第22話
それは昔、およそ二百年ほど前の話である。ある村にヴラドと名付けられた男がいた。ヴラドの一家はその地方一帯を支配する大豪族アントネスク家の分家であり、ヴラドはその村を中心とする地域の首長であるゲオルギの長男であった。
ある日、ヴラドはアントネスク家の本家の宮殿がある町、ルプルチェの町へと向かうため、十人の臣下、五人の村の有力者とともに馬車を引いていたが、その途中で突然道が崩れ、田んぼの泥濘にはまってしまい、ヴラドはその田んぼの中に生き埋めになってしまう。まずは五人の有力者がそれを引き上げようとするが馬車は上がらない。次に十人の臣下が加わってもう一度馬車を引き上げようとするが上がらない。太陽が沈みゆき、雨がぽつぽつと降り始める中で臣下と有力者の合わさった十五人はどうすればいい者かと困り果てた。するとその田んぼの上で小作人をしていた少女がその馬車を引き上げようと名乗りを上げる。十五人たちはできるはずがないと少女を冷笑していたが、少女はその馬車を軽々と引き上げた後、ヴラドを救出した。その時ヴラドは心臓が止まりかけ、もう命はないだろうと思われていたが、少女は十五人の抵抗を押しのけて、ヴラドの胸に手を当てると、ヴラドは見事に息を吹き返し、生還を果たした。
ヴラドがその少女に感謝するとその少女は自分自身をイオンと名乗っていた。少女は小作人にしては可憐な容姿をしていたために、ヴラドはすっかり彼女に恋をしてしまった。しかしヴラドは大豪族の一員なのに対して、少女イオンはその国では最底辺の階級「パルタナ・デジャス」であったためにその恋は不可能なものとなっていた。高貴な身分の男と卑しい身分の娘の恋。それを誰もが反対するのは当然の理であった。さらに不幸なことに、それは相思相愛の恋であったのだ。
すっかりイオンに惹かれてしまったヴラドには隣接する地域の豪族トラヤン家当主マリウスの長女オプレアとの婚約が決まっていたが、ヴラドはオプレアには決して興味を見せず、その上週に一回、真夜中の一時ごろにヴラドがお忍びで直々にイオンと密会をしていた。
しかしイオンは「パルタナ・デジャス」の身。いつ死の危険が押し寄せてもおかしくはなかった。当時その国では最底辺階級の身分の小作人が大地主によって殺されたとしても、大地主は何の罪にも問われてしまうことはなかった。だからこそヴラドはイオンを守らなければいけないという使命感が強かった。だが、ヴラドはもともと体が弱かった。風邪をひくとすぐに寝込み、疫病がはやるとすぐに感染してしまうほどに体が弱かった。力でいえばヴラドよりもイオンの方が強かったのは確かであったのだ。だからヴラドは彼女を守れる力が欲しかった。
そこでヴラドはまたお忍びでルプルチェの大教会へと向かった。
贖イノ旅路 茶呉耶 @chagoya
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