【淡井晴夏の場合】

文化祭特別企画、『あなたはI love youをどう訳す?』は学校中を浮かれさせていた。そんな中、俺は一人ため息をつく。

全く思い浮かばない。高校生モデル『淡井晴夏』のイメージを崩さない訳し方が。

この企画が発表されたのはついさっき。女子の歓声で校舎が揺れた。

それからというもの、女子が文化祭について話しながら俺と星弥にあからさまに視線を送ってくる。全員自由に席を移動しているから、視線の塊が出来上がっている。期待するようなそれが、なおさらにプレッシャーを感じさせて、俺はまたため息をついた。

「どうしたの、さっきからため息ばっかり。こっちまで憂鬱になってくるからやめてくれる? 不幸になりそう」

「どっちかっていうとお前に俺の幸せが移りそうだけどな」

気を紛らわせるために、星弥に冗談で返す。でも俺の声は暗い。

「何が不満なの。そのいかにも憂鬱ですーって顔、すごくウザいんだけど」

こんな時でも容赦のない星弥の言葉が辛い。恨みがましい気分で睨む。

星弥は涼しい顔をして視線を流す。

「今日学校終わったら撮影なんだから、そんな顔でいるのやめてよね」

「あー……お前と一緒か」

嫌だわぁ、と思う気持ちが声に現れた。星弥も負けてはいない。

「僕だって。なんで仕事でも憂鬱男と顔合わせなきゃいけないのか」

「はいはい。まったく、お前は悩みが無さそうでいいよな。どうせもうこれ思いついてるんだろ?」

「当然でしょ」

整いすぎた顔に自慢げな様子は一つもない。いつも通り、なんでもないとでも言いたげに俺を見つめてくる。俺の幼馴染の喜多野三月とかいう男も見かけは可愛いが、星弥はそれとは違った可愛さがある。天使的って書かれてたっけ。

確かに星弥は可愛い。見た目は。お前男辞めろって思うくらいだ。小悪魔的な笑みと、天使的な笑顔を使い分けて、世の女子女性を虜にする、俺と同じ高校生モデル。同じ高校だからか、星弥とセット扱いされることは多い。

