封印



「実はわたくし、斎王様がいらっしゃらないときに、此処の掃除をしておりまして。

 うっかり御簾を壊してしまったのです」


 今すぐにも殺してください、という口調で彼女は言う。


 だが、全員が、


 それがどうした……と思っていた。


「斎王様のお部屋の御簾を壊すなんて。

 恐ろしくて、私。


 井戸に身を投げようとしたのですが。

 なにかに阻まれたかのように飛び込めませんでした」


 きっと私が怖気付き、飛び込めなかっただけなのでしょうけど、とその女孺は言った。


 それで、以前、くらの奥で見た予備の御簾を持ってきて、そっと掛け直したのでございます」


「予備?」


「予備などありましたかしら?」

と他の女官たちが話している。


 命婦も、

「予備はなかったように思いますけどね。

 この御簾は前の斎王様が手配されていたもので、掛け替えてすぐ、斎王様が交代されたので、そのまま使わせていただいていたのですけれど」

と言う。


「でも、私、以前、庫に物を入れるのを手伝ったときに、隅にひっそりと置かれているのを見たのです。


 斎王様の居室と同じ意匠のものなので、ああ、此処に予備があるのだな、とそのとき思ったのです。


 それで、今回、そっと掛け替えてみたのです」


「それはあれかしらね」

と成子は小首を傾げながら、口を開いた。


「どういうところに頼んで届いたものか知らないけど。

 もしかしたら、あの御簾に悪しきモノが宿っていたから、ひとつだけ、庫の奥深くにしまい込んでいたのではないかしら」


「そういう事情とは露知らず、申し訳ございませんでしたっ」

と若い女孺は床に頭を擦り付けるようにして詫びてくるが。


「いや、別に。

 呪いの御簾は封印すればいいし。


 壊れた分は、作り変えてもらえばいいじゃない。


 この柄でもうそろわないのなら、すべて取り替えればいいだけよ」


 だが、女孺はその一言を恐れていたようだった。


 自分のせいで、この居室の御簾をすべて作り変えるなどという事態になることを。


 震える女孺に、気にするなと声をかけようとしたが、その前に、道雅が彼女の側に膝をつき、やさしく声をかけていた。


「大丈夫ですよ。

 斎王様は、そのようなことでお怒りになる方ではありません」


 というか、そもそも掛け替えられたことに気づいてなかったしな……と思いながら成子は言った。


「いいわ、気にしないで。

 私好みの御簾を頼む楽しみができたから。


 こんなことを言うのは、本当は、いけないことかもしれないけれど。


 ただ祈るだけのこの神の宮での生活に、楽しみを見いだすのはとても大変なことなの。


 ありがとう。

 これでしばらく退屈しのぎができるわ」


 そう女孺に声をかけると、彼女は、


「あっ、ありがとうございますっ」

と震えながら、頭を下げてきた。





「斎王様はお美しいだけでなく、本当に心根のやさしい方だと評判だぞ」


 その夜、庭先で警備をしている真鍋が言ってきた。


「こうして、実情とはかけ離れた素晴らしい斎王像が出来上がっていくんだな」

といらぬことを言う。


 一応、扇を手にして、すのこまで出ていた成子は今は仮に違う御簾が掛けられている箇所を見上げて言う。


「そんなことより、私はあの神様の行動が気になるわ。

 何故、物の怪入りの御簾を此処に置いておこうとしたのか。


 道雅」

と成子は庭の先の方に向かい、呼びかける。


 すると、よく手入れのされた庭から白いカメを抱いた道雅が現れた。


 まあ、と控えていた命婦が捨てたはずのめでたいカメを見て声を上げる。


「道雅殿が捕らえてくださったのですね」


 カメを手にしている道雅は深く頷き、重々しい口調で言ってきた。


「私は……


 カメである」


 神じゃなくてか。


 っていうか、今度はカメに身体を乗っ取られたのか道雅、と思ったが。


 どうやら、今回は了承して、カメにしゃべらせるために身体を貸したようだった。


「そこの女子おなごに助けられ、恩返しをしようと思って此処に居たのだが」


 その恩返ししようとした命婦に裏山に放り投げられたわけですね……。


「カメ様は、神様でいらっしゃるのですか?

