【八柳星弥の場合】

今日の撮影は散々だった。

思うように笑えなくて。どうしたの? なんてからかうように言うスタッフの笑顔が嘲笑にしか見えなくて。どうしたの? のあとに続くのは、君は完璧なのに、だ。僕に求められているのは完璧でいること。僕自身も完璧を求めている。だから、曖昧にやっている人間は嫌いだ。……少なくとも、あいつに出会う前まではそう思っていた。今は、どうなんだろう。


柄にもなく憂鬱になって、ふと一人の顔が浮かぶ。多分、今日は暇なはず。そんなことを考える自分に苦笑して、柄にもなく電話をかけた。

「わー、星弥からかかってくるなんて珍しいね! 明日は天変地異かな?」

「うるさいな。電話越しでもそのテンション? 渉ってぶれないよね」

いつも通りのハイテンションに、少しだけ救われた気がする。落ち込んでいた気分が上を目指し始める感覚。

「なにしたのー? 今日仕事だったんじゃなかったっけ。もう終わったの?」

「……なんだっけ、何か不具合があったみたいで、撮影は早めに切り上げるってことになった」

「ふぉー。そんなこともあるんだねぇ」

「僕も初めての経験だよ。意外なことじゃないらしいけど。びっくりだった」

完璧である僕はそんなことを許せない。けれど今回は僕のせいで早く終わった。

それが自己嫌悪に導く。僕は、いつから完璧主義になったんだっけ。

「そういえばさー、星弥はI love youを訳すやつどうやって訳した?」

やっぱりこの話。今日は晴夏がウザかった。

「僕の心はあなたの瞳にしか映らない」

一拍おいて、電話越しに感嘆のため息が聞こえてきた。

「星弥らしいね」

「どっちの?」

「分かってるくせに。あ、この企画誰が提案したか分かる?」

「知らない」

きっと女子だ。こういうのは女子が喜ぶ。

「当てようって気が無いよね。今星弥は女子でしょって思ったでしょ? でも違うんだなこれが。なんと、この企画を発案したのは駿なんだよ」

駿? 入山駿? あの基本的に人に流されるままに生きてる駿?

絶対にやらなきゃいけないこと以外やらないって言ってる駿が?

「駿って実行委員だったの……」

だいぶ衝撃が大きい。そんなことをするタイプじゃないから。責任感が強くて、なんでもそつなくできて、なおかつ人に好かれるのに、なぜか責任がある仕事をしない。そういう変な人。

「ね、びっくりしちゃう! あいつが名乗りをあげたときは、思わず三度見しちゃった。だから僕もしかたなく手挙げたんだけどね。やる気なかったのに。でも案外楽しいんだよ。まぁ、最近は猫の手も借りたいくらい忙しいけど」

芝居がかった口調の渉。こんなふざけたような喋りの男が、どうして今をときめく実力派俳優だなんて言われてるんだろう。

「渉こそ、あれなんて訳したの」

「んー、実はまだ考えてないんだよ。どうしたらいいと思う?」

「自分で考えなよ」

「にゃはは、だよねー」

渉が本気で答えを求めてるわけじゃないってことくらい分かる。

物心ついた時から、隣にいたのだから。幼馴染、なんて簡単な関係じゃない。

それでも僕は渉のことを慕ってる。誰よりも。誰よりも。

「そうだ。三月と晴夏はどうなった?」

「隠れ正義のヒーローのおかげで、僕が正義のヒーロー役を被ったよ」

「正義のヒーローじゃないさ。見るに堪えなかっただけ。だって、ずっと初々しい恋人同士かのごとく目を合わせないんだよ? こっちがじれったいよね」

「はいはい」

渉は、いつもへらへら笑っていて誰にでも愛想がいい。つまり何を考えているか分からない。それが自然だと受け入れられてるのは、渉が絶対に他人の前で気を抜かないからなんだろう。僕でさえ、時々分からなくなる。

今見ているものは真実か?

