04

 アスファルト、コンクリート。ガソリン、煤。スーツは黒を着る。

 地下鉄の窓に映る自分は、美しいダーク・グレーに見える。

 でもよく見れば、隙間から好きだった赤や黄や緑がうっすら浮かぶ。


 俺の営業成績は良かったり悪かったり、波を繰り返しながらも好調に向かっていった。でも酒の席で同僚に食いついてしまい、互いに殴り合って、俺は来週から異動になった。クビにならなかったのが救いだ。きっと今までの俺なら、この時点で死のうと思ったに違いない。ガラガラと崩れるダーク・グレーの下の透明人間に絶望したと思う。


 ふとエレベーターの鏡を見ると、少し欠けた暗灰色の下から、赤がにやりと笑った。思わず苦笑を浮かべ、久々に公園に向かう。こんなに天気が良くて彩度が高い日は、腹いっぱい緑色に溶けるのも悪くない。


 ベンチには見知った顔が座っていた。一瞬、誰だかわからなかったが、それはあの女装男だった。


「ど、どうしたんすか、イメチェン?」

「ああ。実は、明日から近場の書店で働くことにしたんだ。職安に通ってみてな。どうだ、書店なら、こんな華奢なのがいても悪くないだろう」

「いや……本って、めっちゃ重いと思うけどな」


 ハッとした顔で俺を見上げる彼は、黒髪のショートカットになっていた。スキニージーンズとYシャツに身を包み、よくありそうな青年の姿をしている。


「それを早く言えよ!俺、書店なら文系っぽいかと!」


 狼狽する彼は、ひどく自然で等身大に見えた。しいて言えば「俺」の発音がいまいち馴染んでいなくて微妙なくらいで。


「ま、ギックリ腰にならねえように頑張るだな」

「くそ……どうせ、女店員どもに、力のない野郎だと笑われるんだ……」

「気にすんなって。アンタ、案外ネガティブなのな」

「うるさい!それより、なんだその怪我は。事故でもしたのか?」

「ああ、これ?男の勲章」


 同僚に殴られたこめかみには、いかにも怪我らしくガーゼが貼られていた。俺はにやりと偉そうに笑ってみせる。


「そういやさ、俺、久原ってんだけど、アンタの名前なんつーの?実は俺、来週からこっち離れるんだわ。離れるのに名前聞くのもおかしな話だけどさ、ある意味恩人だし、聞いときたいなって」

「離れる?」

「そうっす。ちょっとばかなことしちまってね。だから、アンタとの接点もなくなるかもな」

「それは……寂しいものだな。わた、俺は氷野ひのだ。なんていうか……ありがとう」

「ん?いや、俺こそサンキュな」


 氷野はなにかを考えるように少し黙る。と、思った瞬間、いきなり俺の右側から握りこぶしが飛んできた。


「うっ…お!」


 条件反射で俺も右手が出てしまった。鈍い音と共に氷野が地面に肘をついている。しまった。こんな華奢なやつなのに殴っちまった。歯とか折れてないだろうか。いや、意識とか諸々大丈夫なのか!


「っ、ふ、そう来るとは……いった……」


 放心したような目で呟くと、氷野は若干ふらつきながら立ち上がる。うわ、やべ。あの顔ちょっと痣になるかもな。


「だ、大丈夫っすか。つか、なんでいきなり殴ったんだよ?!意味わかんねえし!びびったから!」


 多少はばつの悪そうな氷野は、少し視線を逸らせて言った。


「思い出に男の勲章でも貴様にやろうと思ってな。もう久原の色には干渉しないようにと思ったから……」

「えええええええええええ」

「これで俺も男の勲章が手に入ったなら、一石二鳥だな。明日からがんばれる気がする」

「いやいやいや、それは錯覚っす氷野様」


 それでも彼の白いガーゼには、ふわふわと色鮮やかな花火が咲くのが見えた。なにか染みこむものがあったんだろう。いくつかの色で彩る彼は、それはそれで綺麗だと思った。その彩りが、妙に心地よかった。きっと俺の中でも、原色が笑うように咲いている。サンキュー。そして、さよなら。いつかまた巡り会えたときの、きみの色を楽しみにしようと思う。


 2011.05

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彼の彩り ひこ(桧子) @sionedgloria

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