第12話 騎士の宣誓と王女の選択

 ――騎士団員の包囲網をたった一人で切り崩し、短い眠りで時を過ごした翌日の早朝。グランは与えられた役目に従い、王女の寝室へと足早に向かっていた。

「これはこれは、スワード殿。そんなに急いで、どこに行きなさるのですかな?」

 途中、声をかけられて立ち止まって振り返る。そして、仮面を着けたまま心の中でため息をつきながら答えた。

「セフィア様のお部屋です。そろそろ起床なさるので、ご挨拶を申し上げに行かなければならないと思いまして」

「いやいや、そうでしたか。それにしても、貴殿のような騎士が無名だったとは――」

 昨日の移動時にもあったが、王城へ訪れる貴族や働く使用人たち廊下で声をかけてくるのだ。無名で騎士団長を下し、〈剣姫〉の弟子ということでもの珍しさに輪をかけているらしい。

「急いでいますので、失礼します」

「またの機会に、お話を伺わせてください」

「大変残念ですが、セフィア様を待たせるわけにはいけませんので…」

 表面上は丁寧に対応し、さっさと立ち去るの繰り返しを行って部屋に辿り着くのは夜明け頃になった。

 コン、ココン、コン

 周りに人がいないことを確認し、特徴的なノックを行った。

 決まりは無いのだが、セフィアに「その方が安心できるの」と頼まれたからだ。

(たぶん、警戒してるんだろうな)

 王族の暗殺や誘拐は、民衆に大きく動揺させることになる。警戒することに越したことはない。

(…あとは、心を許した相手を区別するためか?)

 正式に面会した時、試すような口調で問われたことを思い出す。それに応じた後、王女は子どものように話をせがんできた。

 後で最も付き合いの長いらしい侍女から聞いた話から鑑みても、彼女の素顔は自室に馴染みの深い従者と共にしか見せないことがわかる。

 手元にある情報を考察していると、ドアが静かに開いて侍女のアンリが顔を出した。

「入って」

 彼女は短い言葉と共にグランの手を掴み、有無を言わさない勢いで部屋の中へ引き入れた。

「…っと」

 突然のことに驚きながら、部屋に置いてあるテーブルの方を見る。もう一人の侍女が紅茶を淹れていたが、そこに部屋の主の姿はない。

 バルコニーを確認しようにも、遮るようにカーテンが風に靡いていて見えなかった。主の許可も無く奥へ踏み入れることはできないため、紅茶を淹れている侍女に仕方なく尋ねる。

「セフィア様は、どこに行かれたのですか?」

「姫様、スワード殿が来ましたよ。お茶にしましょう」

 侍女がバルコニーに向かって呼びかけるとカーテンに人影が映り、ヴェールを脱ぎ去るようにセフィアが現れた。

 すでに着替えをすませていたのか、彼女が身に纏うのは淡い色のドレス。彼女の亜麻色の髪や白い肌によく合い、カーテンを背に立つ姿は息をのむ美しさだった。たとえるなら人知れず咲いたネージュ草の花である。

「おはよう。今日も、色々とお話を聞かせてちょうだい」

 思わず見惚れていたグランは動揺を押し隠し、跪いて王族への最高敬礼をして答える。

「はい、命令とあらば」

「命令じゃなくてお願い。それと、敬語は禁止よ」

「……はい」

「お茶を飲みながら、お話ししましょ?」

(……やっぱり調子が狂うな)

 相手は自分よりも身分が上で、言葉の使い方には気を遣わなければならない。

「どんな話が聞きたいんだ?」

「そうね。じゃあ、北方に接しているの話が聞きたいわ」

 本来なら無礼にあたるはずの態度に、セフィアは嬉しそうに微笑んだ。

 最初に試された時は例外で、もし王城内の誰かに聞かれでもしたら反逆罪である。部屋の外の気配に注意を払いながら、められるままに話していく。

 王女は、城という籠の中に囚われた鳥。外への好奇心は強く、知識という線画の世界に色彩を欲している。

 彼女が満たされるまでに時間はかかり、日が高くなってから部屋を出ることを許された。

 コンコン

 イスから立ち上がったところでノックの音が響き、ドアへ視線を走らせながら主の傍らへと移動する。外にいる相手がれセフィアの命を狙っていれば、いつでも庇うことのできる位置だ。

