第36話 第二ラウンド終了
◇
拳を解く、裕也――涙などを拭い、頬を叩いて黒装束の連中を一瞥した。
靴を受け取らず、裸足で庭から縁側に、そして家に上がる。
久島を打倒したものの裕也の顔には一切の余裕、緩みが無かった。
後ろから裕也を追うように黒装束の一人がついて来たが、彼に敵意が無いと思い、裕也は話掛ける。その声は屋内の惨状を踏まえてのものだった。
「何しやがった」
怒り、憤慨、恐怖、疑念、そして殺意をはらんだ裕也の声は背後の男に向けてのものだった。裕也の視線は眼前に横たわる女性に向けられていた。
その女性は右肩と胴体がまさに皮一枚で繋がった状態だった。久島に斬られたのだと、裕也は理解できた。
右肩から胸部まで刀を入れられ、その刃が心臓に達してもなお力をいれられ腹で抜かれた。切り口から血、臓物が飛び出し、彼女は絶叫しながら絶命したのだと、裕也は理解できた。
苦悶の死に顔を晒す女性は壁に張り付くように座っており、左手には生後間もない赤ん坊の首が掴まれていた。
おそらく居間であろう空間に飛び散った血。粘り気があり、天井からゆっくり滴り落ちて来る。
裕也は再度、言った。
「何しやがった。久島は徹もやったのか……それとも」
お前らがやったのかと裕也が振り向いて男の胸倉を掴んだ。
男はゆっくりと首を振る。裕也の手ガ離れると同時に、彼は言った。
「志士徹なら我らと入れ違いにここを出て行った。久島は、追われたことで焦ったのだろう。
男は、息絶えた女性の前で手を合わせ「南無」と呟く。
裕也もそれにならった。音の出ない、しのび手を打ち、頭を下げる。
黙祷後、裕也は問う――自分はこの家と関係無いはずだと。
「俺は捨て子なんだよ。ここが実家って知らされてない。てか、俺を知ってんのか?」
男は言った。
「我々の中で草薙は旧皇従徒を指す。そして雅はその末裔だ……家の奥でおまえに似た男の亡骸がな……済まん、おまえの事情も知らず、間違いかもしれぬ」
「あんたが謝ってもどうにもならねーさ」と裕也は険しい表情で言った「確定しててもして無くてもさ……その男、いくつぐらいに見えた?」
「四十ぐらいだ。この女性の兄か、夫か……刀では無く、首のない赤子の胴体を手に……この女性の手にあるのはおそらく……」
男はそこで口を閉ざした。
無言で裕也は庭に出て、先ほどの久島に歩み寄った。
誰も止めなかった。むしろ、場の空気が言っているようだった。
『殺せ』と。
久島の体は黒装束の連中が縄で巻いて、行動を封じていた。裕也が歩み寄ると黒装束たちは下がった。
序列がはっきりと、明確になっていた。
黒装束の連中の上に久島が在る。
久島の上に、草薙裕也が在る。
ピラミッド型組織とはやや違う‶実力〟という格付け。ここの頂点は裕也だった。
生殺与奪すら裕也が決める――裕也は拳を振り上げ、手刀の形を成す。
だが、裕也は振り下ろさなかった。
歯を食いしばり、手を納める。
ぶつける相手もおらず、裕也は警察を呼ぶように黒装束の連中に指示した。
やがてパトカーが一台、サイレンも無く乗り付けた。
裕也は己が乗り込んで久島を打ちのめしたことを、そっくりそのまま警官に伝える。
警官が久島の刀と家の惨状を確認して裕也たちは青井市警察署へ、移送された。
手錠こそ掛けられなかったが、裕也は後悔と怨恨に押しつぶされそうになって、胸をさすった。
◇
同刻、青井市、上空。
イナミと大里海馬は互いに浮遊して手を探っていた。
およそ数分もの間、両名は宙に浮いたままだったが、イナミの額から汗が流れ始めていた。
