03
ピンポーン。
業績悪化が続いた俺は暇を持て余すようになっていた。そうしているうちに与えられた仕事が、新規開拓の訪問営業である。いつの間にか、上司の言葉は耳に入らなくなっていた。変な感覚だ。上司の厳しい視線も、社内の蔑む視線も、あまり気にならなくなっていた。まるで空気を掴むように朦朧と流れる日々。
しいて言えば、なにか寂しいと、思っていた。
「はい……ああ、貴様か」
アパートのドアを開けて出てきたのは、白銀の女装男だった。俺は予想外すぎる展開に営業文句も口に出ない。
「なんだ?まさか、私のストーカーでもしていたのではあるまいな?」
にやりと彼が笑う。ふざけるな、そんなばかな設定を俺につけるな。
「違えよ。訪問営業してたら、たまたまアンタの家だったんだ。つかなに?アンタさ、昼間働いてねえの?」
「今は休職中だ。鬱陶しい客がいてカフェは辞めてやった。どうせバイトだったしな。貯金がなくなる前には、適当にバイトでも探すかもな」
俺の常識を覆す言葉を、彼はさも当然のように吐いた。
おいおいおい。人生そんなに甘くねえだろ。今は良くても、いずれ最悪な生活になるんじゃねえか?……赤の他人なのに心配してしまった。まずい、こういうのは変えてあげた方がいいんだろうか。
「ところで貴様、何か食べ物は持ってないのか?」
「は?!」
「いかんせん手持ちがないものでな。昨日からなにも食べていないから空腹だ、つらい」
「っはああ?!知るか!働け!真っ当に働け!」
「空腹で働く元気も沸かん」
「阿呆か!待ってろ!数分待ってろ!餓えて死ぬんじゃねえぞ!」
なんでそうしたのか疑問に思う頃には、すでに俺はコンビニでパンを買っていた。なぜだ。なんで俺が赤の他人の為に金を払ってんだ。とはいえ、自分で食べる気もせず結局あいつの家に向かう。
「……感謝する。お前、優しい奴なんだな」
「さあな、八方美人なだけかもな」
気付けば俺は、女装男の奇妙な部屋に上げられていた。どっちにしろ営業に来ているのだから、多少ここで時間を使ってもなんとかなるだろう。むしろこれで営業がとれたらラッキーなことだ。いや、パン買ってやったんだから契約しろ。あ、待てよ、こいつ金ねえんだった。
「……うまい」
「どーも。そういや、今日は女装じゃねえのな」
「自宅にいて、誰を相手に女装しなきゃならんのだ、変態か。まあ、楽は楽だけどな」
「楽?」
「私はこんな体格だしな。男物の服を着て、貧相な様を晒すよりは女装の方が楽だ」
ふと、彼が見せた表情はプラスチックではなくガーゼのような白だった。遠い目が少し寂しげに見える。それでもまた、すぐにいつもの偉そうな顔に戻れば呟き始めた。
「まさか、貴様みたいな人種と話す機会があるとは思わなかった……私はずっとこうやって、その場しのぎで思うままに生きてたものでな。はじめは、貴様のような人種を嫌悪したり哀れんだりもしていたのだけど……なんだろう、いつからか、貴様をこちらに引き込みたくなったんだ」
「俺を?」
「完璧に塗られたダーク・グレーが羨ましかった。息苦しいとはわかっていても、その完璧さを美しいと思ったのだな。それに嫉妬して、私に手に入れられない代わりに崩してやろうと思った。貴様に私の生き方を理解されないことを寂しいと思った。だから、無理矢理にでも私の色を植え付けて、内側から崩して、全てを奪ってやろうとした……」
「ま、マジっすか……」
どうやら彼にも色が見えているらしい。なんとなくそれは、俺をほっとさせた。
「……悪かったな、今のお前は透明人間だ。今なら完全に白く染めてしまうことも出来る。でも不思議だ。お前を見ていると、私が絶対だと思ってたこの白が、とても、頼りなくなるんだ……私は、このままでいいのだろうか」
「アンタも塗り固めていたんだろ?」
「……」
「華奢な自分に自信ねえから、そうやって女装して真っ白に固めてたんだろ。自信ねえことを隠すために、自由な自分を作ってたんだろ。なにが、嫌われても構わねえ、視線は気にしねえだよ。だったら、多少貧相だって言われたって関係ねえじゃん」
「ああ……そうだな」
「俺さ、思ったんだ。この透明な自分こそ自分だったんだなーって。自信もねえし、美しくもねえや。つうかゼロ?だから、もう1回始めらんねえかなって。今度は、なんだろうな?何色になるかわかんねえや。ただ、何色にしろ今のアンタみたいに、ガーゼのようでありたいと思う」
「は?ガーゼ?」
「あ、いや、これは俺の勝手な感想っす」
彼のガーゼには、うっすらと薄橙や、薄黄緑が滲んでいた。それを羨ましいと思った。透明に、ダーク・グレーの鎧を着ていた俺。白いガーゼに、白いプラスチックを纏っていた彼。運命の折り合わせは不思議だ。薄暗くくすんだ彼の部屋で、些細な色を数えた。
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