第5話「最後の」

「なー、大慈恩寺行こうぜ。都一高い仏塔を見たいって行ってただろ」

「……」

「都の甘いものを制覇するって言ってたじゃんよ。まだ一個も食ってねえぞ」

「……」

「新しい簪欲しいんだろ? 見に行こうぜ」

「……」


 男が出て行って一週間が経った。

 あの日、必死に妹を慰めようと声をかける兄に、佳蘭からんは泣きながらも言ったのだ。

『そんなんじゃないの。でも、本当に綺麗な人だったから、ちょっと憧れちゃったの』

 だから今は少しだけ、ほおっておいて欲しいと。ちゃんと立派に嫁いで見せるからと、潤んだ目で、無理矢理な笑顔を見せて。


「はあ……」

 手を入れる者がいなくなり、少しずつ進んでいく庭の荒廃を止めるべく、今は柏邑はくゆうが箒を動かし、枯葉を抜く日々である。

 せっせと箒を動かしながら目を巡らせると、池の畔にしゃがみこむ妹の後姿が見える。まさか飛び込んだりとか――ないよな、気ぜわしく様子をうかがっていくと、水面に波紋が次々と広がっていくのが見えた。胸がしめつけられる思いがして、思わず箒の手を止まる。

 すると裏門を控えめに叩く音が聞こえた。気のせいかと思ったが、止まない音がそれを否定する。この家の関係者かな、と思いつつ 門を開けた柏邑の手から、箒が転げ落ちた。


「おまえ……」

「お久しぶりです」


 幾分か身奇麗になった件の男が、柏邑を見るなり、深く深く腰を折った。

「あの、都名物を色々、買ってきたんです。みんなで食べませんか?」

 突拍子もない言葉に、柏邑が唖然としていると、男ははにかんだ笑顔を見せ、

「その節は、本当に、お世話になりました。ご恩になんとか、報いたいと思ったんですけど、僕には本当になにもなくて……。だから、一週間分の給金で、都名物、買ってきました。正午の開店に間に合うように、帰らないといけないので、あんまり、いられないんですが」

 息があがっており、言葉が妙なところで切れた。久々すぎて緊張してんのか? そう思った柏邑の目の前で、彼の額から汗が流れ落ちた。


 まさか走ってきた? あの無気力男が。


 柏邑は有無を言わさず男を中に引っ張り込むと、急いで門を閉じる。そして、

「おい佳蘭!」

 穏やかな秋の日に似つかわしくない兄の大声に、佳蘭の小さな背中がビクッと反応し、ゆっくりとこちらを振り返る。その表情が、たちまち驚愕に、やがて愛らしい笑顔になる。

 そして二人は、階段に揃って座った。段違いに座った二人の間に、男が持ってきた色々な包みと、佳蘭が用意した茶が置かれている。

「庭仕事途中だし、俺は後でもらうよ」

 柏邑はそう言って、再び箒を手にしていた。

「これは粽子ちまき。僕が子どもの頃から通った店のもので、もち米に干した果物がたくさん入っています。いろんな果物の甘さが絶妙にかみ合った絶品です。これは一日五〇個しか販売しない限定品なんですよ」

「限定って、もしかして並んだり、とか?」

「開店前から」

「そんな貴重なお菓子! 嬉しい」

「こっちは酥餅クッキー。僕イチオシの張華楼のです。上等な蜜をたっぷり使っているので、濃厚だけどしつこくない上品な甘さと、口の中でホロッと崩れる食感がお気に入りなんです」

「どれも美味しそう。どれからいこうかしら」

「どれからでも」

 久々に聞いた佳蘭の弾んだ声に目を向ければ、これまた久々に見た、子どものように嬉々として酥餅を手にしているものだから、思わず笑ってしまう。

「うわ甘さが上品。それに凄い、この口どけ」

「でしょう? どうぞもう一枚」

「ありがとうござい……」

 語尾が消えた。新たな酥餅を手にした佳蘭は、急に目を伏せ、肩を振るわせている。傍らの男が優しい目を佳蘭に向けながらも、その口元は震えているようだった。しかし口角をあげると、傍らの茶を佳蘭に差し出す。

 佳蘭の目から涙が零れ落ちた。彼女は泣きながら、手にした酥餅を再び口に持っていく。「本当に、おいしい、です」かすかな声。

 ついっと目の前を番の赤とんぼが飛んだ。目で追ううち、しだいに頭があがり、雲ひとつない空の青さが目に染みた。目の端で眩しく光る太陽に呑まれたかのように、とんぼの姿はやがて柏邑の視界から見えなくなった。

 


(終わり)


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笑一笑 天水しあ @si-a

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