第23話 最初の朝
伊澄との関係が清算された翌日、俺は習慣どおり起床し、そして妹を叩き起こした。文字どおり叩いて起こした。美咲は相変わらず、俺から奪ったシャツを寝巻に使っていた。
「妹を叩くなんて、兄の風上にも置けない人ですね、兄さんは」美咲は味噌汁を啜った。少しでも機嫌を取ろうという俺の浅はかな考えで、今日は和食だった。
「お前が起きないからだろ」
「でも、最初から叩くことないじゃないですか。声をかけて起きなかったのなら、叩かれても文句はないですけど」
「お前、今着てるシャツ、新しく奪ったやつだろ」
「今日のお味噌汁美味しいです! さすがです、兄さん!」
「というか、なんで俺の部屋で寝てたわけ?」
昨日、帰ってきてまず驚いたのは俺の部屋で美咲が眠っていたことだった。タオルケットを包まり、すやすやと寝息をたてていた。あまりのことで俺が間違えたのかと思ったけど、そんなことはなかった。
「昨日は疲れ過ぎていたんですね。お風呂でも眠ってしまいましたし、寝ぼけていたんでしょう。怒りましたか?」
「驚いただけ」
「兄さんは私のベッドで寝たんですか?」
「俺のベッドで寝たぞ。俺のベッドなんだから当たり前だろ」
「妹が寝ているのに……」軽蔑の目を向ける美咲。
「お前が悪い」
「まあそうなんですけど」
「そうそう、これ」俺はあるものを美咲に渡した。
「なんですか」
「下着」
「は?」
「昨日買ったんだ。きっとお前に似合うはずだと思う」
「サイズとかわからないのに?」
「大丈夫だ。兄の目を信じろ」
「気持ちの悪い目のなにを信じろというんですか……」美咲はそう言いながら、袋の中を確かめた。「どんぴしゃですね」
「マジで? 俺の目すげえ!」
「すげえ気持ち悪いです」
「褒められることはあっても、蔑まれることはないはずだ。感謝こそされど、軽蔑なんてもってのほかだろ」
「まあ、買ってもらったのは事実です。ありがとうございます」
「次も期待しな」
「もし次があるのなら、私も同伴しますし、できるのなら洋服を所望しますね」
もっともな意見だった。
話題は次へ移行する。
「お前さ、どうやって俺たちのこと知ったんだ?」
凛久には古本屋ネットワークがあったから、俺たちのことを知ることができた。しかし美咲にはそれがない。休日はよっぽどのことがないかぎりは家でダラダラと過ごしているのだから、外の情報が入ってくるはずがないのだ。地方テレビ局で俺たちが撮影されていて、それを視聴していたというのなら話は別だけど。
「愛と会ったでしょう?」
「あっ」
愛ちゃんの存在をすっかり忘れていた。いや愛ちゃん自体は憶えていたけれど、愛ちゃんと美咲の繋がりを失念していた。そして彼女は言っていた。情報は必ずどこかから漏れると。そのとき俺は……。
「よくわからないですけど、愛は怒っていましたよ。お兄さんが見つからないとか、兄さんから連絡が来ないとか」
その約束も忘れていた。
棗を誘導するんだった……。
「だから腹いせに兄さんの情報を流したってわけです」
「愛ちゃん……」
しかし愛ちゃんのおかげで、俺は助かったといえる。彼女が美咲に連絡をしなければ伊澄のもとへ向かおうとはしなかっただろうし、それがなければ凛久が美咲を見つけることもなかった。
なんだかんだで、いろんなところで繋がっているのだ。その繋がりが昨日や今日、明日を作っているのだろう。
「家族の繋がりとかで、お前は俺を見つけたんだよな?」
「そうですよ」
「なんで、すぐに気付かなかったんだ」
伊澄の家隣じゃん、と俺は言った。
昨日帰ってきてまず驚いたのが美咲のことだったのなら、あの帰ってくるまでに驚いたのが俺たちのいた秘密基地のことだった。なにを隠そう隣家である。伊澄がいつも俺の部屋に侵入するときに使っている家。ほんの数メートルしか離れていない場所だ。
それを仄めかしている要素は、たしかにあった。まずあの公園のことである。伊澄が最初にあの公園について話したとき、この家の近くだと言っていた。そして十年前のあの日、伊澄は親に言われて外に出てきた。子供の足では遠くへは行けず、近くの公園に来たのだと。これで俺たちの家が、近所であることが明白だ。気絶した俺を運べたことからも推測できる。
そして始めて伊澄が俺の部屋に来たとき、俺は向こうの家を見て不法侵入じゃないか、と伊澄に言ったが、伊澄はきょとんとしていた。あれは自分の家だったからだ。不法侵入なはずがなかった。
そのときに伊澄の家が隣だと気付けなかったのは、俺の中でいまだに整頓されていないことがあるからだ。俺は小学生のときにこの街を離れ、高校に通うためにこの街に戻ってきたけれど、もとの家に戻ってきたわけじゃない。俺が住んでいるのは明日夏さんの家だ。この感覚の整理整頓ができてないがために、ありもしないアルバムを探したりもした。
それに年頃の女子高生があんな薄着の部屋着で、街を歩くわけがない。
いろいろ考えなさ過ぎだった。
しかし伊澄の家といっても、今は住んでいないらしい。伊澄も小学生のときに引っ越し、今は別の家で暮らしている。あの家の扉が壊されても平然としていたのは、今は使っていないから。それにまだ古宮家の所有物で、伊澄が好きに使っていいと言われているようだ。だから鍵も持っている。
とにかく、俺が監禁されていたのは、家からすぐ傍だったということだ。
美咲はなんだそんなことか、と言わんばかりの顔だった。
「近すぎて気付かなかっただけです」
まあ、そんなところだろう。
そのときインターホンの音が鳴った。まだ七時である。
「誰ですか、こんな時間に」
「友達だな」
「……まさか」
「じゃあ、行ってくるわ」
「ちょっと兄さん」
「あ、そうだ」俺は思い出して、足を止めた。「昨日のお前の凛久に対する信頼っぷりを見て思ったんだけど、たぶんお前勘違いしてるぞ」
「なんです?」
「凛久は女だ」
「え? えええっ!」
妹の叫びを無視して、リビングをあとにした。
玄関の扉を開けると、伊澄が立っていた。
「おはよう」伊澄が笑って、挨拶をする。
「おはよう」
友達としての最初の一日が、始まった。
愛に罪なし恋せよ乙女 鳴海 @HAL-Narumi
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