 うちの神様が、カメ様がいらっしゃるときには出てこられなかったみたいなのですが」


「人がどのようなものを神と言うのか知らぬ。

 私はただ、長く長く生きただけだ。


 色も抜け落ちるほどに。


 だが、まあ、そこらの神よりは私の方が長生きだからな。

 お主らのことも知っておる」

とカメと道雅はこちらを見て言ってきた。


 お主ら、とは誰と誰ですか、と成子は思う。


「この斎宮の空気は、慣れてみると、心地よい。

 この聖と邪の交わる感じ」

とカメと道雅は目を細めて言ってくるが。


 いや、邪は交わってはまずいのでは……と思ったが、めでたい白いカメは、

「それもまたよし」

と言う。


「お前たちが、いや、そこの女子おなごが許すのなら、私はこの斎宮の池に住みたいのだが」


 めでたいカメに住んでもらって悪いことはなにもない。


 命婦も捨てておいて、ありがたそうに頷いたそのとき、


「それはいい」

と突然、声がした。


 見ると、居室からずいぶん離れた庭先に神様が立っていた。


 だから、なんなんですか、その距離は。


 カメ様と距離を取っているのだろうか。


 やはり、なにか隠しているのだろうか。

 怪しすぎるっと思ったが、カメに操られている道雅は、幼な子でも見るかのように、目を細めて神様を見ている。


「よいよい」

と頷いた。





 すべて解決したような、解決してないような。


 何故、斎宮にあった御簾が呪われているのか。


 突然、神様が、あれだけ避けていたカメ様が此処にとどまると言ったことを喜んだのは何故なのか。


 みなが寝静まった頃、成子はそっと居室を抜け出し、庭に出てみた。


 池の前を過ぎると、岩の上で寝ていた白いカメが目を開け、チラ、とこちらを見たが、なにも言わなかった。


 成子は塀近くにある井戸のところまで行く。


 蓋がしてあるそれを開けてみた。


 真っ暗な水に月明かりがゆったりと揺れている。


 中を覗き、目を凝らす。


 すると、白く細い指先が本当にわずかにだが、中から覗いた。


 だが、それ以上は出てこられないようだった。


 その瞬間、横から誰かが木の蓋を井戸の上に置いた。


 道雅だった。


「やっぱり、その身体の方がしっくり来るのですね、神様」

と成子は神様入りの道雅に話しかける。


「真鍋は意志が強いから、すぐに弾き飛ばされそうだしな。

 自分の中に誰も入れないという気構えを感じる」


「道雅だと?」

と問うと、


「ああ、仕方ないか、という諦めを感じる」

と言うので笑ってしまった。


「冷えるぞ、成子。

 部屋に戻れ」

と神様は言ってくる。


「……そうですね」

と言い、成子は神に従った。


「そうだ。

 私も、道雅を真似て歌を詠んでみようと思うのだ」


「ほう。

 道雅の歌の師匠は私だが」

という声がいきなり、足許からした。


 見ると、悪霊入りの黒猫がいつの間にか足許に居て、成子を挟んで神様とは反対側を一緒に歩いている。


「ほう。

 では、月を見て詠んでみろ」

と神様が言い出す。


 なにか揉めている二人からわざと遅れ、成子は井戸を振り返る。


 誰かがあの蓋を内側から、指先だけで叩いている気がした。


 とんとん……


    とんとん……

と。


 神様は何故、あそこに蓋をさせ、物の怪入りの御簾を私の居室にかけさせたのか。


 女孺は井戸に飛び込むことができなかったと言っていた。


 井戸の中のナニカに押し返され、願い叶わなかったのだろう。


 それだけはよかったかな、と成子は思う。


 あそこから這い出して来ようとしているナニカは、恐らく、私の居室に来ようとしている。


 だが、そのナニカは、恐らく、神様より弱く、御簾に宿る魔よりも弱く、今、池に居るカメ様よりも弱い。


 だから、御簾に阻まれ、カメ様に阻まれ、あそこから出てこられないでいるのだ。


 御簾がなくなった今、中のものを封じるには、カメ様が必要だ。


 神様はいつも此処に居るわけではないし……。


 だから、神様はカメ様が此処に住むことを喜んだのだろう。


 自身は何故か、カメ様に近寄りたくないようなのだが。


『そこらの神よりは私の方が長生きだからな。


 お主らのことも知っておる』


 お主ら、か、と思いながら、成子はまた振り返る。


 井戸の蓋はぴっちりと閉められたまま、今は動く気配もなかった。


「成子、お前も月でなにか詠んでみろ」

と言う神様に、


「私の歌は、ほぼすべて道雅が考え、添削しています」

と答える。


「……駄目な斎王だな」


 そんな神様の言葉を聞きながら、悪霊も笑っている。


 聖と邪の入り混じる斎宮か。


 成子はまだ細いが冴え冴えと輝く月を見上げた――。


「じゃ、ちょっぴり詠んでみましょうか」


 そう言い、成子も微笑んだ。






                      蠢くモノ 完




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ふるべゆらゆら 櫻井彰斗(菱沼あゆ) @akito1

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