02

 公園で奇異な男に話しかけられてから、俺の営業成績は停滞していった。原因はすぐにわかる。俺の中にできた白い斑点だ。どんなにダーク・グレーを塗りたくっても消えることはなかった。

 ふざけるな、最悪だ。

 俺は社内の目を少しずつ恐れるようになっていった。完璧なグレーに浮かび上がるいびつな白を、だれもに見抜かれているような気がして。


「久原、今すぐ来い」

「はい?」


 嫌な予感がして呼び出されれば、自分の仕事へのクレームを叩きつけられた。こんな失態は新人以来だ。ふざけるな。額を、背中を、汗がつたう。



 帰りの地下鉄の窓に映る自分を見ると、白の斑点は自己主張をするように輝いていた。これならまだ、ぼやけたまだらの方がマシだ。遠目で見れば多少はごまかせる。目をそらし心拍数を上げながら電車を降りると、駅の全身鏡に映った自分は、ムラだらけの汚い灰色の男だった。


「おい、久しぶりだな」

「え?」


 振り返るといつかの女装男が立っていた。通りゆく大量の社会人が、彼を忌む目で通り過ぎてゆく。その視線に俺も巻き込まれている気がして、ひどく嫌気がした。


「偶然ということもあるのだな。駅の鏡なんかで自分に酔いしれる変人がいると思ったら、貴様だった」

「あ?そんなんじゃねえし、うぜえな。つかアンタ、そんな格好でよくいられんな。視線に気付いてねえの?」

「視線?そんなもの気になるのか?だからなんになる」

「ったく……アンタみたいな自由人は、俺と生きる世界がちげえの。だから構われても困るっつうの」


 そいつはきょとんとした顔で、俺をまじまじと見上げる。一瞬だけ「ああなんだ、こいつもまともなやつかもしれない」と感じた。が、すぐにまた彼は偉そうな笑みで言う。


「貴様が、寂しそうに佇んでいたから声をかけたのだぞ?感謝しろ」

「っはあ?!赤の他人に話しかける寂しがり屋はそっちだぜ!」

「まあ、そうだな。でも折角なら、寂しそうな奴に話しかけるだろう。一石二鳥だ」


 なんて単純で本能のままの奴なんだ。こんな人種がはびこっているから、世の中はいつでも面倒くさいんだ。そう思った。それでもなんとなく、俺は立ち去ることをやめた。なにか聞き出せれば、この白い斑点を消せる糸口があるかもしれない。


「つかアンタさ、仕事なにしてんだよ。前に会った時も女装してただろ」

「ああ、男の娘カフェだ。こういう女装が好きな人種もいるもんでな、時給はいいぞ」

「はああ?なんじゃそりゃ。で?アンタ、そういうの相手に媚び売ったりしてるわけ?」

「簡単だぞ?どうせ人間なんて欲を孕んだだけの肉塊だ。そういうのもこういうのも関係ない」

「それは……アンタの周りのやつだけじゃねえの?真っ当な社会人は、もっとスマートで知的だぜ?」


 すると、彼は哀れむような笑みで俺を見た。


「ふ。それは貴様の幻想か?切望か?だからそう、虚しい八方美人でがんじがらめなのだな。哀れなやつめ」


 どっちが哀れだ、と俺は思った。

 ダーク・グレーに綺麗に染まれば、嫌悪されることもない。日々は安定して流れていく。じきに名声だって手に入れる。誰もが願うことだろう。八方美人程度でそれが手に入るのなら、安いもんじゃないか。

 そうだ。確かに俺は周囲の視線に依存して生きている。嫌われないために、押し殺すようにダーク・グレーを塗り固める。でも、それの何が悪い?そのくらいの対価、誰だって払って生きてるだろ?


 白銀髪の男は、気付けば後腐れもなく去って行った。

 ふと全身鏡の中の自分を見る。


 ああ、ああ。

 そこには、白い斑点が無くなったどころか、ダーク・グレーさえも失った透明の俺がいた。

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