第2話後編

 翌日、里奈がカフェに来てみるとお気に入りの席は空席だった。

周囲を見渡し、あの失礼な男がいないことを確認すると、ささっと席に着席した。

「 あっ、くそっ!」

 後ろから男性の悔しげな呟きが聞こえた。

あの男の声だ。

「早い者勝ち、という話でしたわよね? ……中村くん!」

 わざと上品な口調で話したが、勝ち誇った不遜な顔をしていたので

淑女としての上品さに欠けている里奈であった。

「なんでオレの名前……」

 驚いている男を横目にしながら、黙って胸元をつんつんと指差す。

そこには男が通う会社で使用するネームプレートなのか

『中村 明人』と明記された名札をつけたままだ。

慌てて来たので、会社で外し忘れたらしい。

すぐに名札を外してポケットにしまった中村であったが、すでに時遅しである。

「速やかに他の席に移動されたら?な・か・む・らくん!」

 中村は悔しそうな顔をしながら、黙って引き下がり別の席へと移動した。


 またある日、残業に少しばかり時間をとられた里奈が慌ててカフェに向かうと

お気に入りの席は、あの男『中村』が先に座っていた。

中村は里奈の姿を確認すると、コーヒーカップを仰々しく口元に運ぶ。

「う~ん、良い香りだ。

 勝利の後のコーヒーはまた格別だな」

 などと、おどけてみせる。

今度は里奈がやり返された、というわけだ。

またある日は……。

 

 そんなことを繰り返しているうちに、やがて二人はお互いの『戦況報告』を

自慢するために隣同士の席に座るようになった。

二人の『お気に入りの席』とその隣の少し壁よりの席の二席で、

男女二人で肩を並べ合わせるという形になる。

しかし、二人の会話に年頃の男女の艶っぽいものなど無縁であった。

「今日は遅かったじゃない?中村くん。

 仕事何かミスしてそれをもみ消すために奮闘していたとか?」

「アンタと同じにしないでくれないか?

 俺は責任ある仕事を任されているんでね」

 中村はせせら笑った。手にしていたコーヒーカップが軽く揺れる。

「アンタじゃないわよ、私の名前は佐伯里奈っていう

 立派な名前があるんですからね」

「ふ~ん、里奈ちゃんか。

 いっそ『リカちゃん』のほうが良かったんじゃないか?人形みたいでさ」

「うるさいわね!それより、『ちゃん』なんてつけないでくれる?気味悪いわ」

「君だって俺のこと『中村くん』だなんて呼ぶなよ」

「じゃあ、『中村』でいい?下の名前を呼ぶのは何となく気持ち悪いし」

「おいおい、呼び捨てかよ……」

 中村はため息を漏らしたが、里奈の言葉を停めなかった。

「んじゃ、俺は『佐伯』って呼ぶかな。それなら妥当だろ?」


 二人で攻撃し合うような会話をしながら

仕事後のコーヒータイムを楽しむ『中村』と『佐伯』の二人であった。


 それから二人は互いにどちらが席を早く取るかで競争しながらも

その後は賑やかに会話するのが常となった。

 中村のことは今でも失礼な男と思う里奈であるが

彼との気取りのない会話そのものを楽しむようになっていた。

いつしか、心の奥底に溜まっていたどんよりとしたものも

最近は感じなくなってきていたことに気づきはじめていた。

 少しでも早くカフェに行くため、テキパキと仕事をこなす里奈。

ミスをして落ち込んだ状態のままカフェに行けば、中村に気が付かれ

また小馬鹿にされたことを言われかねない。

 そう思うと仕事への集中力が増し、自然と仕事上のミスも減った。

そんな里奈の頑張りを見て同僚や先輩は囁いた。

「男よ、きっと彼氏ができたんだ……」



          ◇


「なんか今日は元気ないじゃない、中村?」

 中村得意の毒舌があまり発せられないので、里奈は気になって聞いてみた。

なにか思うことでもあるのか、先程から眼をつぶってばかりいる。

「ん~。よくある話だけど仕事でちょっとね。女の上司とそりが合わなくてさ」

「女性の上司なんだ。うちの会社にはまだ少ないな。せいぜい『主任』止まりね」

「俺のとこの会社は外資系だからね。男女差別なんてない世界だから、

女でも有能であればどんどん出世していくんだ」

 そこで大きな溜め息をもらした中村の態度を見て、里奈は思い付いたことを

ためらわずに口にする。

「ひょっとして『女の上司なんて冗談じゃない!』

……なんて思ってるんじゃない?」

 中村の顔が一瞬固まった。

それを見逃す里奈ではない。

「あ~やっぱりね~。中村って女性差別っていうか、女性を嫌っているのを

感じたもの。最初の頃の私への態度も、女性上司への鬱憤を晴らしていた

というわけね?」

「……」

 中村は押し黙っていたが、それがかえって真実であることを

里奈に教えているだけの形となった。

「いや、別に女性の上司がダメってわけじゃないんだけどさ。

なんで女ってああヒステリックに叫ぶかな?と思っててね。

 部下が何か少しでもミスすると、すごいんだよ。ヒステリーが」

「あら、それは男の上司だっているじゃない?