そんな正体不明の渉だけど、実は正義感が強い。困っている人は見逃せないらしい。さりげなく、決して人の目に触れない方法で、手を差し伸べて解決する。何回か僕も巻き込まれている。断れない僕も僕か。

「あ、忘れてた! 今さ、こっちで校内ファッションショーっていう案が出てるんだけど、開催するって言ったらやってくれる?」

「五人で出るなら」

「もちろん、ちゃんとみっきーは説得してみせるよ」

三月のことをみっきーなんて呼ぶのは渉だけ。だと思う。駿には、たまにからかう目的でマーチって呼ばれてる。それは絶対に駿だけだ。

「そう。でも、三月が拒んでも乗ってあげなくもないよ」

「本当に!? この企画、実行委員長が猛プッシュしてくるんだ。昨日も、絶対出演許可貰ってきてね! って笑顔で脅されたよ……。あの人怖すぎ」

「五人が出なきゃ意味ないってことね」

「その中に僕が入ってるのが嫌だよねー」

この声は本気で嫌がってる。

「客観的に見て、渉は顔も整ってるし、センスも良い。それでいて俳優としての地位を確実にしてるんだったら、これほど良い物件はないんじゃない」

「今はそういうの興味ないのに」

「選び放題だよ」

ちょっと笑いながら言うと、わざとらしい返事が返ってきた。

「いつからそんな冗談言う子になっちゃったの!」

「僕をなんだと思ってるの」

「僕の中の星弥のイメージは、無邪気な笑顔の可愛い星弥だぁ!」

いつの話だろう。僕が笑っていたなんて。

八柳星弥自身が好かれているのではない、と気づいたのはいつだったっけ。

好かれたくて完璧主義を掲げ始めたのはその頃か。

きっと小学三年生くらいの時だった。

子役として世間を圧巻した。八柳星弥の名声は高まり、八柳の名をより素晴らしいブランドに仕立て上げた。周りの人間は八柳星弥を褒めた。

僕を褒めてくれたのは渉だけ。たった、一人だけ。

「……星弥? どうかした? お父さんに呼ばれてる?」

こんな風に、働きすぎって心配してくれたのは渉だけ。

「ねぇ渉」

僕のこんな子供じみた質問に答えてくれるのは渉だけ。

「何?」

「頑張ってるよね、僕」

なんて子供じみてるんだろう。

ずっと誰かに認めてもらうために頑張っていた。

「星弥は偉いよ。凄い」

そんな弱い僕に気づいてくれたのは、渉だけじゃない。

「さっきはるから電話来たよ。星弥が頑張りすぎてるって。みっきーも心配してた。でもちょっと拗ねてたよあの人」

「なんで?」

「久しぶりにはるから電話かかってきたと思ったら、星弥の話しかしないって。晴夏に心配かけるな! って伝えといてって言われた。伝えたからね。あと、晴夏からも伝言」

「晴夏が?」

「上手く笑えないのは疲れてる証拠だから、お前もほどほどに手抜いてやれよ。俺のやる気の無さを分けてやる、だってさ」

思わず吹き出した。渉の晴夏の真似が上手かったのと、晴夏の伝言が面白かったっていう二つ。

「晴夏に心配されるほど落ちぶれた覚えはないよ」

「それ伝えとく? 今にあいつから怒りの電話がかかってくると思う」

「面倒くさいからいい。多分僕は疲れてるんだろうし」

自分が疲れているのかが分からなかった。

気づかせてくれる『友達』がいて良かったと思う。

「ついつい長話してしまったね。もう寝たほうがいい。夜更かしは美容の敵だよ」

いつの間にか一時間も経っていたみたい。

「待って、明日は暇?」

「午前中なら。前言ってた店に行く?」

「じゃあ待ってるから」

「えー、僕が出向かわなきゃいけないの?」

何を今さら。二人で遊ぶ時は僕を迎えに来るのが習慣でしょう。

僕にはわがままが許されているし、渉には逆らうことが許されていない。

……そうでなくとも、渉は僕を甘やかしてくれるんだろうけど。

「十時ね。おやすみ」

「しょうがないなぁ、わがまま王子様は。おやすみ」

「……僕の心はあなたの瞳にしか映らない、から」

「え? なっ」

電話を切ってスマホをベッドに投げつけた。

そのまま思いっきり倒れこんで枕に顔をうずめる。

「何やってるの僕…………」

顔が熱い。死にたい。

明日絶対からかわれる。

疲れてる時に本音が出てしまうのが僕だってことを、渉はよく知ってる。

「ほんっと疲れてる……」

こうなったらもう寝るしかない。


今日は悪夢にうなされそう。





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