カフカ「橋」

磯山煙

カフカ「橋」

 私は硬直し、冷え切っている。私は橋だ。私は深い谷の上に、橋として横たわっていた。こっち側には両足の爪先を、あっち側には両手の指を食い込ませて、もろくやわらかな地面に自分をしっかりとつなぎとめていた。スカートの裾がこちらへはためいていた。底に流れる小川ではヤマメが騒いでいた。こんな未開の高地には旅人だって迷い込むことはない。この橋はまだ地図にさえ載っていないのだ。――だから、私は身を横たえ、待っていた。待たなければならなかった。一度架けられてまえば崩壊するその時まで、橋は橋であることを一瞬たりともやめることは出来ない。

 ある時、夕暮れのころのことだ――何度目の夕焼けだったのだろう。一度目なのか、それとも千度目なのか。分からない――私の考えはこうしていつも混乱に陥り、いつも空転してしまう。夏の、夕暮れのころのことだ、小川のせせらぎも低く強くなった黄昏時、人の足音が聞こえた! 私の方、私の方に。――身体を伸ばすんだ、橋。手すりはないけれど、バルコニーみたいになるんだ。信頼に耐えてみせろ。彼の頼りなかった足どりは、いつの間にか安定しているけども、またよろめいたりでもしたら、その瞬間を逃さずに山の神様みたいにあいつを地面の上まで放り投げてやるんだ。

 いざ私の上に来ると、彼はストックの先の鉄の部分で私を叩いては、私の上着の裾をさしあげたり、戻したりした。私のごわごわした髪の中をその調子で歩んでいき、立ち止まり、野蛮な仕草であたりを見回すと、その場に寝転び、しばらくそのまま横になった。その後は――渓谷の上で夢見ていたそのままに――私の身体の真ん中で、彼は両脚をそろえて飛び跳ねた。経験したこともない野蛮な痛みに震えてしまう。こいつは誰? 子供? 夢? 追いはぎ? 自殺者? 誘惑者? 破壊者? 私は彼を見ようと身を捻った。――橋が身を捻る! 私はまだ捻っていなかった、というのも私は崩壊していたのだ。崩壊し、すでにちぎれて尖った燧石に突き刺さっていた。激流からとても穏やかにいつも眺めていた、あの燧石に突き刺さっていた。

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カフカ「橋」 磯山煙 @isoyama_en

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