『女のクセに』っていうのイッパイいる。

だからきっと人によるのよ。男とか女とか関係ないのね」

「たしかにそれは一理あるかもなぁ……。

 佐伯とこうして話してると、俺もどこかに偏見があったのかもって思うよ。

ホントに」

 中村もまた里奈との会話を楽しんでいるようであった。


 仕事後のカフェでの交流を楽しんでいた二人だったが

ある日、その日常が崩れることになる。

中村がカフェに来なくなったのだ。

 カフェのお気に入りの席で景色を眺めながら大好きなカフェラテを飲む。

それに十分満足していたはずなのに、どこか物足りない。

「仕事で大ミスをしたか、それとも私とこうして過ごすのが

ダメな理由でもできたか……ってとこよね」

 自分と二人で話すのがダメな理由。

それは一つしかない。

彼女、つまり恋人ができたということだ。

それを考えたとき、里奈の心にすぅっとすきま風が吹くのを感じた。

暖かなカフェラテを飲んでいるのに、体がどこか冷たい。

中村と里奈は何の関係もない、ただカフェで話すだけの二人なのだから

中村がわざわざ里奈に『彼女ができたんだ』などと話す必要はないかもしれない。

しかしせめて「コレで最後だね」ぐらいは言ってくれてもいいではないか。


「お客様、よろしかったらもう一杯いかがですか?」

 いつも里奈の注文を確認してくれるウェイトレスが声をかけてきた。

「いつも御愛顧に感謝して、お代わり分はサービスさせていただきますから」

 どことなく元気のない里奈を心配しての気遣いであったかもしれないが

今はその心配りが心に沁みる。

「ありがとう……」

 サービスでいただいたカフェラテを飲みながら、一人心のなかで呟いた。

「バイバイ、中村くん……」


 里奈はその後もカフェに通った。 

中村との再会を期待する気持ちがないわけではなかったが、それだけが

目的ではない。

カフェのスタッフたちと話すようになったからだ。

話すといっても、あくまで店側とお客との日常会話程度の話であったが

それでも少しばかりの会話を楽しみながら、景色を眺めていると

やはり心が落ち着く。

何より、ここのカフェラテは本当に美味しいのだ。


 そんな光景がまた日常になりつつあったある日。

いつもの通り里奈がカフェに行くと、お気に入りの席に男性が座っていた。

まさか……。

人違いであってはいけない。

席を探すふりをしながら、そっとお気に入りの席に座る男の顔を確認してみた。

 中村である。

髪が少し伸びて以前よりもだらしなさが出てはいるが、間違いなく本人である。

「中村……。あなたもう来ないつもりだったんじゃ……」

「いや、そういうつもりじゃなかったんだけどね。

佐伯と話しているうちに俺もいろいろと思うところがあってさ。

仕事で自分なりに心機一転で頑張ってみたんだよ。

そうしたら、例の女性上司が俺のことを認めてくれてね。

大きなプロジェクトを任されたんだよ。

んで、それが忙しすぎてココには来れなかったってわけ」

「私は中村が仕事で大ミスをして、会社をクビになったと思ってた。

もしくは大事な人でもできたかな…って」

「おいおい、俺はクビにされて逃げ出す男だと思ってたわけ?」

「そうじゃないけど……。少しぐらい顔を出したって良さそうなものじゃない?」

 里奈は目頭が熱くなってきているのを感じていた。

 私ってば、こんなヤツにまた会えたからって感動してる……。

「ん~?? 佐伯さんってば俺に会えて嬉しくて泣いてらっしゃるの?」

 中村が茶化すように話す。その態度は以前の中村となんら変わりがない。

「違うよっ! ビックリしてコンタクトがずれちゃっただけ」

 里奈は必死に誤魔化したが、涙ぐんだ眼を隠し通すことはできなかった。

「アンタがそんな顔するなんてな。てっきりヒステリックに

わめき散らすと思ってたから、こちらもどうやり返してやろうかと

あれこれ思案していたんだけど。なんか、なんも言えなくなったよ」

 中村は苦笑しながら、頭を掻いている。

どう反応したらいいのかわからないようだ。

「ヒステリックに叫ばなくて悪かったわね。

私もあれこれ言ってやりたいことがあったのよ。

でも、久しぶりに中村の顔を見たらほっとしちゃってなにも

いえなくなっちゃった」

 二人の目が合い、自然と笑みがこぼれた。

「なんか似たもの同士だな。俺たち」

「そうね、そうかも。中村と一緒にされるのは悔しいけど」

「最後の一言が余計なんだよなぁ、佐伯は」

 中村は立ち上がり、『お気に入り』の席に里奈が座るように示しながら

気取って語りかけた。

「では再会を祝して。前みたいに隣同士で話さないか?」

 里奈も負けじと気取って答える。

「そうさせていただきますわ。中村さん」

「では御無沙汰のお詫びに、コーヒーでもご馳走させていただこうかな?」

「あら、私の好きなモノはカフェラテよ。

 コーヒーじゃなくてカフェラテをおごってよ」

「やれやれ、黙ってご馳走されるもんだろ。女なら」

「それは聞き捨てならないわね。女は自分の希望を言ってはいけないの?」

「いや、そういうことじゃなくてだな~」

 そんな馬鹿げた会話を交わす二人を、カフェのスタッフは暖かく

見守っていることをふたりは知らない。

 

 中村とのケンカのようなおかしな会話をしながら

こんな関係の二人も悪くないなと里奈は思った。


 この先どうなるか、それは私にもわからないけれど。



            了


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カフェラテ紛争 蒼真まこ @takamiya777

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