「開いています。入りなさい」

 国民を統べる王族の仮面を着け、ドアの外にいる人物に入室を許可した。

 ドアを開けて部屋に入ってきたのは年配の侍女。彼女は一礼して顔を上げると、何かを恐れるように息を呑んだ。

「……スワード様もいらっしゃいましたか。…朝食の準備が整いましたので、緑原の間へお越しください」

「わかったわ。すぐに行くと、お父様に伝えなさい」

「かしこまりました」

 侍女が出て行った次の瞬間、セフィアは立ち上がった。それが合図となったのか、部屋の隅で控えていた侍女たちが動き出す。

 小柄なアンリは可動式の姿見を置き、亜麻色の髪を慣れた手つきで結い上げる。そして、最後にドレスに合わせた銀製のアクセサリーが胸元を飾った。

 僅かな時間で、王族に相応しい威光を身に纏う。侍女たちの手際も鮮やかだったが、彼女自身が生まれ持った素質にグランは内心で感嘆した。

(…さすがは王女様。俺とは住む世界が違うな)

 子供のように自分に話をせがんでいた少女が、まるで別人のように見えてしまう。それほどまでに、セフィアの仮面は完璧だったのだ。

 おそらくは王城という謀略が渦巻く場所で育ったため、それに屈することのないように磨かれてきたのだろう。

「セフィア様、身支度ができました。いかがでしょう?」

 侍女に尋ねられ、姿見に映る自分を何度も確認した。

「問題無いわ。これなら、誰に見られても大丈夫そうね」

 部屋より外は、仮面を剥がすことも剥がされることも許されない世界。その入り口であるドアを開き、グランと最も付き合いの長い侍女を連れて歩み出た。


 セフィアが王城の中を歩けば、使用人たちは道を開けて歩みを止めた。王女を前に頭を低くし、グランに対する好奇心は息を潜めてしまう。

(…普通に歩くくらいなら、大丈夫なのよね)

 悠然と歩いているように見える王女だが、緊張の糸を途切れさせないように気を張っているのだ。

 緑原の間は、階段を上って少し進んだ場所にある。

 部屋の前で控えていた使用人によってドアが開けられ、付き添いの二人と共に中へと踏み入れた。

「お父様、おはようございます」

 スカートの裾を摘み、席についている国王に向かって会釈する。偽りの微笑みを添えるのも忘れなかった。

 血縁上の父親とはいえ、彼も王族としての振る舞いを押し付けてきた一人。決して素顔を見せようとはしない。

(…相変わらず、お父様は泰然としているわね)

 心の中に浮かんだ嫌味は口に出さず、自分の席に座りながら胸にしまう。

 セフィアは彼を国王として尊敬する一方、父親としては嫌っていた。その想いは心の内に秘め、幼馴染みの侍女にさえも話していない。

 一緒に食事することさえも避けたいが、不仲を噂される面倒と背負っている義務があるので拒むことができないのだ。

「お父様、スワードの話は心惹かれることばかりです。しばらくは、楽しみが尽きそうにないわ」

「放浪の旅に出ていたらしい。だからこそ、我らが知ることもできない物事を知っているのであろう」

 食事中に適当な話題を出してみると、国王は厳格な口調で返してきた。会話を楽しもうとする気は無いらしく、それ以上は何も言わずに食事の手を進める。

「はい、何もかもが新鮮です」

 いつものことで慣れているのか、セフィアは気にした様子も無く食事を再開した。

「グラン・スワード」

 食事を終え、侍女たちが食器を片付け始めると声が厳かに響いた。

 名を呼ばれたグランは即座に跪き、腰に吊っていたサーベルを杖のように立てる。

「昨晩、何者かが王城に侵入したらしい。騎士団が捕らえようとしたが、力及ばず取り逃がしてしまったようだ」

 王の口から語られることから思い当たるのは、騎士五人の強襲を受けて返り討ちにしたことぐらいだ。聞いた内容と事実の食い違いから、冷静に一つの真実を導き出す。

(…王族付きの騎士を襲ったとなると問題になるから、賊が侵入したことにしたのか)

