彼の彩り
ひこ(桧子)
01
アスファルト。コンクリート。ガソリン、煤。スーツは黒を着る。
吸う息はグレー。それで心地いい、心地いいに違いない。
染まればいいのだ。
華美な原色を避ければ、真面目でつまらん夜明けがくる。
01
某企業に勤める俺は27歳。名刺に刻まれた名は
俺には、人の「色」が見える。
「す、すみません……」
「なんで?」
「えっ……き、昨日は別件が立て込んでいまして、確認不足でその……」
あーあー、社内にもデキナイやつは何人かいる。
俺は黙ったまま、蛇に睨まれた男の全身を眺め見た。グレーベースのぼやけた薄い肌色に、洗いきれなかったシミのようなベージュ。足元には、なにか堆積したかのような汚いモスグリーン。
奴は染まってないから悪いのだ。
言い訳を口にするたびにポツポツと浮かび上がる、ぼやけたピンク・水色・ライム。絵が下手なやつのパレットを見るようだ。あいつの色をかき混ぜてやりたい。きっと真っ黒な堆積物になるだろう。そうしてやれば、奴の大半が無色透明であることも暴かれる。透明人間に仕事ができるだろうか。だれがその空気に責任を、権限を委託するっていうんだろう。
耳ぐるしい会話を背中に置いて、俺はエレベーターで1階に下る。奥壁の鏡にはスーツが馴染んだ自分が映った。まだらもない、シミもない、紙を貼りつけたような完全なるダーク・グレー。これでいい。だから俺はデキル。誰にも染めさせない。ふと自信が笑みになってこぼれた。
「あー、すっげーいい天気」
近場の小さな公園で、弁当片手にベンチに伸びる。木陰を作る植物たちは、まぎれもない緑だ。だからいい。それはそれらしく、俺の日傘となって涼しい風を吹かせた。
次の営業は13時からだ。腕時計を見れば時間に余裕がある。たまにこうやって空く時間には、公園で風に吹かれる。一瞬だけ、自分の中に緑が交ざるのを許す。大丈夫、またあの地下鉄に乗ればすぐにグレーを取り戻せる。物事は噛み砕けば単純だ。そうしていると、自分が万能の神になったような気になってくる。
「おい」
声がとつぜん投げられた。誰だ。本当に俺に?そう思っている間に、ベンチの隣に人の気配を感じた。すぐ脇に腰掛けた人間がいた。
「ひとりでメシか、寂しいものだな」
ふっと偉そうな笑みを浮かべて、そいつは自分を見ていた。俺とは対照的な色白の肌、ブリーチされた白銀の長い髪、化粧された濃い目元、形式張ったモノクロの衣装。いわゆる、ゴスロリのような類いだろうか。コスプレだろうか。そいつの出で立ちはあまりにもコントラストが強くて、ビル街に不似合いだった。まず誰だ。
「なんすか?知り合い?違うよな、俺と接点ないよな?」
記憶を探るもこんなやつは知らない。同級生が変貌を遂げていたとしても……やっぱりこれは知らないやつだ。声を聞くかぎりは男らしいが、それ以上は関わらない方がいいとしか思えない。
「ああ、知らないのに悪いな。ちょうど昼休みだったんだが、ひとりでメシは嫌でな」
「あ……そう、そうっすか」
「なに、15分ほど隣にいさせてくれればいい。公共のベンチだろう、何か問題があるか?」
「いや、ないっすけど……」
真っ白。眩しくて痛いほどにそいつは真っ白だった。まるでプラスチックだ。放っておけば淡々と喋りだした。
「お前、サラリーマンか。日々、ご苦労さんだな。こんな息苦しいとこで息苦しく働いて疲れんか。変わらぬ日々を繰り広げて、楽しいか」
サンドイッチを貪りながら自分勝手に話す彼。なんなんだ一体、面倒くさそうだ。ただ、このまま言わせておくのは癪だから答えてやる。
「楽しいぜ。まあ、できねえやつは苦しいだけかもな。俺にはわかんねえけど。そのうち出世できそうだし、というかしてやるし。……そっちこそ、なんか楽しいのか?そんな格好で、絶対真っ当な生活してねえだろ」
「ふっ、当たり前だ。私は自分のしたいことしかしないからな。お前、その様子だと人から嫌われるのを避けて虚勢でも張っているようだな」
「はあ?当たりめえだろ。こっちは嫌われてたら仕事できねえんだよ。ガキみたくワガママに生きてるお前とは違うっつーの」
「馬鹿め。そうやって自分の首を締めてるのに気付かんか。ああ……気付かんから、そんな塗り固めたみたいな顔してるのだな。まるで、フラット・グレーだ」
俺の色に対して口を出すな。
ふと沸いてしまった苛立ちを表すのが嫌で、俺は席を立った。勝手に現れた男、ならば俺も勝手に去ってやる。そいつは何も言わなかった。ちくしょう、さっさと地下鉄に乗ろう。忘れて、また暗灰色にまみれよう。
しかし、ポツポツと俺に焼き付けられた白の斑点は、その日から消えることがなかった。
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