血の繋がった者とはいえ初の戦闘で緊張が走る――それはイナミのみ。彼女の心中は――
――先手、後手、受け攻め返し、どうやっても負けるイメージしか出てこない。この、妖怪ジジイには奥の手が腐るほど在るだろし、カムイの相殺とか取り込みも考えると私から下手に動けない。なんかもう『無理ゲー』の気分ね。
そんな悪態と自分が殺されるイメージだけだった。
それでもイナミは投げ出さずに勝機、活路を探る。
海馬の醸し出す雰囲気、殺気、怒気はイナミを震え上がらせ、行動を阻む。
イナミの脳裏に先ほどの海馬の言葉、その解がよぎる。
――『老いたる賢人は語らず、動かず、
――ピーク中の親父と違って、右手をギプスしてるし年の差もあるからって、甘かった。マジでレベルが違う。せめて
もし、この場にイナミに加勢があったなら。もしくは冒険心、挑戦心などで無鉄砲に命を投げ出したなら、海馬の悠々とした体制を崩すぐらいはできただろう。
だが、彼女にできるのはそれぐらい。
イナミは何よりもリスクを恐れていた。
身を削ること、命を失うことを恐れ膠着状態を維持していた。
空に浮かぶ為だけにカムイを使う。
やがて海馬が腕組みをして言った。
「イナミ。最近、
するとイナミは右手が震えた。海馬の顔は――満面の笑顔になっていた。
「相手は右手の指輪――婿とみた。痴話喧嘩か? 幕末の維新志士の詠んだ謳や、シェイクスピアでも似たような文句があった……人の世は人が面白くするものだ。はやく子を産めよ、子育ては面白いぞ」
かんらかんらと笑う海馬に、イナミは言った。
「余計なお世話。あとさ『問答無用』じゃないの? ……ちなみに祖父ちゃん含む家族は式に呼ばない。もうすぐ大里の姓じゃなくなる、縁もすっぱり切るから」
「ほっほー、当たりか。総家と旧皇従徒に、西条の娘を救出させる魂胆か。傑作だな、盤面と気が変わった。祝儀をやろう」
海馬は懐から財布を取り出し、イナミに投げつけた。イナミは受け取り、舌打ちをする。
「祖父ちゃん、お金で人を、勝負をどうにかしようなんてさ……ボケてる?」と言ってイナミは財布を懐に仕舞う。「ボケたまま、なし崩しで仲間になってくれると助かるんだけど。組織と家、そして国が手を組んで中井をやっつける……昔から姉貴はそんな展開が大好きだからね。それと若さを保つ秘訣とか」
笑いを吹き出すように、海馬は言った。
「ふふふっ、照れながら見栄を張りおる。だがボケたかどうか、カムイなり無刀の技で仕掛けてみろ……どうせその細い拳からは
イナミは右手で頬を拭った。汗と共に、血が流れていた。
驚く間も与えず、彼女に海馬は告げた。
「震氣の応用は多い。爺は右手が使えんからと勝機を見たか? 動かぬから何もしていないと思ったか? ならば刮目せよ、幕間劇の幕開けよ――‶狐、曰く化けるなり。障子に写る雲雀と蛙、春の朝にはいとおかし〟」
イナミの喉から、口から水分が抜けてしまうようだった。
――イズナの‶禁歌〟? いや、禁歌じゃ無い、言霊の呪術? そんなもん、私に効かないっての。
だが海馬は笑みを交えつつ、言った。
「‶謀り下手の
空中で風が吹く。
突風だった。イナミの全身を少しずつ切り裂く、風の刃。
そして響き渡る、海馬の声。
「イナミ、お前の悪癖は『安定感』だ。時代が変わっても
イナミは目を瞑ってしまった。
そして気付く。
――しまったあぁっ! あのジジイ! イズナを操るなんて!! くっそ! 脅しと話術、呪術でイズナを懐柔されたぁっ!!!
