デュアル・ブルー

藤枝志野

1

 振りかざされた腕をくぐって脇腹に一撃。さらに踏み込んで腋を斬り上げると、泥人形のようなそれはあっけなく霧消する。薫はナイフをホルダーに収め、へたり込んでいる女性を助け起こした。怪我をしている様子はないが、荷物を守るように抱えた腕は震えている。


「もう大丈夫です。怪我はありませんか?」


 女性が何度も頷いて感謝を口にした。耳の後ろで一つに束ねられた髪が揺れる。ふらつきながら立ち上がると、背丈は薫よりも顔半分ほど低かった。


「無事でよかった。そこの階段なら安全です」


 動けるかとの薫の問いに、女性がはっきりとした声で応える。走ってゆく背中を見送ったその時、マスクに内蔵されたスピーカーが叫んだ。


「副隊長!」


 振り返りざまに抜いたナイフで薙ぎ払う。それは仰向けに倒れつつ、断末魔もなく消えた。


「助かった」


 駆け寄ってきた伊織が小さく頭を下げる。マスクと戦闘用スーツは薫のものと色違いでほぼ同型。手には光線銃を持っている。


 平日朝のショッピングモールの二階、客や従業員は既に多くが避難しているという。聞こえるのは明るく呑気なBGMぐらいだ。ひっくり返ったベンチ、その脇で土をぶちまける観葉植物。商品は床に転がり放題、食器の類は粉々になっている。


 基地から入った報告によると出現した〈ミラージュ〉は一五体、そのうち一体を除く全てが最下級の〈蜃気兵〉だという。薫と伊織は六体を撃滅し、本班からは八体を倒したとの連絡が入っていた。


 下っ端は手間取ることなく仕留められる、だが。薫は油断なくフロアを見回した。倒れたマネキンの着るワンピースが風で微かに揺れる。――風?


 直後、足が浮いたかと思うと体が床を転がっていた。薫は壁の陰へと身を翻す。背中が鈍い呻きをあげる。突風だった。


「無事か」

「はい」


 商品棚の陰から伊織が頷いた。


 前方をうかがえば、フロアの端に二メートルを軽く超える影がそびえていた。様々な色がぶつかるマーブル模様。胴体から生えた頭部と手足はいずれも螺旋を成している。


「――こちら別動班」


 薫は通信を飛ばした。


「二階第四エリアにて〈蜃気獣〉を発見、交戦する。風を吹かす曲者だ」


 急行するとの応答の後、光線銃を抜く。


「先に出ます」


 伊織が言った。


「分かった」


 咆哮する〈蜃気獣〉を源にして風が一陣、床に散らばる物どもを弄ぶ。その余韻を裂いて伊織が駆けた。トリガーが引かれ、光が狙いを過たず頭部を穿つ。薫も撃ちながら距離を縮めてゆく。巨体が揺らぎ、傷から粘り気のある体液が流れた。


 さらに攻撃を加えようと踏み出した時だった。螺旋の両腕がおもむろに掲げられ、


「伏せろ!」


振り下ろされる一瞬前、薫は床に身を押しつけた。何かが頭をかすめて飛ぶ気配。数メートルほど後方から重い響きが床を震わせ、そして沈黙する。


 〈蜃気獣〉の姿は消えていた。腕時計型の端末を確かめるが反応はない。


「あれは……」


 立ち上がった伊織が呟いた。薫もバイザー越しに認め、わずかに眉根を寄せる。壁が大きな刃でえぐられたかのように砕け、崩れ落ちていた。


 辺りには明るい音楽だけが響いていた。



     ×



 扉に掛けた看板を「closed」から「open」にひっくり返し、陶子は伸びをした。数日続いた雨が去り、高い空が現れている。


 秋限定のナッツ入りケーキはなかなかの好評だ。当初よりも多く用意するようにしたものの、閉店を待たずに品切れという事態が一度ならず起きている。その一方で、シフォンケーキやプリンといった定番のメニューも、リピーターを中心に安定した人気を保っている。


 CDプレーヤーの電源を入れれば、天井のスピーカーからピアノとベースが流れだし、部屋をゆるやかに満たしはじめる。食器を拭きながら、クリスマスに向けたメニューに考えをめぐらせた。ブッシュ・ド・ノエルをイメージしたロールケーキにしようか。チョコをたっぷり使うのもいいかもしれない。


 カップを棚に戻す。この時間に来る客はほとんどいない。しかし陶子は、はたと動きを止めた。ピアノとベースに紛れてエンジン音が近づいてくる。グラスを用意した時には店の前にバイクが停まっていた。思わずゆるんだ頬を見られまいと、陶子は軽くうつむきつつカウンターを出た。


 シートの下にヘルメットを収め、客は落ち着いた足取りで入ってきた。木製のチャイムが鳴る。朝から現れる客はほぼいない――この人を除いては。


「こんにちは」

「やあ。久しぶりです」


 グローブを外しながら薫が椅子にかけた。入口に近い、店内を見渡せる席だった。


「今、秋限定でナッツケーキを出してるんです。前にいらっしゃった時はなかったと思うんですけど……よろしければどうぞ」

「おいしそうですね。頂きましょう。それと、」

「アイスのカフェモカ、ですよね?」

「はい。……覚えられてしまったな」


 薫が肩をすくめ、唇の端をそっと上げた。少し気取っていて、しかし子どものような無邪気さがのぞく笑み。陶子は顔が微かに熱くなるのを感じて、そそくさとキッチンに向かった。チョコレートソースは多め、と心の中で唱える。