 騎士団が事実を揉み消したのであれば、それに乗る方が好都合だと考えて言動を選択。

「……何か騒ぎがあったことは知っていましたが、賊が騎士団を相手に逃げ切ったのですか。…相手は相当の手練れと見た方がよさそうですね」

 俯いたまま深刻さを訴えるように演じると、国王は重々しく頷いた。

「そのようだ。…ゆえに、気を引き締めてセフィアの護衛に当たってくれ」

「御意。この身に剣を授けし神々に誓い、誓約をまっとうさせていただきます」

 下された勅命に、自分の枷となることを知りながら宣誓を添えて応えた。

 そんなグランに対して感慨を受けず、自分の娘へと視線を移す。

「それから、セフィア」

「はい、お父様」

 父に呼ばれて返事をし、手に持っていたティーカップを置いた。

「三日後、辺境の孤児院へ慰問に行ってもらう。道中には、騎士団も護衛に付くので安心するといい」

 セフィアの胸に澱みのようなものが広がった。騎士団が護衛につくということは、彼女が最も嫌悪しているアルバートも共に来るということでもある。

 しかし、それは磨き上げてきた仮面によって表出する前に押さえ込まれる。

「喜んで、その役目を引き受けさせていただきます。…しかし、一つだけ申し上げさせてもらってもいいでしょうか?」

 彼女の言葉を耳に留めた侍女たちが動きを止め、まるで恐ろしいものを見るかのような視線を自分たちが仕える王女へと向けた。

 父親に従順な娘を演じていても、心の内では常に反抗しているのだ。機会があれば、牙を剥いて威嚇してもおかしくはない。

「スワードは、我が国が誇る騎士団の筆頭を倒す実力の持ち主。そして、かの有名な〈剣姫〉の弟子です。彼が守護してくれる以上、他の騎士が私の護衛につく必要はありません」

 一つ一つ言葉を流れるように紡ぎ、その身に培ってきた威光を思うがままに振るった。自分の願いを通すためなら、それ相応の器量を示すしかないからだ。

「もし私の護衛に人員を割いて民が脅かされることがあれば、それは私たち王族の怠慢と言うべき事態ではありませんか?」

 王族としての責務を第一に考えるのであれば、それを説得の材料として引き出すべきだと判断しての言動。自分の器量を先に示した上で、あえて問いかける形で相手の器量を試した。

「……なるほど、そなたの言い分はよくわかった。…グラン・スワード」

「はっ」

 セフィアが実の父親を挑発していることに気が付いていたグランは、冷や汗をかきながら国王の呼びかけに身構える。

「そなたの意見を聞きたい」

 国王の命を受け、彼は少し迷った末に正直な意見を述べることにした。

「……セフィア様が、そこまで自分に期待していただけることは光栄です。しかし、この身には少し荷が重いことは事実」

「なるほど、ならば騎士団も護衛につけた方がよいと?」

 早々に結論を出そうとせずに続きを促してくることに安堵し、自分の言葉に主が眉をひそめていることに気が付かないふりをして提案した。

「いえ、騎士団から人員を二、三人ほど割いていただくだけで充分です。これが最低限の人数で、姫様の希望にも沿うことができると思いますが…」

 セフィアの心中は察していても、騎士団の面子を潰して関係を悪化させるわけにはいかない。そんな私情を混同しながら、最大限の譲歩をした上での提案。

「ふむ……。セフィア、そなたが信頼する騎士の意を聞き届けたか?」

「………はい、一言一句漏らさずに」

 答えるまでの間が、彼女が納得していないことを示していた。

「ならば、そなたの意見を改めて聞かせてもらいたい。騎士団から三人を選抜し、護衛としてつけるか否か」

(……立場が逆転ね。まさか、スワードに意見を求めるなんて考えもしなかったわ)

 当初の予定では父に王族としての器量を示させ、それによってアルバートを筆頭とする騎士たちを拒むつもりだった。しかし、それが呆気なく瓦解してしまった以上はあきらめるしかない。

 自分が渡り合える器量を持っていない現実を突きつけられ、澱んだ心中でため息をつきながら選択した。

「スワードの意見を尊重させていただきます。……騎士団から護衛を選抜してください」

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王女と異端の騎士 瀧野せせらぎ @25019563

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