それぞれのI love you

歌音柚希

【喜多野三月の場合】

「なぁ、お前はあれ、なんて答える?」

あれってなんだっけ……。と一瞬迷う。すぐになんのことかは分かった。

「文化祭の?」

「そうそう。『I love you』を訳すってやつ」

今年の文化祭は、俺たちの学年が積極的に運営している。実行委員会を作ったらしい。そいつらが発案したのがこれ。題して『あなたはI love youをどう訳す?』

これが全校放送で発表された時、学校中から悲鳴のような歓声のようなものが一斉に上がったのは記憶に新しい。

その理由は多分、こうだ。

「お前らの答えを全校の女子が楽しみにしてるだろうな……」

俺の幼馴染である淡井晴夏あわいはるかは、高校生モデルとして活躍するイケメンだ。超がつくほどの。高身長で爽やか系のイケメンで優しげな雰囲気で優秀で……。表面上の晴夏を称える言葉はまだまだ尽きない。ただし! だ。俺の知っている晴夏は、皆が言うほど良い奴なんかじゃない。断じて!

まぁ、そんなのはどうでもよくて。そんな晴夏がいつも一緒にいる奴らがまた美青年なわけ。淡井晴夏、八柳星弥やなぎせいや入山駿いりやましゅん神原渉かんばらわたると聞いて顔が浮かばない女子はいないだろうし、男でも憧れている奴は多い。

「あは、やっぱりそう思う?」

「相変わらずムカつくなお前は!」

うざいほどの笑顔がまさにイケメンって感じだから、とりあえずグーで殴る。

って言っても、最近はあんまり力入れないようにしてるから、そんな痛くもないはずだ。いくら幼馴染といえど、今の晴夏は人気沸騰中のモデルなのだから。そういう風に考えると、なんだかこいつが遠く感じるのだから、全く俺って奴は。

「つーか、俺に聞くまでもないだろ? お前はさ。いくらでも思いつくんじゃねーの? むしろこっちが教えてほしいわ」

「それがそうでもないんだな。これでも俺は告白したこととかないから」

「ふーん?」

半信半疑で雑に相槌を打つ。

「信じてないな。まぁいいや。で、俺も思いつかないわけじゃないんだけど、やっぱりこういうのはお前得意じゃん? 今まで俺が使った雑誌の胸キュン台詞だって、半分は三月のアイデアだしさー」

あー、なんとなく分かってきた。俺だって伊達に十八年間こいつの隣に居座り続けたわけじゃない。真意を隠した晴夏の表情が何を示すのか。晴夏が何を言いたいのか。それくらい簡単、簡単。

「回りくどい! 要は、皆が抱いてる『淡井晴夏』のイメージを壊さない言葉考えてくれってことだろ? ホント、性格悪いくせに、ファンに対する精神は優しいよな。どっちがお前だ!」

からかう口調でずばり言ってやると、柄にもなく晴夏は顔を赤くして目を逸らした。昔からこいつは人に甘えるというか、頼るのが苦手だ。そこを甘やかしてやるのが俺の役目なわけですが。こういうときの晴夏はちょっと可愛い。昔に戻ったみたいに、俺が兄貴の立場にいられる。

「うるさい、万年小学生」

「その小学生にこんなこと頼んでる王子系高校生モデルはどこのどいつだ!! ってか俺は小学生じゃねぇ! 馬鹿にすんな!!」

可愛いとか思った俺が馬鹿だった。

身長っつーか、容姿に関しては俺も何も言えないから、この手の言葉はどうしようもない。……自分が、晴夏の隣で笑っていていい存在だなんて過信したことなんて、一度も、無い。そして、気を抜くとこんなことを考えてしまう俺が嫌いだ。

大嫌いだ。

それでも俺は笑顔を絶やさないって決めたから、顔を曇らせることはしない。晴夏に心配をかけるのは何よりも嫌なことだから。

「……あー、いや、お前に頼りすぎかなーとは思うけど。でも、やっぱりイメージは壊したくないから。俺に憧れてくれる同年代男子だってたくさんいるし。俺がそいつらの理想であれるなら、崩したくはないな、と」

思わず聞くことができた、真面目な晴夏の本音。

つい、こんなことを言ってしまう。

「お前、大きくなったな」

「身長的な話?」

「そうじゃない。そうじゃなくて、なんか……、うまく言えないんだけど」

いつもなら言い返すところもスルーして。今は少しだけ真面目なことを言わせてほしい。こんなに大きくなった晴夏に。

「モデルの仕事を始めてから、お前は大人になったよ。性格悪いところとか、時々子供っぽいところはそのままなのかもしれないけどな。でも、なんつーか、精神的に大人になったって感じする。お前とゆっくり二人だけで話すのって久しぶりだろ? だからかな、余計にそう感じるんだ。小さい頃のお前を知ってる身としては、少ーし寂しい気もする」

