「弟たちにプレゼントも買ったから、ケーキを買い直すお金なかったんだよね。だからすっごく助かったけど……正一の方は大丈夫だった?」
「うちか? ま、落としたって言ったら妹がぎゃーぎゃー騒いだけどな。見た目崩れただけで、食えないわけじゃなかったし。問題なかったぞ」
妹は一つ下でそれくらいでショックを受ける歳じゃない。
正月にお年玉でカットケーキを買わされたくらいで済んだ。
「あの時は呆然としちゃって。ちゃんとお礼言えなかったから。ありがと、正一」
「ぐ、偶然が重なっただけだろ。礼だってちゃんと言ってたから安心しろ。それより……弟さん、喜んでくれたか?」
「うん。すっごくね」
「だったらいいんだ」
「ケーキ交換してくれた時も、同じこと言ってたよね。弟さんが泣くだろって」
「……俺も妹いるから気になっちゃうんだよ。ていうか、なんで今になってあの時の話?」
改めて言われると恥ずかしい。
照れ隠しにそう聞くと、今度は美佳子が恥ずかしそうに頭をかく。
「なんかね、ふたりきりで話す機会がなかったから。泣いてるところ見られちゃったの、恥ずかしかったし。みんなの前じゃ話しにくいなって」
「そ……そういうもんか」
実際教室で話されたら、俺も恥ずかしかったかもしれない。
お互い少し気まずくなり、目を逸らしてしまう。
「そ、そーだ正一! チョコレート、貰えた?」
「お前……それを聞くか?」
話題を変えるためとはいえ、酷な話題を選んでくれたな。
チョコなんて一つも貰えなかった。と言えば、美佳子は同情してくれるだろうか?
そんな情けない考えに自分が嫌になるが、かっこ悪くても言った方がいいと後悔したばかりだ。
「美佳子は……配ってたよな。チョコ」
「え? あー、うん。デパートで安く買った、義理チョコだけどね」
「デパートで買うのか? 女子って大変だな。お金かかって」
「実はコンビニとかのが高かったりするんだよ? それに、3倍返しを期待してるからね」
「うへ……」
0に3倍したところで0だ。俺には関係ない話だが、貰えるヤツも苦労してるんだろうな。
「それで? 正一はチョコ貰えたの?」
「貰ってねーよ! 悪いか!」
ああ、ついに言ってしまった。
しかもキレながら。最悪だ。
「そっか、それは残念だったねぇ」
「くっ……!」
ここで、可哀想だからあげる、とはならないのか。ならないか。
美佳子ならくれるかもしれないって、実は期待していたのだ。
さっき、義理チョコでもいいからくれって言えばよかったって、後悔した時に、思い浮かんだのは美佳子の顔だった。
ぶっちゃけ美佳子からチョコが欲しかった。
けど結果はご覧の通りだ。
思わず溜息が出る。
「あーあ。とっとと終われ、バレンタインデー」
「何時間か待つしかないね」
「そういうことじゃなくてだな……。まぁいいや。それより、美佳子はこんな時間までなにしてたんだ?」
「あたし? ん~、人を待ってたんだけどね。ぜんぜん来なくて。待ちぼうけ」
「ほう? もう帰ったんじゃないか?」
「ううん、帰ってなかったよ」
言い切る美佳子。下駄箱を見れば、学校にいるかどうかわかるか。
「それで? いったい誰を待って――」
「はい。これあげる」
「――へ?」
ラッピングされたピンクの袋が、目の前に置かれた。
あげる? これを? 誰に?
「……俺に?」
「そ。バレンタインだしね」
バレンタインだから。
バレンタインなら、この中身はチョコレートということになる。
「い、いいのか?!」
「当たり前だよ。……さってと、渡すもの渡したし、あたしは帰るね」
「あ……ありが、とう」
隣を見ると、すでに美佳子は立ち上がっていて、俺に背中を向けていた。
「お礼なら、メッセージカードを読んでからにしてほしいな」
そう言ってそのまま、教室から出て行ってしまう。
俺はぽかんとしていたが、すぐに机の上に視線を戻す。
「メッセージカード……?」
手に取ってみると、リボンに小さなメッセージカードがついていた。
二つ折りにされていたそれを開く。そこには。
正一へ
手作りチョコだから、ありがたーく食べてね
美佳子
「て、手作り? あれ、でもデパートで義理チョコ買ったんじゃ……」
思わずメッセージカードを二度見してしまう。
さすがに嘘は書かないだろうし、これが手作りだとしたら……義理ではない?
目の前が真っ白になり、俺はついに悟った。
誓いだとか切腹よりも大事なものがある。そのためなら人は喜んで裏切るのだ。
手作りチョコ。俺たちが求めて止まない、究極のチョコレート――。
「……って、美佳子! ちょっと待ってくれー!」
バカなこと考えてる場合じゃない。
慌てて美佳子を追いかける。
嬉しい。嬉しすぎる。今頃嬉しさがこみ上げてきた。
欲しいと思っていた相手からチョコレートを貰えることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。
俺は心の中で叫ぶ。
バレンタインデーは一年で最高の日だな!
終われバレンタインデー 告井 凪 @nagi_schier
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