でもこいつの本性は小悪魔なんてものじゃない。悪魔だ。悪魔。

俺はかなり人をからかうのが好きだ。けれど星弥は違う。淡々と毒を吐いたり、可愛い笑顔で油断させて的確に人の弱いところを突いたり。ただの嫌な奴だ。

「天使の八柳星弥君はなんて訳したのかなー?」

「馬鹿にしてる?」

若干イラっとした雰囲気を漂わせる星弥は、見せつけるように紙を突きつけてくる。受け取って、星弥らしい几帳面な綺麗な字を読む。俺は思わず唸った。

「お前……お前って奴は、本当に詐欺師だよな……」

「えーっ、そんなことないよ? いつも僕が思ってることだもん」

可愛い子ぶる星弥。こんな風にしていると、中学からの付き合いである俺でも騙されそうになるからムカつく。

「なんだよこれ……。完璧な答えじゃん」

星弥のI love youの訳し方。それは『僕の心はあなたの瞳にしか映らない』だった。

意味は多分、俺が思ってるので合ってるはず。この答えは『八柳星弥』の答えであって、限りなく本当の星弥に近い答えでもある。

「だから、当然でしょ。僕を誰だと思ってるの?」

「天下の八柳星弥様」

「よくできました」

笑顔で俺の腕を掴むと、どこにそんな力があるんだって力を入れてくる。

「痛い痛い痛い痛い、悪かったって!! いや、俺は悪くない! お前が話振ったんだろ! 理不尽な!」

「まぁ、間違ってないんだけどね」

「うるさい詐欺師」

星弥にデコピンを食らわすと、やっと涼しげな顔が崩れた。ざまあみろ。


こうしてお決まりのやり取りを終えたあと、唐突に星弥が話題を元に戻す。

「それで、ため息男は何を気に病んでるわけ?」

「察してるくせに」

「分かんないなー」

少しの沈黙。目だけで駆け引きをする。負けたのは俺。目は口程に物を言うという言葉は、こいつのためにあるんじゃないか。

「……この企画、皆の憧れる『淡井晴夏』ならなんて答えると思う?」

「やっぱりそんな下らないこと」

「下らなくない。皆に見せるような王子系高校生モデルである俺のイメージを壊したくないだけだ。分かるだろ、お前だって」

俺よりもプロ意識の高い星弥なら、共感してくれる。星弥は将来、本気で芸能界で生きていくつもりだ。そのために通信制のこの高校に転校した。だから、人一倍ファンは大切にする。

「しっかしさー、うちの高校って学校行事に熱いよな。珍しい」

「芸能活動してる人が多いからじゃない。こういうのは話題になる」

「あぁ、やっぱそうなのかな」

なんとなく、教室にいるメンバーを眺める。

大半の人はテレビや雑誌で見かける顔だ。もう半分は何かを目指している人たち。

どの顔も輝いてる。

「晴夏」

「ん?」

「思いつかないんなら三月に聞けば? 明日の撮影延期されたんだし。三月も家にいるでしょ」

それは考えたさ、とっくに。けど、パッと三月が脳内が出てきたとき、なんか違うなと思った。不意に、頼りっぱなしだなって気づいた。

「あいつに頼りすぎるのも良くないかなって。忙しいだろ、三月も」

「明日は五時まで暇らしいけどね」

「なんでお前が知ってるんだよ」

「最近できたカフェに連れて行ってあげようかなと」

「じゃあお前が誘うんじゃん?」

星弥はわざとらしく肩を竦める。

「分かんないかな。しょうがないから三月を君に返してあげるって言ってるの」

「もともと俺のものでもないけど」

苦笑交じりに答えた俺の言葉は、星弥の視線に刺されて壊れた。

俺何かしたっけ。

「三月は、晴夏とゆっくり喋ってないって嘆いてたよ。唯一の親友なんじゃなかったの? このままじゃ失うよ」

「……別に三月を避けてるわけじゃない」

「僕はそんなこと一言も言ってない」

言葉に詰まる。分かっていた。俺が最近少しだけ三月と距離を置こうとしていること。そんな自分を殺したいと思っていたこと。

「なんで避けてるの」

あくまでも落ち着いた、普段通りの星弥の淡々とした口調に隠された感情に気づく。気づいたら背筋が凍った。

「それはっ……。もとはと言えば、三月が俺に対して演技するようになったんだよ。多分誰かに『なんでお前が淡井晴夏の隣にいるんだ』みたいなこと言われたんだろうな。でも、俺だって、あいつの隣にいていいのかなって思い始めてさ」

一度溢れだしたら止まらない本音。ギリギリのところで抑えていた心の壁は、あっけなく崩壊したみたいだ。

「三月は出来すぎてるくらい優しくて、俺の幼馴染だってことが信じられなくなる。あいつがたくさんの友達に囲まれてるところ見ると、特にそう思う。三月のかっこよさは俺が一番よく知ってるから、人に好かれるのも当たり前だって思うけど。けど、そういう三月見ると、なんか遠く感じるんだよ。高嶺の花みたいな」

