脂(あぶら)

猿川西瓜

雨の夜

 日曜日の夜、西宮の祖母ムメ子から大トロを奢ってもらうことになった。

 もしかしたら福井の祖母ミツ子だったかもしれない。

 どっちの祖母だろう。

 とにかく「祖母」であることには間違いなかった。


 小学6年生の俺は寿司食べ放題に興奮していた。

「え? おばあちゃんのお金? 大トロとか食い放題やん!」

 その頃の俺は心を病んでいた。

 学校は体育しか出られず、母以外の人の体を触ることができず、漢字はゲームの説明書、英単語はロックマンのボスキャラで学んでいた。

 そんな病んだ俺を元気づけるための『大トロ企画』だった。当日の記憶はほとんどない。店内は黄色かった。大雨が降っていた。それしか覚えていない。なぜ大トロの味が記憶にないのか?

 帰宅後、激しい腹痛に襲われたからだ。


 大トロを排出するため牛乳を飲んだ。余計に痛くなった。悔しかった。

「どうしたの?」とトイレのドアの向こうから母は言う。

「ずっとトイレの中じゃない、大丈夫なの?」

「コーラのせいや。寿司屋のコーラの飲み過ぎや」と僕は言った。

「大トロの食べ過ぎじゃないの?」

「いや、コーラや」

「いいもん食い過ぎた罰やな」と父は言った。

「大トロのせいやない、コーラのせいや!!」

 夜中に救急車を呼び、近所の目に晒されるなか、隊員に担架で運ばれた。病院にたどり着くと、なんとナースが座薬を入れようとしてくる。

 俺は身をよじって拒否した。

 人に触られるのが嫌だった心の病と同時に、見知らぬ女に尻の穴を見られるのが小学生ながらとても恥ずかしかった。

「どうしてこんなことに」とナースが聞いてきて、母は「コーラの飲み過ぎだと思います」と答えた。

「うん……でも大トロの食べ過ぎかもしれん」と俺はなぜか正直に答えた。

「魚の脂や。脂が胃の粘膜をやったんや。粘膜がやられたんや」と俺はすらすらと看護婦に病状を伝えた。生き残るためになんでもするくらい、腹が痛かったのだ。

 母に座薬を入れてもらうと、少し屁が出て、すぐに腹痛が収まった。それからというもの俺は大トロを大量に食べていない。


 いま、おばあちゃんは二人とも天国にいる。

 奢ってくれたのはどっちだったか、まだ思い出せない。

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脂(あぶら) 猿川西瓜 @cube3d

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