いいねした人のイメージソングでSS書く

@rin407

静かなる死

 黒鍵のように光る靴は、やわらかな音を叩いて彼女の存在を僕に知らせた。

 「こんばんは」という言葉に合わせて髪飾りが揺らぐ。彼女は、高校最後の夜を華やかに締め括るつもりのようだった。薔薇のドレスが橙の照明の下でも鮮やかだ。

 彼女が浮わついた周りの喧騒とは対照的な落ち着いた声で、踊らないかと誘ってくる。最後くらいはほとんど関わりのなかった人間とも親睦を深めようと思う人はどこにも一定数いるものだ。僕は少し考え、「いや、遠慮しておく」と断った。グラスがまだ空いていない。

 ――彼女のそのときの表情を、僕はなんと呼んだらいいかわからない。 それは不満のようにも、憎悪のようにも、愛情のようにも見えた。 華やかなのっぺらぼうだった彼女は、その瞬間、はっきりと人間になった。

 「大谷くんの3月の雨、読んだわ」

 踊ることは諦めたのか、彼女は壁に凭れて徐に話し始める。少し遠くで彼女を呼ぶ声が聞こえたが、当人は手を振っただけだった。

 3月の雨とは、僕が所属していた文芸部で毎年3月に発行される、卒業をテーマにした作品集のことだ。 部の持ち部屋の他には図書室の隅に置かれるだけの作品集を、彼女が知っていたのは意外だった。

 「ありがとう」

 物書きが「作品を読んだ」と言われたときに口にする言葉ナンバーワンであろう台詞を口にすると、その枯れ葉ほどの重さに驚いた。

 彼女は暫くの間、何も言わなかった。

 話はそれだけだろうか、と思いつつ、「じゃあ」と口を開いたところで、彼女が囁く。

 「あれからずっと考えているの」

 聞こえなくてもいいとでもいうほどの小さな声だった。僕は不意に、彼女が話しかけてきた訳を悟った。

 「踊ろうか」

 グラスを円卓の上に置いて、彼女を振り返る。笑顔の彼女が泣いているように見えた。


 「ねえ、どんなとき死ぬことを考える?」

 「さあ、どうだろう。僕の場合、大抵は大した理由なんてないんだ。ただ、死にたいというより死ぬ方が正しい、って考えが振り切れるくらいに強くなったとき死のうと考えるかな」

 彼女のステップは花びらのように軽やかで、時々踊っていることを忘れる。

 「いや、本当はいつもどこかで死ぬことを考えているのかもしれない。それがあるとき自分でも思いもしないほど強くなって、そのことしか考えられなくなる」

 彼女が頷く。

 「わかる」

 「それで、死ぬ方法を具体的に50通りくらい考える」

 彼女が笑ったところで曲が終わった。

 「50通りはさすがに考えたことなかった」

 「大丈夫、どうせ生きていけるうちに試せるのは1、2個だろうから」

 「笑えないけどそのとおりね」

 僕たちはフロアの壁際に戻り、さらに話をした。

 「それで死ぬ方法を洗い出したあと、生きる方法を考える」

 「生きる方法?」

 彼女は意外そうな顔をした。

 「まあ、それは綺麗すぎる言い方かな。つまり死を望む――憧れると言ったほうがいいのかもしれない――自分の感情をコントロールしようと試みる。大体は失敗するけど」

 生きる方法、と彼女は口のなかで呟いた。特に深い意味のない言葉を繰り返され、慌てて「僕の場合はね」と繰り返した。

 「私は」

 痛みを堪えるような顔をして、彼女は俯いた。

 「私はそんなふうじゃないの。はっきりと死にたいと思っているし、私の命のひとつひとつ、生きることの全部、切り捨ててしまいたいの」

 どれほどの時間かは知らないけれど、彼女はずっとずっと、誰かにそう言ってやりたかったに違いない。生きていたくなどないのだと。人生の輝くすべてまでも、自分には要らないのだと。

 そうと知って、僕は口を開く。

 「いつか君が死んでしまったら、僕はきっと泣くんだと思うよ」

 彼女は鼻で笑ってみせた。

 「私と大谷くん、2年生のとき同じクラスだったっていうだけの仲なのに?」

 「それでも、そうなんだと思う」

 もし彼女が自ら命を絶つとしたら、きっとその頃には、僕のことなんて忘れているだろう。だからこれは果てしなく僕のための言葉だった。僕こそ、明日は生きているかどうか知らない命だ。

 「大谷くんにそんなふうに言われるとは思ってなかった」

 彼女はあからさまに批難めいた目を寄越してきた。

 「どんなふうに思ってたのかしらないけど、僕は誰かの望むように生きられるわけじゃないから」

 彼女は少し沈黙した後、小さく「ごめんなさい」と言ってみせた。何に対する謝罪かはわからなかったが、素直に受け取っておく。

 「でも、僕は君の死を大切にするって約束するよ」

 そのとき彼女が浮かべた笑顔は口の端を歪めた不器用な笑顔で、お世辞にも可愛いとは言えなくて、とても大切な命だな、と無責任に思った。

 「大谷くんは変な人ね。3月の雨を読んだとき、私のことをわかってくれる人かなって思ってたけど、全然わかってくれない人だった」

 まったく褒められた気がしないのに、彼女はこちらが恐縮してしまうくらいに心を込めて「ありがとう」と言った。


 親睦を深めよと半ば強制的に押し込められたホールで、僕は死ぬ方法について考えていた。今は43個目の死ぬ方法を考えているところだ。毎度のことだが、10個目を越えた辺りから段々現実味が無くなっていき、43個目ともなれば「宇宙人を作り出したのは良いが、その宇宙人が発する電磁波に因って死ぬ」というものだった。前回は既存の宇宙人を登場させたので、今回は自分で作り出すパターンにした。

 自分が作ったものに殺されるというのは、なかなかに良い気がする。よくある話だが、よくある話こそ真に起こり得る。そう、たとえば―――

 「こんばんは」

 たまに僕は、世界というものが不思議で不思議で仕方なくなる。僕がいつも目の前に突きつけられるのは、冷たく残酷でうんざりさせるようなものばかりなのに、それが全てだと思った次の瞬間、信じてもいない神に感謝するほどに美しいものに出会ったりする。

 世界は不思議で満ちている。彼女は美しかった。

 「久しぶりね」

 可笑しなことに、何も言葉が出てこなかった。そんな僕を見て彼女が笑う。

 「私が死んだら泣いてくれるらしいけど、近くにいなきゃ死んだかどうかも知らないままでいちゃいそうで」

 彼女の指先が僕の手を掠め、僕は不意に、このちっぽけなホールに音楽が流れていることに気づいた。

 音は静かに静かに降り積もり、世界を満たした。

 その時、僕ははっきりと死を感じた。

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