言い終わってから気恥ずかしくなった。無理矢理いつもの笑顔を繕って、間抜けな顔をしている晴夏の肩に手を伸ばす。もう頭には手が届かない。

「まっ、俺はお前の唯一の幼馴染で、それはずーっと変わらないから」

二回、優しく肩を叩く。


「何があっても俺はお前の隣にいるよ」


これが俺の答え。


「三月は昔から……。本当に、ずるい。ずるいぞ!! 三月のバーカ!! 俺よりもよっぽど王子だろうが!! かっこいいよバカ!!」

間抜けな顔が、何の前触れもなく昔に戻った。強い力で抱きしめられる。

こうされると思い出すのは小さい頃のこと。

晴夏は複雑な家庭の事情を抱えていた。だから俺は、いつも晴夏のことを弟みたいに可愛がった。ある日、晴夏がいなくなったと母さんから聞いた。あの時は本当に世界が静かになったなぁ、なんて思い出す。気がつけば走り出していたあの日。

闇雲に走ったって見つけられないのは分かってたから、まっすぐに交番に行って。警察官の人と俺たちは仲が良くて、すぐにその人も俺と一緒に探し回ってくれた。

一時間くらい探してもいなかった時の俺の心境なんて、きっと晴夏は分かってないんだろう。最後に思いついたのは、晴夏が連れて行ってくれたことのある『大事な場所』だった。そこに晴夏がいてくれた。やっと見つけた、と言った俺に、晴夏は泣きながら抱きついてきて。三月、ごめん、ありがとう、ごめん。

「あんなこと言われたら、怒るに怒れなくなるってもんだよな……」

無意識で呟くと、晴夏は俺を見下ろす形で「何?」と聞いてくる。

「なんでもねーよ。つか、お前いい加減離れろ。今日撮影なんじゃないのか? もう昼だぞ」

「撮影は延期。明日になった。から、今日は三月といたい」

「はっ……!?」

盛大にテーブルの脚に足をぶつける。テーブルの上に乗っているコップから、紅茶が数滴零れた。クッキーが皿から落ちる。いや待て、そもそもなぜ俺たちは立って話してるんだ?

「とかどう? ははは、I love youの訳し方。王子っぽくない?」

まともに受け止めた俺をからかう笑みが晴夏の顔に浮かぶ。黒い笑顔。雑誌で見せるような王子様系の優しい笑顔のかけらもない。

さっきの仕返しってことか。ちくしょー。

「もー知らない! 自分で考えろ!」

「あっクッキーを盗むな!!」

「俺が作ったんだからいいだろ」

「作ってくれたのはめっちゃ嬉しいけど」

しらっとこんなこと言ってのけるんだから、晴夏は天性の人たらしだ。

誑かされる俺も俺だよな……。こいつの笑顔には勝てない。

「分かった分かった、考えてやるからそういうことを言うな」

「いや、それはいいよ」

「え?」

「俺にとって、三月に対して思うことが彼女に対して思うことなんだろうなって思った」

俺の耳は壊れたんだろうか。

「い、今なんつった?」

「あいらぶゆー」

ふざけた笑顔の晴夏が、俺の顔を覗き込んでくる。

男で幼馴染と言ったって、こいつは天賦の才の持ち主。まさに王子様の顔を近づけられたら死ぬ。

「前言撤回! お前は昔となーんも変わってない!」

「そういう三月も変わってないよ、主に見た目が」

「ぶっ飛ばす」

わりと昔の感じで晴夏の腹を殴る。うずくまる晴夏を見下ろして、ふふんと笑う。いい気味だ。胸の奥で『お前は晴夏にこんなことしていい人間じゃない』と訴えてくる本当の俺は無視する。

「けど、三月は変わってない。優しいところ」

またそうやってお前は。

「ったくー……!」

今日は調子が狂う。こんなことを晴夏に言われていい俺じゃない。

それでも言われたら嬉しい。矛盾している。

「俺はずっと三月と笑ってたいな」

殺し文句だろ。これは声にならなかった。

「バーカ」

顔を覆って呟く。負け惜しみにしか聞こえないだろうが、それはどうでもいい。

今はこの無条件の幸せに浸らせてほしい。

「三月は?」

「お前が望む限り、隣にいてやるっつーの!」



俺なりのI love youの訳し方。

ずっとあなたの隣で笑顔を守りたい。







突然俺に冷静さが戻ってきた。

「俺たち何やってんだろうな。死にたい。穴に埋まりたい」

「……………………分かる」














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