屈辱だった。
彼女の最大最後の武器、イズナのカムイは海馬に操られてしまった。
目を開けると海馬の姿は無くなっていた――
◇
同刻、青井市。
コンビニ前を占拠していたYAMATOのメンバーたちとシャオは息を呑んでいた。
志士徹の見えない速攻は、あらゆる人々を魅了していた。
構えからの正拳中段突き。
座り込む中井一麿に直撃すると、彼は上体をのけぞらせ血を噴き上げる。
だが両名ともすぐに元の体勢に戻る。
攻める徹。
受け止める中井。
見守るYAMATOとシャオ――シャオは呟く。
「‶エイドウ〟、私たち三人を……運んで……遠く、どこか、遠いところに……カズ兄、すごく喜んでるの……お願い」
それはカムイへの命令では無かった。
十代前半の、無垢な少女の純然な祈りだった。
一見して中井と徹の無意味のような意地の張り合いを、邪魔されたくないっという祈りに、エイドウのカムイは応えた。
徹、中井、シャオを影のような黒い闇が瞬時に覆い、地面に消えた――
◇
二分後、神居。
大里流海、百地健三郎、キリオ・ガーゴイル、対戦者の四名は未だに戦闘を続けていた。
四名の放つ発氣掌は龍となって乱舞している。
天根光子は疑似キーボードを叩くのも止めて、四名の戦闘を眺め、解説していた。アマツのカムイは勝手にデータを集め、流している――そう彼女は言ったが、理解できる者はいなかった。
光子の周囲には百地美鈴――さらには玉緒アキラ、十文字エイタ、宮田啓馬がいた。全員がそれぞれ違う情報を持ち、統合させるのは難儀だったが、そこにまた来訪者が現れ、光子は言った。
「あはは、重役出勤だねぇ……みんな、左を見て……あちらがルミチンの祖父、大里海馬。最凶の人間だよ」
彼女の視線の先を皆が見る。
戦っていた四名も、その手を止めた。
そこに舞い降りたのは、大里海馬だった。彼はブロンドの前髪を左手で上げて言った。
「なんだ、もう仕舞いか? せっかくの神居だ、もっとやらんと台無し」
「ドヘタな韻より頭下げろっ!!! クソジジイィィ!!!」
コトワリのカムイによって体が浅黒く、強靭になった流海が吠え、海馬に飛び掛かる。
空歩で間を詰め、さらに
ぼぎっ。
傍から見ていても海馬の一連の動作はゆっくりで美しくもあった。流海の骨が折れる音を連想してしまうほど光子の五感にうったえ、彼女は恐れから手で目を覆った。
美鈴が呟く声がする。「今、すごく嫌な音したような?」
宮田がはっきりと答えた。「
促され光子が手を離して再び見る――うずくまる流海と、その傍らに立つ海馬が居た。
祖父と孫娘であり、どちらかが弱者で強者でなければならない、いびつな関係。
光子は、息をついてから海馬を手招きした。
海馬は空歩で音も無く駆け、光子たちの眼前に降りた。
「やあ、久しぶり、オジイちゃ――」と光子が言った途端に、彼の視線が光子を睨みつけた。
光子は咳払いして言い直した。
「失礼しました、教主」
「許す。普通の敬称で呼べ……しかし、よってたかってようやく‶エンジャ〟のカムイと同レベルか。剛拳大会の予選はパスで良いが、もっと励まんか屑ども」
ふんと、海馬は鼻を鳴らして光子に背を向ける。
何も言わず、何もできないまま棒立ちしていた皆。
光子は視線を向けられ、笑いつつ言った。
「あー……ボク、幼児退行しそう。スズチンがいなけりゃ殺しに掛かってる」と光子は語り始めた。「海馬さんの言ったとおり、ボクたち間違ってた。これ、武芸試合の出場予選も兼ねてるの……つまり、日本政府に対する脅し、牽制、あの『毛むくじゃら』の成長、大会の予選と開催のための政府に対する訴え……一石二鳥どころか十羽ぐらい狙ってる」
「大会って」と美鈴が尋ねた。「さっきはヒカルさん、仲間を助ける計画だって言ってませんでした?」
「うん。それはボクたちの計画なのね……それはもう失敗したかも……海馬さん、仲間の命だけはどうか助けてほしいな……」
そう言って右手で疑似キーボードを叩き、左手に光球を作り、キリオ、美鈴、玉緒、エイタ、宮田、対戦者、そして流海に投げつけた。
全員の頭に光の球が入ったのを確認して、光子は言った。
「さっきからの作業で
全員の視線が光子の右を行く――ごう、と風が吹き、俊足で間を詰めた健三郎が玉緒アキラの背中に回りこみ、羽交い絞めにしていた。
「中井っ」と玉緒が叫ぶ。
派手に暴れこそしなかったが、声と表情が光子に危険を知らせた。
光子は内心から湧き出る、中井への復讐心を押さえる。
海馬は光子の代わりのように言った。
「で、その怪物と戦ってるのが志士徹。健気に見守ってるのが、シャオ……あの三名も予選通過だ。他にもおるぞ、色々と……流派も国籍も問わず神々に捧げるために、皇従徒を打ち負かすために、組織の底上げのために剛拳大会を開く」
大里海馬は大きく笑い始めた。
その笑い声は、正に老獪を含み、彼の顔に皺をはしらせた――。
K・A・I 2 秋澤景(RE/AK) @marukesu
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