「そういえば少し気になってたんですが」


 薫が言った。


「なんでしょう?」

「店の名前、何か由来があるんですか?」

「ああ、まだお話ししてませんでしたね。――二年前にS町のショッピングモールが襲われたこと、覚えてますか?」


 薫が一つ頷いた。


「あの頃は注意の呼びかけもあまりなかったでしょう? 私も他人事みたいに思ってたんです。そしたら買い物中にいきなり現れて……覚悟しました。本当に殺されると思って。

 でも、その時助けてくれた人がいたんです。とってもかっこよくって……その人が青っぽい服だったので、アズーロ。単純ですよね」


 陶子は眉尻を下げて笑った。笑いつつ、心の中で首を傾げる。薫の眼差しがわずかに揺らいだ気がした。


「それは――大変な目に遭いましたね」


 目をわずかに伏せたまま薫が言った。


 盆を手にカウンターを出ると、陶子の目は薫の横顔に吸い寄せられた。なだらかな弧を描く眉、くっきりとした二重まぶたの切れ長の目。どことなく勝ち気そうな品の良い鼻筋に、ふっくらとした唇。


「確かイタリア語でしたね、『アズーロ』は」

「はい、そうです」

「良い響きですね。――私も青は好きだ」


 薫の声色が優雅な柔らかさを帯びる。陶子の手が微かに震え、皿とテーブルが小さな音を立てた。


「ありがとう」

「どうぞ、ごゆっくり」


 陶子は盆を片付けると、カウンターに背を向けてスツールに座った。薫がフォークと口を動かすのを、視界の中心から少しずれたところで見守る。ナッツケーキは既に小さくなり、カフェモカも氷が溶けるのを待たずに半分ほどがなくなっていた。少し早食いなものでね、という、いつかの言葉を思い出す。


「しかし、寒くなりましたね」


 フォークを置いた薫が、窓の向こうの二五〇ccに目をやった。


「そろそろあれがご機嫌斜めになる」

「ご機嫌斜め、ですか?」


 陶子は瞬きをする。


「寒いとエンジンがかかりにくくなるんですよ」

「へえ、知りませんでした。乗ったこともないし、そもそも免許がないし……。乗ってる人を見るとかっこいいと思うんですけど、どうも怖そうで」

「ふふ、なるほど」


 薫は背もたれへ体を預けた。


「乗ってみますか?」

「えっ?」

「二人乗りです。暖かくなったら花でも見に……嫌ならいいんですよ」

「嫌じゃないです、ちっとも」


 陶子はあわてて両手を振った。


「あの、薫さんさえよければ是非……その日はお店も休みますから」

「分かりました。では約束ですよ」


 その時、電子音が小さく鳴った。短く詫びた薫がポケットから携帯電話を取り出す。


「――伊織か。どうした? ――」


 陶子は足早に店を出る薫の背中、それから空になったナッツケーキの皿をながめた。交互に並んだ青と黄色の水玉が白地を一周する図柄。あの日ショッピングモールで一目惚れして買ったものだ。


 ほどなくして薫が戻ってきた。しかし椅子には座らず、代金ちょうどをテーブルに置く。


「ご用事ですか?」


 陶子は尋ねた。


「ええ、急なお誘いが」


 ライダースジャケットに袖を通しつつ薫が言った。口ぶりはどことなくおどけて、しかし声色は鋭い。


「そうなんですね……。また来てくださいね。お待ちしてます」

「ああ。早いうちに」


 薫が扉を開ける。


「ごちそうさま、陶子さん」


 ひらりと手を振り出てゆく彼女を、陶子は微笑して見送った。



     ×



「〈蜃気獣〉はBタイプ、体長およそ三・四メートル」


 基地からの通信が入る。


「〈蜃気兵〉は推定十三体。皆さんはあと十分ほどで着くそうです」

「了解。こっちも同じくらいだ」

「オフなのにすまないとリーダーが。――くれぐれも気をつけて。情報が入り次第また連絡します」


 ぷち、と音がして、スピーカーが黙り込んだ。


 ハンドルを切り、林を抜ける細い道に入った。人の姿が見えないことを確認してから、速度を保ったまま立ち上がる。


「さて、お着替えだ――着装!」


 左手に右手を添えて突き出すと、声を認識した端末から光の粒子が放出された。それは人ひとりが収まるほどの輪を形成する。薫が輪を通過するその一瞬で着装は完了した。化学繊維をベースに特殊金属で強化された戦闘用スーツが身を包む。ベルトに通された二つのホルダーには、それぞれ光線銃と大型ナイフ。フルフェイスのヘルメットは、より軽く頑強なマスクに変わる。


「ここで会ったがなんとやら、か」


 シートに座り、ギアを上げる。


 〈蜃気獣〉Bタイプ、通称〈風使い〉。


 青いマスクの内側で、薫は唇の端をそっと上げた。




 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デュアル・ブルー 藤枝志野 @shino_fjed

★で称える ヘルプ

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