高嶺の花。まさにその通り。三月はいつも俺の隣にいて支えてくれてた。それでも俺は、昔から薄々感じていたんだろう。こんな俺に三月は釣り合わないと。

そんな悩みを一か月近く一人で抱えていた。やっと誰かに話せた。

こんな重大な悩みを聞いた星弥の反応は。


「馬鹿じゃない?」


「……は?」


感情を感じられない瞳が俺の心を見透かしてくる。

「聞くけどさぁ、晴夏は三月のこと好きなんでしょ?」

「そりゃね」

「ならなんで避けるの? 意味が分からないんだけど。ただでさえお互いやることがあって会えないことが多いのに、その貴重な時間を潰すなんて」

貴重な時間。そう言われてはっとした。

「僕は三月のことを信頼してもいいって思ってる。でも、それは晴夏には及ばない。晴夏と三月を見てるだけで、僕はああはなれないって思わされる」

一度言葉を区切って、星弥は仲良さそうに喋りあう彼らが眩しいとでもいうように目を細める。その表情で思い出した。星弥と初めて会った日のこと。


星弥は重度の人間不信だった。というか、他人を嫌っていたんだと思う。それを隠して笑顔で他人に優しくしていたんだから、こいつの仮面は凄い。

しつこく粘ってやっと仲良くなるのに一年かかった。

ある日クラスメイトに、俺の目の前で「八柳はなんで淡井なんかと話すんだ」と聞かれた時、星弥は「逆に聞くけど、君は友達でもない奴と仲良く話せるの?」と冷たく返してくれて。あのときから、俺は完全に星弥に心を開いた。

その日の放課後、星弥から聞かされた話は今でも忘れられない。


僕は今まで他人を友達だと思ったことは一度もない。僕に近づいてくる人間は全員僕を見る気はなかった。けれど晴夏は違った。だから今は晴夏のことは信頼してるつもり。


「いくら僕が晴夏のことを信頼していて、三月を信じていたって、二人みたいにはなれない。それは僕と晴夏が根本的に違うから。でもそれは変えられない。知ってる? 僕は晴夏が羨ましいよ。僕にはあんな風に素直に感情表現することはできないからね」

羨ましいと言われて驚く。誰でも隣の芝生は青く見えるらしい。

「だからさ、晴夏は三月の前では素直でいないと、僕がムカつく」

「ちょっと待て意味が分からない」

「僕にできないことをできるくせにやらないとか」

「理不尽だ!! ただの嫉妬だぞそれ」

「そうだよ、何か悪い?」

またこうやって星弥は、普通の顔をしてこんなことを言う。

ある意味俺より素直だと思う。呆れるというか、なんかどうでも良くなって、俺は無意味にため息をつく。本日何回目?

「分かったよもー……。三月とちゃんと話せってことだろ」

「やっと理解した? だったらさっさと予定埋めてきなよ。三月の交友関係は広いんだから。すぐに埋まるよ」

「言われなくとも」

ちょうど帰宅時間になって、俺は三月を捕まえにいく。


無事予定を埋めて校舎を出ると、そこには帰ったと思っていた星弥がいた。珍しいこともあるもんだ。

「遅い。行くよ」

「一緒に撮影現場まで行ってくれんの?」

「一緒に行ってあげないよ?」

「ごめんて」

時々星弥はどうしようもないくらいに可愛い。

いつものようにとりとめのない会話をしながら、ふと気づく。

無意識に口元が緩んでいたらしく、星弥が嫌そうな表情をして言った。

「顔がだらしない。隣歩くの恥ずかしいからやめて」

「そっかそっか。お前ってホント可愛いよな」

「はぁ? 大丈夫?」

今の俺には何も効かない。毒でもなんでも吐けばいい。

だって気づいてしまったんだから。

「あんなこと言ってくれたってことは、お前は俺のこと好きだってことだよな」

ニヤニヤしながら言ってやると、一瞬で星弥が凍りついた。

「な、何を」

「だってお前のI love youは『僕の心はあなたの瞳にしか映らない』で、本心は君にしか見せないよっていう意味だもんな」

俺が笑うと、無言で星弥は早足に歩きだした。

「置いてくな」

追いかけると、星弥は勢いよく振り返る。その表情が、言葉で言い表せないくらい使いて。男の俺でも惚れてしまいそうになる。男子人気も高い理由が分かった気がした。


「君のそういうところ嫌い」


言葉にしては、声に嫌悪感が籠ってない。ただの照れ隠しだ。


「俺はお前のそういうところ好き」

追い打ちをかけると、いよいよもって本当に怒ったらしい。

そのまままた無言で歩きだす。


撮影現場に着くまで無視され続けたのは言うまでもない。










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