エピローグ『First Kiss』
5月16日、水曜日。
緋桜学院には事件が解決したというニュースだけが流れた。しかし、麻衣さんが犯人であることは一切伝えていない。
しかし、当然ながら麻衣さんが学校に来ていないということもあって、二年四組では担任から事件の説明があったらしい。ただ、麻衣さんの本来の優しい性格を知っているからか、誰も彼女が犯人であることを広めるようなことはしないようだ。日比野さんが彼女を弁護したからというのもあるらしい。
放課後、僕とお嬢様は茜色の館が見えるベンチに座っている。
「どうしたんですか。このようなところに来て」
「久しぶりにゆっくりしたくて。ここ1週間は地震とか事件とかがあって……暫く学校では落ち着けなかったでしょ?」
「そうですね」
確かにゴールデンウィークを開けてからは波瀾万丈の日々だったな。こうしてゆっくりできるのが不思議なくらいに。
事件も解決したということで、茜色の館も再び全館開放となった。少しの間は事件の影響で来館者は少ないだろうけど、時間が経てばきっと賑やかになるだろう。何せ、緋桜学院を卒業した真宵さんがデザインした建物だし。
「そういえば、片桐さんと永瀬君の意識が回復したそうよ」
「そうですか。それは何よりです」
「さっそく警察の方が片桐さんに今回の事件について説明をしたら……高梨麻衣のことを罪に問わないで欲しいって言ってきたらしいわ。今回の発端は自分にあるし、永瀬君に対してももっと良い方法があったんじゃないかって」
「じゃあ、麻衣さんが再び緋桜学院に通う日は遠くないということですか」
「そういうことになるわね。どのくらいの期間になるか分からないけど、おそらく一定期間の謹慎処分で済むんじゃないかしら」
何にしろ、誰の命も消えなかったことが幸いである。
きっと、僕と交わした約束を……近い将来、麻衣さんは叶えてくれるはずだろう。永瀬君の気持ちも確固たるものだろうし。
「……人は不思議ね。一時は殺意が芽生えていたほどの恨みだった気持ちが、あることを機に真逆である感謝の気持ちに変わっていくなんて」
「それは嘘と真実の差ではないでしょうか。麻衣さんが片桐さんに殺意が芽生えたのは、一言で言えば勘違い。実際には片桐さんが麻衣さんと永瀬君を想ってやっていたこと。感謝するようになるのはむしろ当たり前なのかもしれませんね」
「……由宇が言うとやけに説得力があるわね」
「僕は思っていることを言っただけですよ」
それが正しいんだ、と言っているわけではないんだけど……お嬢様に妙に納得されると恥ずかしくなってしまう。
そこから少しの間、僕とお嬢様は隣同士で座っているだけで無言になった。僕は爽やかな風を楽しんでいるけど、お嬢様は今……何を考えているのだろう。
「……ねえ、由宇」
「何でしょう?」
僕がお嬢様の方を振り向くと、お嬢様は真剣な面持ちで僕のことを見つめ、
「あなたって、何者なの?」
ある意味で度肝を抜かれる質問を投げつけられた。
あまりにも真剣にお嬢様が訊くものだから、僕はつい声に出して笑ってしまう。そのためかお嬢様の表情が不機嫌そうなものに変わってゆく。
「執事という部分を除けば、僕は推理小説が大好きなただの高校生ですよ。ていうか、どうしてそんなことを突然訊くんですか?」
「だ、だって……あなたの洞察力、推理力……素人にしてはありすぎる。あの2人と協力したからって言ってもね」
「そんなことを言われましても……事件を解決できたのはきっと、優秀なお嬢様が一緒にいたからだと思いますよ? 何せ、僕は素人なんですから」
「ふえっ」
お嬢様の顔が一気に赤くなる。どれだけ感情豊かな主なんだろう。
「ま、まあいいわ。とにかく、由宇と一緒ならどんな事件でも解決できそうな気がする。それだけは確かに言えることよ」
「僕で良ければ何でも協力しますよ。お嬢様の執事として」
「……何だか執事っていいものね。初めての執事が由宇で良かった気がする」
