終章

 荷物を担いで城を出る頃には、太陽は中天に近づいていた。

 アニャエルの計画を見破ったものの、その考えが成立するのかどうかを考え込んでしまったせいで、すっかり時間が経ってしまったのだ。とはいえ、昼時に近いこの時間でも、一年を通して冬であるこの地域では、あまり実感が沸かないほど寒い。

 門扉がなくなった城を背後に、勇者一行はのんびりと歩いていた。

「はー」腕を突きあげて体を伸ばしながら、ラーナが声をあげた。「なんだかすごい疲れたわ。一晩でいくつか歳をとったんじゃないかってくらい」

「はは、そんなにか」

 珍しくも笑い声をあげたセピアに、ラーナは不満気に近づく。

「笑いごとじゃないわよ。結局無事で済んだからよかったものの、一時は世界中に知れ渡る殺人犯にされるんじゃないかって戦々恐々だったんだから」

「顔色真っ青だったもんね」

 ギーがおかしそうに口の端をあげる。

「あのね――ってギー! あなた、心は女の子ってどういうことなの?」

「そのまんまだよ。黙っててごめんね」

「じゃあ今回の勇者一行って、全員女だったってことかぁ」

 ユミカが苦笑交じりに言う。

「なかなか個性的だな。とてもカナタの報告書には載せてもらうわけにはいかないが」

「元凶はあんただけどね、セピア」

「それを言われると返す言葉もない」

 話題にあがったカナタだけは、一行の中に姿が見当たらない。

 四人は散歩でもするような呑気さで、城から離れていく。

「でも、さ」ユミカが不安そうに言う。「アニャエルをあのままにして、よかったのかな。本当なら委員会なりに報告しなきゃいけないんじゃ……」

 セピアは肩をすくめた。

「終わってみれば、被害を受けた人はいなかった。害を被ったのは、彼女自身が用意した人形と、あの城の門と、それから我々の睡眠時間くらいのものだ。大騒ぎするようなことじゃないだろう。もっとも、精神的に追い詰められたラーナに異論があるのであれば、わたしも訴え出たほうがいいと思うが」

「いいわよ、もう。そんなこと」

「ということらしいから、わたしたちが文句を言うこともないだろう。それより問題なのは」セピアは空を見上げる。太陽の位置は高い。「今日こそが『勇者の旅路』最終決戦の当日であり、本物の魔王サヴァリアはこちらの騒動を何一つ知らずに魔王城で待ち構えているということだ」

「事情を話して延期してもらう」気づいたのか、ギーは諦め気味に肩をすくめる。「ってわけには、いかないよね」

「ああ。事情を話せばアニャエルの企みが明るみに出ることになる。『アニャエルのためにも「旅路」を成功させなきゃならなかった』とは、彼女が幻装したサヴァリアの言葉だが――今ここで我々が諦めることも、『旅路』を失敗に終えることも、アニャエルは喜んだりしないんじゃないかと思うんだ」

「つまり、やるしかないと」

 ラーナが肩を落とす。

「そういうことだ。みんな、疲労困憊なのはわかっているが、今日一日だけはなんとか耐えてくれ」

「決戦前に化粧し直したいわ。目の下の隈とか血色とか隠さないと」

「あ、それ、いいね」ユミカがラーナに賛同する。「みんな女の子同士だったってわかったんだし、一緒に化粧しようか」

「いや、わたしはいい。そもそもわたしはまだ男役だぞ」

「僕はちょっとしてみたい……」

 などと、盛りあがりかけたところに、山道を駆けて来る足音が近づいた。

「皆さん!」叫んだのはもちろん、吟遊詩人カナタだ。「現在位置がわかりました。セピアの言う通り、昨日の野営地から大きくは外れていません。が」

 が? と四人が首を傾げた。

「隣の山です。本物の魔王城は、一つ隣の山にあります」

 セピアは思わず周囲を見回す。山道の先には黒い城が一つ。そこには計画を破られた少女が一人で佇んでいるはずだ。周りは木々に邪魔され、隣の山とやらはまったく視界に入ってこない。

「……決戦まではあと何時間?」

「六時間くらいかな」

 不機嫌そうなラーナに、ユミカは意気消沈した声で答える。

「つまり、六時間で下山して、隣で登山し直す必要があるわけだ」

「その通りです」

 セピアが淡々と分析すると、カナタが頷く。

「……僕たち、徹夜明けだよ?」

 ギーが全員の内心の代弁した。

「……さっきサヴァリアがやってたみたいに、飛ぶこととかできないの?」

 ユミカの疑問も当然だが、ラーナは無情にも首を振るしかない。

「一人を短時間浮かすのと、隣の山まで荷物込みで五人飛翔させるのじゃ話が違い過ぎるわ。途中で墜落するでしょうね」

 一同からなんともいえないため息が漏れる。

 しかしくじけてもいられない。これから本当に、本番の戦いが始まろうとしているのだ。

 セピアは気合いを入れ直すように自らの頬をぴしゃりと叩くと、宣言した。

「よし! 全員、走るぞ!」

「いや無理無理! 馬鹿じゃないの!」

「ラーナ。わたしたちはこれまでいくつもの無理をひっくり返したきたんだ。ここまできて、たかが六時間程度の徒競走に音をあげるなんてきみらしくもない」

「なんかそれっぽく言っても無理なものは無理よ! 魔法使いは体力がないって相場が決まってんの!」

「ラーナ」しかと仲間の目を見つめる。「信じている」

「今すごく聞きたくなかったわそれ。もういいわよ、走るわよ走ります」

 非常に嫌そうに顔をしかめながら、ラーナは駆け出す。他の仲間たちもぐったりと疲労をにじませながら、昨晩遅くに登ってきた道を逆にたどり始める。

 幸いにして天気は突き抜けそうなほどの青空だ。

 気温は少々低いが、走ればそれも温まるというものだろう。

 セピアは、自称した通り誰よりも体力がなく、足も遅いラーナの傍を走った。

「ねえ、セピア」

「舌を噛むぞ」

「うるさい。……最後の決戦だけどね、あなた、セピア・ヘイリンワースとして登場するのはどう?」

「しかし、勇者は男でなければならないという決まりがある」

「一年もあなたの英雄ぶりを見てきて、今更あなたを勇者と認めない人がいるとは思えないわ。史上初めての女勇者。いいじゃない。歴史に名を刻むわよ」

「……そうかな」

「そうよ。それに」ラーナは赤みの差した頬を隠すように、帽子のつばを下げる。「バルドラスより、セピアのほうがいいわ。私は、今のあなたのほうが好き」

 ちらりと隣を走る魔法使いを見るが、表情は伺えない。前方からユミカの射るような視線が送られてきたような気もするが、あえて気づかなかったことにして、セピアは笑った。

「そうだな。きみがそう言うのなら」

 後に、もっとも衝撃的な決戦と銘打たれ大陸中で史上最高の売り上げを記録することになる『勇者の旅路』最終決戦に向けて、五人の勇者たちは息を弾ませた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者の旅路 火野秋人 @hino_akito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る