ネットで小説を公開するという行為はマイナスでしかないという話

久佐馬野景

ネットで小説を公開するという行為はマイナスでしかないという話

 小説投稿サイトというものは、実に便利なものです。

 自分の書いた小説を、インターネットで公開することによって不特定多数の方々に読んでもらうことができる。

 勿論、個人ホームページや匿名掲示板で公開するのもよいでしょう。ただ、小説投稿サイトはその名の通り小説を投稿することに特化していますから、ホームページ作成などの知識がなくとも、画面の指示通りに進めば簡単に小説を投稿することができます。

 さて、『読んでもらうことができる』と言いましたが、これは実は、一部の方のみの特権です。

 普通に小説を書いて、普通に投稿して、普通に気の向くままに更新している人の大多数は、まず、読まれません。

 いえ、データ上は読まれていることも多いのです。PVを見れば、誰かが自分の作品に目を通してくれたということがわかります。これは本当に嬉しいことなのですが、その実感を得ることはなかなかに難しいことでもあります。

 PVはあっても、反応はない。さらに悪い場合には、PVすらないこともあります。

 こんな状態が長く続けば、人は腐ります。

 質問です。「何が楽しくて小説を書いているのですか?」

 私はこう答えます。「小説を書くことが楽しいから」

 では次の質問です。「何が楽しくてネットで小説を公開しているのですか?」

 私は回答に窮してしまいます。

 小説を書くということは、本当に楽しく、心躍る行為です。

 ところができあがった小説をネットで公開すれば、何の反応も得られません。あれだけ楽しかった行為の締めくくりとして行ったネットでの公開。それが、今までの楽しさを全て否定するような結果として返ってくるのです。

 そしていつからか、小説を書く楽しさを、反応のないむなしさが上回っていってしまうのです。

「反応がない」というのは様々に言い換えることができます。PVが伸びない、評価が増えない、感想がもらえない、ランキングが上がらない――。

 そのむなしさを味わってしまえば、小説を書いている時の楽しさすら、いつの間にか失われていってしまいます。

 では――とお思いでしょう。何故お前は、今もネットで小説を公開し続けるのか、と。

 それは、反応をもらえたことが、涙が出るほど嬉しかったからです。

 長年小説を公開し続けていれば、何らかの形で反応はもらえます。絶対とは言えませんが、ありがたいことに私は色々な反応をもらうことができました。

 ただ、これがかえって事態を悪化させる要因なのです。

 基本的に反応のもらえない日々の中、ある日もらえた反応。それは何よりも尊く、何よりも嬉しいものです。

 一度その感動を味わってしまえば、もう引き返すことはできません。

 書き続ければ、新しい小説を書けば、何か反応がもらえるかもしれない。そんな希望に引きずられ、何もないむなしさの中を歩き続けることになります。

 反応がもらえることは、途方もないプラスです。その喜びはたとえようもなく、永遠に身体に刻み付けられます。

 ですが、反応をもらえないことが当たり前であることが大前提にあります。それはつまり、ほとんどずっとが、マイナスの中にあるということです。

 グラフで表せば、マイナスのまま移行していく折れ線が、ある時一瞬だけ、プラスに突き抜ける――そしてそのあとはまたずっとマイナスのまま続いていくという形になります。

 一瞬の突き抜けは確かに凄まじいものです。ですが全体を見れば、延々と続くマイナスの線。トータルすればどちらが上回るかは、説明するまでもないでしょう。

 そうです。ここでタイトルを提示します。『ネットで小説を公開するという行為はマイナスでしかないという話』なのです。



 それは違う。その理論はおかしい。そうお考えの方もいるでしょう。

 ではこう言いましょう。反論があるのならまずは、私をプラスに転じさせてみろ。どうすればいいのか、もうおわかりですね。

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