それは僕にとって嬉しいことだな。これからもそう言われるように頑張らないと。
「……ねえ、由宇」
「何でしょう?」
「昨日の夜、執事としてずっとあたしの側にいてくれるって言ったわよね?」
「言いましたけど、それが何か?」
「……でも、それって一応、男女間の契りっていうか、誓いみたいなものじゃない。だ、だから……」
段々とお嬢様の声が小さくなっていって、契り以降の部分が良く聞こえない。僕は顔をお嬢様の方に近づける。
「あの、よく聞こえないんですけど……」
「ひ、人がこんなに真剣になって言ってるのに聞こえないってどういうこと?」
いえ、聞こえないのは明らかにお嬢様の声が小さいことにあると思いますが。とも言えないので、僕は苦笑いをしてごまかす。
「それで何を言っていたんでしょうか?」
「べ、別に……。由宇は言っても分からなそうだから、有り難く受け取りなさいよね!」
その刹那、お嬢様は両手を僕の胸に当てて、そっと口づけをした。
唇に来る温もりと同時に、迫り来るお嬢様の甘い匂い。
確かに柔らかな感触が僕の唇から感じることができて、お嬢様の唇が離れてもその感触が残っている。
「あたしと約束をするっていうのは、こういうことなんだからね」
と、超至近距離でお嬢様が言う。
まったく、約束って僕が執事としてお嬢様と一緒にいることだよな。まさか、お嬢様も莉央と同じようなことを思っていたりするのか?
「初めて同い年の男子を信じるんだから、裏切らないでよね。私の、その……初めてのく、口づけまであげたんだからっ! 女の子の初めては大切なものなんだからね!」
「……僕も初めてなんですけど」
「ふえっ、由宇にとっても初めて……」
そう言うと、お嬢様は何故か笑顔になっていた。
そこまでして……執事の僕を独占したかったのか? そういえば、僕が莉央や麻衣さんと話していたときに不機嫌になっていた。それってもしかして……これが理由だったりするのだろうか。そうであれば、相当可愛い嫉妬だと僕は思う。
「じゃあ、藤原さんに勝ったんだ……」
「えっ? 何か言いました? 莉央の名前が聞こえたような……」
「な、何でもないわよ。ただ……由宇は女顔だけど競争倍率が高そうだから、これで一歩リードできたと思って……」
「何を言っているんですか。僕は執事として、お嬢様のお側にずっといると言ったじゃないですか。強引に誓わされましたが。それに、リードも何もないと思いますけど」
「そ、それは……由宇にけじめをつけさせるためよ。あと、由宇は何か勘違いしているんじゃないの? 私は主と執事という関係のままっていうのも嫌だし、もっと親密な……」
「……あの、もう少し大きな声で言って貰えると嬉しいのですが」
「あうっ。ご、ごめん……」
まあ、こういう可愛らしい所も知っておくこともいいだろう。
お嬢様は立派な藍沢家に生まれた方であるから、知名度だってあるはずだ。何時、どのようなところで危険が潜んでいるのか分からない。お嬢様のことを守るにも、そしてお嬢様の笑顔を絶やさないことにも僕がしっかりしないと。
それに、さっきの口づけ……お嬢様はきっと大きな決断を持ってしてくれたんだ。お嬢様が後悔しないように頑張らないといけないな。
「お嬢様、これからもよろしくお願いします」
「……うん。よろしく」
そう言うとお嬢様は僕に優しい笑顔を見せた。
捜査も人の心も迷路のように幾つものの分岐点がある。それが人を惑わせ、更なる迷宮に誘うこともあるだろう。
お嬢様がそんな迷宮に迷い込んだら、僕はお嬢様に手を差し伸べてゴールという名の答えを一緒に見つけていきたい。それが僕にとっての執事の存在意義だ。
僕はそう心がけて大切なお嬢様と、僕達を取り囲む人達と共に過ごそうと思う。
『迷宮ラブソディ』 おわり
迷宮ラブソディ 桜庭かなめ @SakurabaKaname
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